印度學佛教學研究
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初期瑜伽行派と説一切有部における「識」の継起
高務 祐輝
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2016 年 64 巻 3 号 p. 1222-1226

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抄録

瑜伽行派の根本典籍である『瑜伽師地論』の「五識身相応地」「意地」は,認識(vijnana)に関する同学派初期の理解を知る上で貴重な情報に富む.その既刊校訂本は問題が散見されることが指摘されているが,現存する単一梵文写本に基づいて訂正した「意地」の記述によれば,対象を認識する際の六識に関して,ある1瞬間においてただ1つの認識が生起することを特に言及せず前提としている.また継起に関しては,同種の感官知(五識)や異種の感官知が連続して2瞬間に生起する可能性を否定し,1瞬間だけ生起した感官知の直後には必ず意識が生起することを強調する.これに対し,同様に複数の認識の同時生起を認めない説一切有部では,『大毘婆沙論』において感官知の直後に感官知が続けて生起する可能性を認める.本稿では,両論書に注目し,感官知の連続生起可能性をめぐる議論について初期瑜伽行派と説一切有部の立場を比較する.両解説の要点を整理することで,両者の立場に関して,単に感官知の連続を認めるか否かだけでなく,解説の仕方にも大きな違いがあることを指摘する.すなわち,初期瑜伽行派では,具体的に何らかの対象を把握する一連のプロセスとして感官知と意識の順序を説明するが,説一切有部の阿毘達磨論師の立場では,あくまで法と法(苦根と苦根,苦根と五識)の関係を分析した結果に基づいて説明する.この違いは,禅観の実践体験を特に重視する瑜伽行派と,法の分析を徹底する説一切有部の特徴とも軌を一にするものであり,両記述の比較を通してより一層明確になる点といえる.また,上記の考察と併せて,『瑜伽師地論』「五識身相応地」「意地」の解説と,『大毘婆沙論』で紹介される瑜伽師の説とでは,感官知の連続生起を認めない点は同じであるが,主張のポイントが異なるということも指摘する.

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© 2016 日本印度学仏教学会
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