2020 年 68 巻 3 号 p. 1227-1231
クマーリラは,〈非存在という認識手段〉(abhāvapramāṇa)が非存在を把握する認識手段であると主張する際に,Ślokavārttika(ŚV) abhāvaparicchedaで,推理などでは非存在を把握することが出来ないと論じる.そして,特にvv.38–44では,〈非存在という認識手段〉以外の直接知覚などの5つの認識手段の不生起が具体的な証相として挙げられるが,そのような証相でもって非存在を把握すると主張する対論者がダルマキールティであるか否かがこれまで盛んに議論されきた.そこで本稿では,vv.38–44における前主張について,ŚVやその諸注釈書を基に新たな付随情報を提示しつつ,改めてその内容が如何なるものであるのかを検討した.
Ślokavārttikakāśikā(ŚVK)とNyāyaratnākara(NR)はvv.38–44までの対論者説に関して,v.44で証相の三条件としてPS II 1abを引用しつつも,ダルマキールティの非認識論証因の解釈をする形で前主張を展開していた.更には,ŚVKはvv. 40–41の無限後退の過失についても,その対論者をPVSVを引用する形でダルマキールティの主張としている.また,ŚVKとNR,特にŚVKはあくまでダルマキールティの非認識論証因を正確に理解しつつも,あえてそれを曲解して,認識手段の不生起が批判されるvv.38–44に適用していた.これは,ダルマキールティに先行するイーシュヴァラセーナが,純粋否定としての非認識を主張しつつも,それを推理とは別の第三の認識手段として主張した点,ディグナーガの否定的論証が積極的になされず,むしろ後代になるとそれが省略して述べられる点,ダルマキールティの非認識論証因のみが一般的に仏教徒説として普及していたなどの点などが背景にあると推察した.