労働科学
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論説
「児科雑誌」に発表された仮称所謂脳膜炎(鉛毒性脳症) に関する研究の足跡(11)1931年から内務省令実施(1935)まで(第2報)
堀口 俊一寺本 敬子西尾 久英林 千代
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2016 年 92 巻 5-6 号 p. 71-82

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抄録

1895(明治28)年,「所謂脳膜炎」と仮称される乳幼児の疾病が伊東祐彦らによって報告された。その後,約30年にわたる研究を経て,1923(大正12)年,平井毓太郎によって,その主たる原因が母親の用いる白粉中の鉛白による中毒であることが究明された。著者らは年代を追って,「児科雑誌」により,該疾患に対する研究の足跡を論考してきた。今回は,1930(昭和5)年,鉛白使用化粧品に対する規制が明文化されて以降,1931(昭和6)年から上記規則が実施に移された1935(昭和10)までの5年間に発表された関連文献のうち,臨床,病理,検査(このうち生体試料及び白粉・膏薬中の鉛測定)を取り上げて論考した。(写真1)

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© 2016 公益財団法人 労働科学研究所
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