1945年1月13日に発生した三河地震の特徴としては、東南海地震の約1か月後に発生した地震であること、戦時中であったこと、そして家屋喪失数に対して死者数が多い地震であることがあげられる。飯田(1985)のデータにおける三河地震の被害として一般的に用いられている数値は調査データの最大値の総括であり、市町村単位とする内訳に戻れないことが判明した。このため、1945年1月14日の愛知県警備課による統一的なデータも用いながら、各市町村のデータを算出し震度分布図をGISを用いて作成した。その結果、沖積低地である岡崎平野や矢作川流域では被害が大きく、幡豆山地などの丘陵地に属する地域は被害が小さかった。また、地盤による震度や被害の影響は、東南海地震と類似していたことがわかった。一方、断層のごく近傍では、全潰家屋の割に死者数が特に多く発生している傾向もみられ、断層近傍特有の被害にも注目する必要があるものと考えられた。