日本内分泌・甲状腺外科学会雑誌
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特集2
甲状腺腫瘍の遺伝子診断と細胞診
菅間 博住石 歩千葉 知宏宍戸-原 由紀子
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キーワード: 甲状腺癌, RET/PTC, BRAF, PPARγ/PAX8, LBC
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2014 年 31 巻 2 号 p. 125-129

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抄録

甲状腺腫瘍の乳頭癌と濾胞癌では遺伝子変異のパターンが異なる。乳頭癌ではRET/PTC再構成とBRAF(V600E)変異が,濾胞癌では多彩なRASの変異とPPARγ/PAX8再構成が高頻度に認められる。さらに低分化癌と未分化癌では,p53やβカテニン(CTNNB1)遺伝子の変異が加算される。現在,液状化検体(LBC)細胞診標本に応用が容易な遺伝子変異として,免疫染色とFISHにより検出可能なものがある。免疫染色によりBRAF(V600E)変異,p53とβカテニン(CTNNB1)の異常は検出可能である。FISHによりRET/PTCとPPARγ/PAX8の遺伝子再構成は検出可能である。BRAF(V600E)とRET/PTCで理論的には乳頭癌の大部分を診断することができる。PPARγ/PAX8で濾胞性腫瘍の半数程度に診断可能であるが,細胞診断上問題となる濾胞腺腫と濾胞癌の鑑別には有用でない。将来,分子病理診断が,細胞診の正診率向上のみでなく,分子標的治療にも利用されることが期待される。

はじめに

分子遺伝学の進歩により,甲状腺癌の発生に関わる遺伝子変異についての基本的な理解が進み,それを基にした甲状腺癌の分子病理学的な診断が可能となりつつある。甲状腺腫瘍の術前病理診断は,生検組織標本ではなく穿刺吸引による細胞診標本でおこなわれている。本特集のテーマの「甲状腺の細胞診の新しい報告様式」が導入される背景には,細胞診断の精度向上に対する臨床上の要望があると考えられる。しかし,甲状腺の細胞診標本による形態学的な診断には限界があり,鑑別困難に分類される症例が一定の割合存在する。甲状腺の分子病理診断の応用が,術前の細胞診断の精度向上に寄与することが期待される。

本稿では,甲状腺腫瘍の分子病理診断の基礎となる分子遺伝学的な知見を整理し,甲状腺癌の発生に関わる主要な遺伝子変異と,甲状腺の発癌やプログレッションとの関係を概説する。さらに術前の甲状腺細胞診への分子遺伝学の応用,特に液状化検体(LBC)細胞診に応用可能な分子病理診断について紹介する。

甲状腺腫瘍の遺伝子異常

甲状腺は,濾胞細胞から濾胞腺腫,濾胞癌,乳頭癌,低分化癌,未分化癌が発生し,C細胞からは髄様癌が発生する。甲状腺腫瘍の遺伝子変異としては,点突然変異により機能獲得ないし機能異常をきたすものと,遺伝子再構成により発現量が増大するものが知られている。濾胞細胞から発生する腫瘍の主要な遺伝子変異と頻度を表1に示す[]。乳頭癌と濾胞癌では遺伝子変異のパターンが異なる。乳頭癌ではRET遺伝子の再構成とBRAF遺伝子の点突然変異が高率にみられるが,RAS遺伝子の変異は少なく,PPARγ遺伝子の再構成はみられない。これに対して濾胞癌では,RET遺伝子やBRAF遺伝子の変異はみられず,逆にRAS遺伝子の点突然変異やPPARγ遺伝子の再構成が高頻度に認められる。

表1.

濾胞上皮由来甲状腺癌の遺伝子変異の頻度

一般に,低分化癌と未分化癌では,濾胞癌や乳頭癌にゲノム不安定性が生じて遺伝子異常が加算されると考えられる。低分化癌と未分化癌では,BRAF遺伝子やRAS遺伝子の変異に,p53遺伝子やβカテニン(CTNNB1)遺伝子の変異が加算された複合的な異常がみられる。また,表にはないがRAS遺伝子やPPARγ遺伝子の異常は濾胞腺腫でもみられることが知られている。各甲状腺腫瘍の遺伝子異常の頻度に基づき考えられる甲状腺濾胞上皮から乳頭癌,濾胞癌を介して,低分化癌,未分化癌に進行する段階発癌仮説の模式図を示す(図1)。以下,甲状腺癌にみられる主要な遺伝子変異について,特に濾胞細胞由来の癌との関連に注目して概説する。

図1.

