日蓮(1222〜82)は『法華経』の教理の根本を,天台大師智顗538〜598)が『摩詞止観』第五巻に説く「一念三千」に求めた上で,「一念三千の観法」が末法に於いては,『妙法蓮華経』の首題「妙法五字」専唱として昇化されるという認識に立って,それを実践した.日蓮は伝教大師最澄(767〜822)の『法華経』崇敬を継承し,釈尊→天台→伝教の系譜を三国三師としたが,さらに日蓮がその系譜を継承するという自負と自覚に達して,三国四師を唱えた.反面,『守護国家論』などでは,『往生要集』で著名な慧心源信(942〜1017)が,実はその後,『一乗要決』を著したことを重視し,「受け難き人身」(『昭和定本日蓮聖人遺文』89頁)などの仏教理解を継承していると見られる.もとより,日蓮が『法華経』を末法の衆生に遺された《未来記》とする所見や,流謫の地=佐渡島で,『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』で述べる天台大師智顗の『摩詞止観』第五の「一念三千出処」の文により,「南無妙法蓮華経」の題目の五字・七字を受持することによる久遠の仏陀釈尊の仏果の自然譲与等が注目されねばならないことは言うまでもない.また日蓮の『法華経』色読(受難体験の昇華)が重視されねばならないが,初期の著述である『守護国家論』に見られる仏教理解の基本にも注意すべきではないかと考える.さらに釈尊御一代の説法を五時に位置づけた『一代五時図』『一代五時鶏図』等についても十分な考察が必要であろう.日蓮の『法華経』色読に基づく『法華経』負荷の背景にある仏教理解の基本を確認することによって,日蓮の仏教理解の普遍性を確かめる一助と出来ようか.