印度學佛教學研究
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「ガヤーの頭」の起源と変遷
虫賀 幹華
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2021 年 69 巻 3 号 p. 991-994

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抄録

北インドビハール州南部に位置するヒンドゥー教の聖地ガヤーは,祖先祭祀を行うのに良い聖地として有名である.現在ではViṣṇupada寺院が最も重要な場所とされているが,聖地としてのガヤーが文献に現れた最初期から言及され続けてきたのは「ガヤーの頭」である.本稿ではガヤーの頭と解釈できるgayaśiras, gayāśīrṣa, gayāśiras, gayāsīsaの記述をサンスクリット語およびパーリ語文献から拾い上げ,10~11世紀頃に成立したとみられるGayāmāhātmyaGM)前後の記述の相違に注意しながらその変遷を描く.GMとそれ以後の文献におけるガヤーの頭は,現在のViṣṇupada寺院周辺をその中心とする1 krośa(約3.22 km)の範囲である.これに対して,仏教文献のgayāsīsaは,Viṣṇupada寺院から南西約2 kmに位置するBrahmayoni山と同定できる.最も問題となるのが,ガヤーに関する最古の記述をもつとされてきたYāskaのNiruktaN)におけるgayaśirasの解釈である.Nはヴィシュヌ神が足を置いた3箇所をsamārohaṇa, viṣṇupada, gayaśirasとするAurṇavābhaの見解を記録する.この3箇所をガヤーに関連づけるか否かは先行研究でも意見が割れている.本稿は,DurgaによるNの注釈に従って,これらをガヤー内の特定の場所ではなく太陽の運行の描写と考える立場をとる一方で,Nの記述がMahābhārataおよびGMに引き継がれていると思われる箇所を紹介し,ガヤーの歴史を考察する上でNを考慮に入れる必要性を示す.

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© 2021 日本印度学仏教学会
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