甲状腺癌の遺伝子変異と段階発癌仮説

RET遺伝子の変異

RET遺伝子は受容体型のチロシンキナーゼをコードしている。RETには神経栄養因子GDNF(glial cell line derived neurotrophic factor)が結合して二量体となり細胞増殖,分化,アポトーシスに関わる細胞内シグナル伝達系を活性化する[]。RET遺伝子は甲状腺のC細胞で発現されるが,濾胞細胞では発現されない。RET遺伝子の異常には,点突然変異と遺伝子再構成がある。RET遺伝子の点突然変異は,C細胞由来の髄様癌でみられ,散発性(後天性)の場合と,家族性(遺伝性)のものがある。RET遺伝子の再構成は,濾胞細胞由来の乳頭癌でみられる。特にチェルノブイリ原発事故後の小児の乳頭癌で高率にみられたことから,放射線被曝との関係が指摘されている[]。濾胞細胞に放射線被曝に起因した遺伝子組換えがおこり,RET遺伝子のチロシンキナーゼ領域を含む3ʼ端側と,適当な遺伝子の5ʼ端が融合した遺伝子が作られる。融合する相手遺伝子としては,濾胞細胞で発現されるプロモーターとともに二量体化するための領域を持つことが条件となる。これによりRET遺伝子が濾胞細胞に発現され,融合蛋白RET/PTCが作られる。RET/PTCは二量体を形成してリガンドに依存することなく自己リン酸化し,下流のRAS-BRAF-MAPKカスケードを活性化する。RET/PTCは相手遺伝子により15種類以上が報告されているが,RET/PTC1とRET/PTC3で,その90%を占める[,](図2)。RET/PTC再構成はFISHあるいはRT-PCRにより検出可能であるが,検出法により差がみられる[]。RET遺伝子の再構成が未分化癌では認められない。このことは未分化癌のプログレッション機序を考える上で興味深い。

図2.

RET遺伝子の再構成

BRAF遺伝子の変異

BRAFはセリンスレオニンキナーゼで,下流のMAPKカスケードをリン酸化,活性化し,細胞増殖,細胞骨格の変化をおこす。BRAF遺伝子の異常は点突然変異としてみられ,ほとんどがリン酸化活性領域内のコドン600のチミンがアデニンに変わり,バリンがグルタミン酸へ置換される(V600E)(図3)。BRAF(V600E)変異は甲状腺癌では,成人の乳頭癌で高頻度にみられる(36~53%)[]。甲状腺以外にメラノーマ(20~70%),大腸癌(5~22%),漿液性卵巣癌(30%)などでもみられ,必ずしも甲状腺乳頭癌に特異的ではない。ただし,甲状腺乳頭癌におけるBRAF遺伝子変異は,前述のRET/PTC遺伝子再構成と同時に重複して認められることはない。相補的に両者で大部分の乳頭癌のMAPKシグナル伝達系を活性化していることになり,恒常的なMAPKカスケードの活性化が乳頭癌の発生に重要と考えられる。最近,BRAF(V600E)変異を特異的に検出するモノクローナル抗体が開発されている。

図3.

BRAF点突然変異

RAS遺伝子の変異

RASは低分子量Gタンパク質で,受容体型のチロシンキナーゼからのシグナルを下流のBRAFに伝える。RAS遺伝子の変異はGTP結合領域のグリシン12とグルタミン61にミスセンス変異であることが比較的多いが,RAS遺伝子にはHRAS,KRAS,NRASがあり,それぞれ変異部位は多岐にわたる。また,RAS遺伝子変異は,必ずしも甲状腺癌に特異的ではなく全ての癌の30%以上にみられる。特に膵臓癌,大腸癌,肺非小細胞癌で頻度が高い。甲状腺癌のRAS遺伝子変異は,乳頭癌よりも濾胞癌に高率にみられ,濾胞癌の変異はNRAS(6.9%)>HRAS(3.6%)>KRAS(3.2%)の順に頻度が高い[]。RAS遺伝子変異は濾胞腺腫でもみられることから,濾胞性腫瘍の発生段階の早期におこる遺伝子異常と考えられる。乳頭癌でRAS遺伝子変異がみられる場合は,遠隔転移が高頻度にあり予後が悪いという報告がある。また,RAS遺伝子変異は低分化癌で25%程度,未分化癌では50%以上にみられ,甲状腺の分化癌から未分化癌へのプログレッションに寄与していると考えられる。RAS遺伝子変異は多彩であるため,その検出には変異領域の塩基配列の解析が必要となる。

PPARγ遺伝子の変異

PPARγ(Peroxisome Proliferator-Activated Receptor γ)遺伝子はぺルオキシゾーム増殖因子活性化受容体γをコードする。PPARγは甲状腺ホルモン受容体と同様に核内受容体スーパーファミリーに属し,主に脂肪細胞に発現され,脂肪や糖の代謝に関与する。通常は甲状腺濾胞細胞には発現されないが,RET遺伝子同様に遺伝子再構成により甲状腺癌で発現されるようになる。染色体転座t(2,3)(q13;p25)により,甲状腺濾胞の分化に関与する転写因子PAX8の5ʼ端側とPPARγ遺伝子の3ʼ側が結合した融合蛋白が生じる(図4)[]。PPARγ遺伝子の再構成は濾胞癌の50%以上にみられるが,濾胞腺腫[10]や濾胞型乳頭癌でもみられることが明らかになっている。RET遺伝子再構成と同様に放射線被曝との関連が指摘され,またが未分化癌では認められない。PPARγ遺伝子の再構成はFISHあるいはRT-PCRにより検出される。

図4.

