抄録
dus- (dusya-ti)「悪くなる,だめになる」,dosa-「過失,欠陥」のパーリ語形はそれぞれdussa-ti, dosa-であり,dvis- (dvesti, dvisanti)「憎む,敵視する」,dvesa-「憎しみ,敵意」とは区別される語である.一方,三毒(貪瞋痴)の文脈におけるサンスクリット語仏典の並行句では基本的にパーリ語dosa-がdvesa-「瞋」に対応し,パーリ語dussa-tiは一部の例で「憎む」の意味を表しているように見える.このような状況から,パーリ語dosa-, dussa-tiはdvis-に由来するのか,また,両者はパーリ語においてどのように展開したのか,ということが問題となる.本稿では両者の動詞を中心に問題を検討した.その結果,音韻の点からは「dvesa-がパーリ語dosa-になる」とは考え難く,dvis-由来の語は韻文経典に限られるため,パーリ語では用いられなくなる傾向が予想された.叙事詩ではdus-が相手を嫌ったり,敵意を抱く状況をも表しており,パーリ語ではdussa-tiがaccusative, genetiveの格を伴う例があるため,dvis- +acc., gen.と比較しうる意味展開が読み取れた.三毒の文脈ではdus-に由来する動詞形の使用や格関係の点から,dvis-は予想し難い.以上のことから,結論としてパーリ語においてはdus-がdvis-を包括する広い意味を表しており,dvesa-「瞋」の意味もdus-によって表されていると考えられることを示した.