日本内分泌・甲状腺外科学会雑誌
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臨床経験
原発巣と腋窩リンパ節転移巣にてHER2評価の不一致を認めた炎症性乳癌の1例
林原 紀明小川 利久辻 英一大矢 真里子藤井 晶子
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2016 年 33 巻 4 号 p. 269-274

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抄録

症例は47歳女性。右乳房腫大,血性乳頭分泌を主訴に当院受診。視触診上,右乳房外側皮膚の肥厚,発赤を認めた。超音波検査では右CD領域全体に皮膚肥厚と浮腫を認めたが,明らかな腫瘤は認められず,また右腋窩には複数のリンパ節腫大が認められた。原発巣,腋窩リンパ節巣に対し針生検を施行し,浸潤性乳管癌,腋窩リンパ節転移の診断を得たが,原発巣がHER2遺伝子増幅陰性であるのに対し,腋窩リンパ節巣はHER2遺伝子増幅陽性でありHER2評価の不一致を認めた。術前化学療法として抗HER2療法を開始した所,画像診断上,右乳房原発巣の縮小に加え,右腋窩リンパ節転移巣の消失を認め,根治手術を施行することが可能となった。乳癌原発巣と腋窩リンパ節転移巣におけるHER2の評価は,時に不一致を認めるため,原発巣とともに,腋窩リンパ節転移巣に対する生検を施行し,HER2の評価を行う必要がある。

はじめに

近年の乳癌治療としては,human epidermal growth factor receptor 2(HER2)やホルモンレセプターの発現をもとに治療選択がなされているが,転移病変を有する進行再発乳癌の治療方針に際しては,実臨床の場においては原発巣のHER2の評価を基準として治療方針を決定することが多い。しかし,乳癌転移巣におけるHER2の評価が原発巣のそれと異なるケースが知られており,近年の乳癌診療においては原発巣だけでなく,再発巣に対しても可及的に生検を行い,治療方針を決定することが推奨されている[]。今回,われわれは初診時にすでに腋窩リンパ節転移をきたした炎症性乳癌に対し,原発巣,腋窩リンパ節転移巣各々に針生検を行い,HER2評価の不一致を認めた症例を経験したので報告する。

症 例

症 例:47歳 女性。

既往歴:子宮筋腫。

家族歴:なし。

現病歴:2014年9月より右乳房の腫大,および血性乳頭分泌が出現し2014年10月3日当科紹介受診となった。

初診時現症:右乳房外側を中心として乳房皮膚の発赤を認める(図1)。

図 1 .

視触診所見

右乳房外側を中心として皮膚の発赤を認める。明らかな腫瘤は触知しない。

検査所見:CEA:2.4ng/ml,CA15-3:22.7U/ml,その他異常値なし。

乳房超音波:右乳房外側に皮膚肥厚と著明な浮腫を認めたが,明確な腫瘤は認められなかった。右腋窩リンパ節腫大を認めた。

CT:右外側上方を中心として乳腺内の造影効果を認めるが,明らかな腫瘤としての形状は認めなかった。また右腋窩には腫大リンパ節が多発しており右腋窩リンパ節転移を認めたが,明らかな遠隔転移は認めなかった(図2a,b)。

図 2 .

胸部造影CT所見

a:右外側上方を中心として乳腺内の造影効果を認める。明らかな腫瘤形成は認めない。

b:右腋窩には腫大したリンパ節を複数認める(矢印部位)。

針生検病理診断:原発巣はinvasive ductal carcinomaでKi-67が33%,estrogen receptor(ER)陽性,progesterone receptor(PgR)陰性であった。HER2の評価は免疫染色にてHER2(1+),fluorescence in situ hybridization(FISH)法にてHER2遺伝子増幅を認めずHER2陰性と診断した。一方,腋窩リンパ節転移巣はinvasive ductal carcinomaでKi-67が47%,ER陽性,PgR陰性であり,HER2の評価は免疫染色にてHER2(2+),FISH法にてCEP17に対するシグナル比が2.6とHER2遺伝子増幅を認め,HER2陽性と診断した(図3a-d)。

図 3 .

針生検病理所見

a:乳房原発巣。管腔形成,乳頭状増殖を示す腫瘍細胞を認める(H.E.染色×200)。

b:腋窩リンパ節巣。リンパ節内に腫瘍細胞を認める(H.E.染色×200)。

c:乳房原発巣におけるHER2評価。HER2遺伝子の増幅は認められない(FISH法×400)。

d:腋窩リンパ節巣におけるHER2評価。HER2遺伝子の増幅を認める(FISH法×400)。

術前経過:腫瘤非形成性の乳癌であり,皮膚の発赤浮腫を認めていることより,右炎症性乳癌と診断。また右腋窩リンパ節転移を認めることより,術前化学療法としてEC療法を4サイクル施行後,さらにドセタキセルとトラスツズマブを併用して4サイクル施行した。

胸部MRI:初診時の胸部造影MRIでは右乳房上外側領域を中心とし,内側下方にかけて乳腺実質の濃染像を認め,右腋窩リンパ節腫大が多発していたが,化学療法施行後の造影MRIでは外側下方にわずかに乳腺実質の濃染像を認めるのみで腫大リンパ節も消失しており,化学療法が著効していた(図4a,b)。

図 4 .

