インド最南端のタミル地域に,「サンガム伝説」とよばれるものがある.それによると,古代パーンディア王朝にはその庇護を受けたアカデミー(サンガム)があり,詩人たちはそこで文法や詩論を学び詩作をしたという.この伝説には今日われわれの知るタミル古代の文法書と文学作品が列挙されていることから,それが単なる空想の産物ではなく,少なくとも部分的には史実を含んでいるという点では研究者の見解は一致しており,そのためタミル古代文学はサンガム文学と呼ばれるようになった.サンガムには「はじめ」,「中間」,「最後」という3つがあるのだが,このうち史実に近いのは「最後のサンガム」の記述である.そこには,今日でも最も権威ある文法書・詩論であるTolkaappiyam(古文典)や,タミル古代文学として知られる二大詞華集-Ettuttokai(八詞華集)とPattuppattu(十の長詩)-のうち,「八詞華集」の全作品名と内容未詳とされる4つの作品名(Kuttu, Vari, Cirricai, Pericai)が出ている.他方,これまで「十の長詩」は伝説には言及されていないと考えられてきた.筆者もそのように考えていたのだが,ここ数年「十の長詩」を読んできて,その年代確定のために再度「サンガム伝説」を読んでみると,これまで内容未詳とされてきた4作品が「十の長詩」に含まれる4つの「案内文学(arruppatai)」と呼ばれる作品であることが分かった.本稿では,100年におよぶ「サンガム伝説」研究で分からなかった,それら4作品の同定をし,あわせてこれまでそれらを同定できなかった理由を示した.