2016 年 64 巻 3 号 p. 1255-1262
アルチャタはHetubindutika (HBT) 98,14-107,23において長大なジャイナ教徒批判を展開するが,それはHetubindu (HB) 9*,13-14に現れる反論者の見解とダルマキールティの答論(HB 9*,15-10*,4)に対する直接の注釈の後に現れる.HB 9*,13-14に現れる反論者の見解は,複数の原因から複数の結果が生じるケースか,あるいは単一の原因から単一の結果が生じるケースを正しい因果モデルと見なし,仏教徒が主張する因果モデルを批判するものであった.この反論者の見解はアルチャタによってジャイナ教徒とミーマーンサー学派によるものとされているが,調査の結果,それをいずれかの学派の見解として特定するには至らなかった.なお,ジャイナ教文献ではハリバドラスーリがAnekantajayapatakaにおいてHBの当該箇所(HB 9*,13-16)を直接引用し批判しているものの,HBにおける反論者の見解と一致あるいは類似する記述は見いだせなかった.HBおよびHBTに見られる反論者の見解を同じダルマキールティの著作であるPramanavarttika第1章における記述と比較した結果,同見解が文脈・内容の点でジャイナ教徒よりも,むしろサーンキヤ学派の見解に近いことが判明した.Tattvasamgraha(-panjika) (TS,TSP)第20章「多面性実在論の考察(Syadvadapariksa)」における記述との対照によってこのことは一層明確となる.またTSおよびTSPの同章では,「Syadvada」という用語・概念の下に,ジャイナ教徒のみならず,ミーマーンサー学派およびサーンキヤ学派の見解が紹介されている.これはあくまで仏教徒の目から見た分類ではあるものの,これら三つの学派が存在論あるいは因果論について類似の見解を保持あるいは共有していた可能性を示唆している.