印度學佛教學研究
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ヴァイシェーシカ学派における時間の存在論証
渡邉 眞儀
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2022 年 70 巻 3 号 p. 1077-1081

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抄録

 ヴァイシェーシカ学派において,時間(kāla)は方位(diś)などと同様に,常住で遍在する実体の1種として定義されている.そしてPadārthadharmasaṃgraha(以下PDhS)の著者プラシャスタパーダによれば,時間は直接知覚によっては認識されず,その存在は推論によって論証される必要がある.

 彼は時間の存在を示す証因として,かなた・こなたの交替の認識というものを提示している.これは,観察者から見て老人が近くに,若者が遠くにいる場合,両者に対する空間的な遠近の認識と,時間的な遠近(すなわち老若)の認識が逆転するという現象を指している.PDhSはこの現象を説明するためにかなた性(paratva)・こなた性(aparatva)という性質(guṇa)を導入し,老若の認識の元となる時間的なかなた性・こなた性は,時間によって生み出されると主張した.

 一方でニヤーヤ学派のバーサルヴァジュニャはNyāyabhūṣaṇaにおいてPDhSの見解を批判する.彼によると,単一な実体としての時間とかなた性(およびこなた性)というのはいずれも存在しない.そして老若の認識は,太陽の回転運動という物理的に測定可能な量を根拠とする,その人物の誕生から現在までの日数を元にして生じるに過ぎない.

 PDhSの注釈者シュリーダラはNyāyakandalīにおいてこれと類似の見解を紹介しつつごく簡潔に反論した.別の注釈者ウダヤナはKiraṇāvalīにてその議論を引き継ぎ,かなた性の存在を擁護しつつ,それが生じるためには時間が必要不可欠であることを示そうとする.彼によると,太陽の回転運動と老人との間には本来関係が存在しないが,時間は両者を接近させる能力を持つため,それによって老人にかなた性が生じる.この能力というのは,時間が場所によらず等しく流れるという,等時性と呼ばれる特性に基くと考えられる.

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