印度學佛教學研究
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pravartakaを廻るDharmottaraとPrajnakaraguptaの論争
三代 舞
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2014 年 62 巻 3 号 p. 1287-1292

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抄録

DharmakirtiがPramanavarttikaのPramanasiddhi章3cd偈で述べた「知は,取捨されるべき対象に対する行動(pravrtti)の主要因であるから」という文言に従って,彼の後継者たちは,「正しい知たるpramanaは,認識者たる人を行動させるもの(pravartaka)である」という共通見解を有している.しかし,pravartakaが如何に機能するかという点に関する理解は必ずしも一定しない.そこで本稿では,無分別知たる知覚(pratyaksa)がどのように人に行動を起こさせるのか,という点に問題を絞り,Dharmakirtiの見解を確認した上で,DharmottaraとPrajnakaraguptaの解釈の違いを検討する.DharmakirtiはPramanaviniscavaのPratyaksa章18偈で,知覚から行動へのプロセスを,「過去の鮮明な経験⇒現在の知覚⇒想起⇒欲求⇒行動」というように提示する.この場合には,知覚は行動の十分条件ではなく,過去の経験を伴い,想起や欲求を通じて行動を引き起こす.Dharmottaraは,ある文脈ではDharmakirtiと同じプロセスを提示しつつも,可能性(yogyata)としての行動という概念を取り入れ,知覚そのものの作用である対象認識(arthadhigati)の完成をもって行動の完成と見なした.しかし,その対象認識は,知覚に後続するその知覚の内容を決定(niscaya)する分別知を伴って初めて実効性をもつため,必ずしも知覚のみで行動が成り立つわけではない.一方Prajnakaraguptaは,そのような分別知の介在をはっきりと否定し,無分別たる知覚から直接的に行動が起こると主張した.ただしその場合の知覚は,十分な反復経験(atyantabhyasa)を前提とするもののみに限定される.

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© 2014 日本印度学仏教学会
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