PPARγ遺伝子の染色体転座による再構成

Hibi Y, Nagaya T, Kambe F, et al. Endcr J;51:361-366, 2004より改変

p53遺伝子とβカテニン遺伝子の変異

p53遺伝子(Tumor protein p53:TP53)は代表的な癌抑制遺伝子で,生理的には細胞増殖の抑制,アポトーシスの誘導,細胞老化に関わる。p53遺伝子の変異は全ての腫瘍の約50%に認められ,その場合,分解されないp53蛋白が核に貯留する。核に貯留したp53蛋白は免疫染色にて容易に検出される。甲状腺の乳頭癌や濾胞癌でp53遺伝子変異があることは稀であるが(0~9%),低分化癌では17~38%,未分化癌では67~88%と高率に認められる。

βカテニン(CTNNB1)は通常細胞膜に存在し細胞接着や細胞骨格形成に役割を果たすが,Wntシグナル伝達系の媒体として核内に移動し細胞増殖関連遺伝子発現調節にも関与する。CTNNB1遺伝子の変異は低分化癌や未分化癌で高率に認められ,その場合はβカテニンの核内局在がみられる[11]。また,APC(adenomatous polyposis coli)遺伝子の変異によりおこる篩状型乳頭癌(Papillary carcinoma,cribriform-morular variant)でも,CTNNB1が核内局在する。核に貯留したCTNNB1はp53蛋白と同様に免疫染色にて容易に検出される。

細胞診検体を用いた分子病理診断

甲状腺腫瘍の術前病理診断には,組織生検標本ではなく穿刺吸引による細胞診標本が用いられている。細胞診の新しい技術として液状化検体細胞診(Liquid Based Cytology:LBC)が開発されている。LBCは,形態学的な解析に加えて,免疫染色による蛋白の発現解析,そして遺伝子変異の核酸レベルでの解析にも有用である。具体的にLBCは,細胞の重積が少ないスライド標本が複数作製可能なため,多種抗体の免疫染色やFISHによる遺伝子解析が,通常の細胞診検体より容易である。また,LBC検体の残をPCRによる遺伝子解析に供することが可能である。

現在,甲状腺癌の遺伝子変異のうちLBC細胞診標本に応用が容易なものとして,免疫染色やFISHにより検出可能なものがあげられる。免疫染色により検出可能なものとしては,乳頭癌指標となるBRAF点突然変異(V600E)の変異蛋白と,低分化癌や未分化癌で核内異常貯留するp53蛋白とCTNNB1蛋白がある。このうち,BRAF(V600E)変異は,特異的モノクローナル抗体が市販されている。ただし,変異は乳頭癌の約半数ではみられないこと,蛋白発現量と抗体の親和性の必ずしも高くないことに注意が必要である。p53蛋白とCTNNB1蛋白の免疫染色は他臓器の癌で汎用されており安定している。また,核に局在するため判定が容易であり,低分化癌や未分化癌の診断,特に乳頭癌と低分化癌の鑑別の指標として有用である。FISHにより検出可能なものとしては,RET/PTCとPPARγ/PAX8の遺伝子再構成である[12]。RET/PTC再構成は,BRAF変異のない乳頭癌の半数程度で検出され,両者で乳頭癌の大部分をカバーすることになる。PPARγ/PAX8再構成は濾胞性腫瘍の半数程度に検出されることが期待され,診断の指標となる。しかし,細胞診断上問題となる濾胞腺腫と濾胞癌の鑑別には有用でない。

おわりに

甲状腺癌に関する遺伝子変異を整理し,その甲状腺癌の分子病理診断への応用について概説した。特にLBC細胞診により導入が容易な免疫染色やFISH法での検索が可能な遺伝子変異について解説した。具体的には,乳頭癌の指標となるBRAF(V600E)変異とRET/PTC遺伝子再配列,濾胞性腫瘍の指標となるPPARγ/PAX8再構成,低分化癌の低分化癌や未分化癌の指標となるp53蛋白とCTNNB1蛋白の核内集積についてである。しかし,濾胞性腫瘍の良悪鑑別に有用な遺伝子変異は依然として明らかでない。この点は,本特集の前半で紹介された新たなベセスダシステムによる甲状腺細胞診の報告様式に,「濾胞性腫瘍あるいは濾胞性腫瘍疑い」が鑑別困難なカテゴリーとして別立てされていることにも関連している。今後,甲状腺癌にも分子標的治療が導入されることが予測されるが,LBC標本を用いた分子病理診断が,術前の細胞診断の正診率向上ばかりでなく,分子標的治療の指標として利用されることが期待される。

【文 献】
 

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