印度學佛教學研究
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Prajnapradipa/-tikaにおける戯論(prapanca)
――第22章第11偈注釈の用例について――
新作 慶明
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2014 年 62 巻 3 号 p. 1225-1229

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抄録

戯論(prapanca)は,中観派においてもっとも難解なことばの一つである.ナーガールジュナは,Mulamadhyamakakarika(『中論』)第18章第5偈において業と煩悩の起源に分別を,さらにその分別の根元に戯論を見ることはよく知られている.本稿では,『中論』の注釈書の一つである,バーヴィヴェーカ作Prajnapradipa(『般若灯論』)およびアヴァローキタヴラタ作Prajnapradipatika(『般若灯論広注』)第22章第11偈注釈に説かれる戯論の用例について検討する.当該箇所では,世俗において「空」という戯論によって説くことが勝義を了解させるための方便(*upaya)であると,そして世俗において「空」・「不空」・「両者」・「両者でない」という戯論によって説くことは必要であると説かれている.また,「両者でない」という戯論は勝義を了解させるために表現されるべきものであり,克服されるべき戯論は,「両者でない」とは別の「空」・「不空」という戯論であるとも説かれている.一方,勝義(paramartha)の複合語解釈が説かれる『般若灯論』第24章第8偈注釈において,「不生などの教説」や「聞・思・修より生じる智慧」は,勝義を了解させるための方便(*upaya)であると説かれている.そして,『般若灯論広注』は,それらを言語協約的勝義諦(*samketika-paramarthasatya)であると説明する.従って,『般若灯論』第22章第11偈注釈における戯論は,その「不生などの教説」に相当するような肯定的な意味をもつものであるということになるのである.『中論』第18章第5偈においては,煩悩の根元として否定的なものでしかない戯論であるが,『般若灯論』第22章第11偈注釈においては単に否定的なものとしてではなく,世俗において説かれることが必要な肯定的なものとしても説かれているのである.

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© 2014 日本印度学仏教学会
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