本稿は,仏滅後200余年後に著述された阿毘達磨論書『論事』に対して,上座部がどのような理論をもって「仏説」としての権威を附託し,それを三蔵に加えているのかという点を考察した.結論として,ブッダゴーサ著『法集論註』に説かれる記述によれば,上座部において「仏弟子の言葉」が「仏説」としての権威を得るためには,(1)仏陀が論母を置いていること,(2)その論母の分別が一切智性智に適っていること,(3)分別の後に仏陀が「随喜」することで事後承認を得ること,の三点が重要であることが明らかとなった.またこの場合,仏滅後の著作である『論事』は,条件(3)を満たすことが出来ないという問題が生じているが,これに対して註釈家アーナンダは,『法集論復註』において,「随喜によって仏説化した」というプロセスを「仏説化したことに随喜した」と再解釈することによって必須条件から外している点が注目される.