『維摩経』のサンスクリット本は全体で12章からなる.その中でも第4「病気の慰問」章は,智慧を特性とする菩薩マンジュシュリーがヴィマラキールティの病気の慰問に出かけ,空(sunya[ta])の意味をめぐって興味ぶかい議論を展開する.本稿は,チベット語訳と漢訳(三本)によってきた従来の研究では明らかにされず,また2006年に公刊されたサンスクリット本に基づく近年の複数の訳注研究によっても解明されていない,『維摩経』における空の意味を,サンスクリット本の批判的考察をもとに再考した.具格形を求めるsunyaの一般的な語法,第4章の文脈,ならびに空をふくむ諸法はそもそも表現されえないという初期大乗経典に通底する<空>思想,という3つの観点から考察を加えた.その結果,同章の中で2箇所に用いられるkenaの共通した用法に着目し,それが従来の多くの解釈が示すような,空である理由やあり方をたずねる用法でなく,主語となる事物に欠いているものをたずねる用法に他ならないことを結論づけた.