胸部造影MRI所見

a:化学療法前の胸部造影MRI像。右乳房上外側領域を中心としてまだら状の濃染像を認める。

b:化学療法後の胸部造影MRI像。化学療法前の濃染像はほぼ消失している。

手術所見:右炎症性乳癌に対し,右胸筋温存乳房切除術と右腋窩リンパ節郭清術(LevelⅠ+Ⅱ)を施行した。肉眼所見上は腋窩リンパ節に明らかな転移は認めなかった。

手術標本病理検査:乳管内に腫瘍細胞を認め,乳管内病変として約7.5cmの領域にわたり分布を認めていたが,浸潤部は消失していた。また真皮内のリンパ管に腫瘍細胞を認めた(図5)。術前化学療法の組織学的治療効果判定はGrade3,右腋窩リンパ節には7個の転移巣を認めた。腋窩リンパ節転移巣のHER2蛋白発現はHER2(1+),HER2遺伝子増幅はFISH法にてシグナル比1.6と陰性であった。

図 5 .

手術摘出標本の病理所見

真皮内のリンパ管に腫瘍細胞を認める(矢印部位)(H.E.染色×200)。

術後経過:術後経過は良好であり,術後6病日にて退院の運びとなった。術後補助療法としてはトラスツズマブ1年間投与,タモキシフェン5年間投与(閉経時はアロマターゼ阻害剤5年間追加投与),胸壁・鎖骨上リンパ節領域への放射線照射を行うこととした。

考 察

乳癌には通常,複数の遺伝的に異なったクローンが含まれており,このheterogeneityによりホルモンレセプターやHER2の評価が原発巣と転移巣で不一致になると考えられている。そのため,近年では原発巣だけでなく転移巣においても,これらの分子マーカーを可及的に検査することが推奨されている[]。原発巣と遠隔転移巣のホルモンレセプター,HER2評価の不一致に関してはいくつかの後ろ向き研究があり,Dieciら[]は原発巣と遠隔転移巣のER,PgR,HER2の評価を免疫組織化学法,およびFISH法にて119例検討し,原発巣にてHER2陽性であった症例のうち転移巣にてHER2陰性に変化していたものは19%,原発巣でHER2陰性であった症例のうち転移巣にてHER2陽性に変化したものは10%であったと報告している。また原発巣ではHER2陽性であったが,転移巣でHER2が陰性化した症例では,HER2の評価が原発巣でも転移巣でも陽性であった症例と比較して,再発後生存期間の有意な短縮を認めており,原発巣と転移巣でのHER2評価の不一致が予後にも影響をもたらすと報告している。またNiikuraら[]は免疫組織化学法,およびFISH法にて原発巣のHER2の評価が陽性であった182例を検討し,23.6%の症例で転移巣でのHER2判定が陰性化し,これらHER2が陰性化した症例においては,HER2の評価が転移巣においても変化せずに陽性のままであった症例と比較して,全生存期間が有意に短くなることを報告している。またこれらの報告においては,原発巣のみ生検を行い転移巣に対して生検を行わずに治療選択を行うと,転移巣にてHER2が陰性化している症例に対しては不必要な抗HER2療法を行う可能性があると結論づけている。

乳癌原発巣と遠隔転移巣におけるHER2評価の不一致に関しては前向き研究も報告されており,Amirら[]は83症例に対してFISH法にて原発巣と遠隔転移巣のHER2の評価を行い,9.6%にHER2評価の不一致を認めたと報告している。またThompsonら[]による205症例を検討した前向き研究においては,免疫組織化学法,およびFISH法にてHER2の評価を検討し,原発巣と遠隔転移巣のHER2評価の不一致率が2.9%であり,転移巣にてHER2評価の変化したこれらの症例においては,その後の治療方針の変更が行われたと報告されている。同様に,Santinelliら[]は119症例の乳癌原発巣と転移巣を免疫組織化学法,およびFISH法を用いて前向きに比較検討し,全症例の21.5%に原発巣と転移巣のHER2評価の不一致を認め,治療戦略の変更が必要になったと報告している。

初診時にすでに腋窩リンパ節転移を認める同時性腋窩リンパ節転移症例におけるHER2の評価に関しては,幾つかの後ろ向き研究において,遠隔転移巣におけるHER2評価の不一致と同様に,原発巣と腋窩リンパ節転移巣のHER2評価の不一致が認められることが報告されている。Aitkenら[]は初診時に腋窩リンパ節転移を伴う原発性乳癌190症例の原発巣と腋窩リンパ節転移巣のHER2評価を免疫組織化学法,およびFISH法を用いて検討し,8.9%の症例においてHER2評価の不一致が認められると報告している。またIeniら[]は乳癌原発巣と同時性腋窩リンパ節転移巣148症例のHER2の評価を免疫組織化学法,およびFISH法にて検討し,このうち95.28%にあたる141症例では原発巣と腋窩リンパ節転移巣のHER2評価が一致したが,7症例(4.72%)においてHER2評価の不一致を認めており,それら7症例のうち4症例において転移巣におけるHER2陰転化を,3症例において転移巣におけるHER2陽転化を認めたと報告している。同様にAtasevenら[10]は117症例に対して,原発巣と同時性腋窩リンパ節転移巣のHER2評価を免疫組織化学法,およびFISH法を用いて検討し,4症例(3.4%)にHER2評価の不一致を認め,そのうち1症例おいて転移巣におけるHER2陰転化を,3症例において転移巣におけるHER2陽転化を認めたと報告している。このように同時性腋窩リンパ節転移症例においても,原発巣と腋窩リンパ節転移巣におけるHER2の評価が異なる場合があり,治療方針決定のために原発巣,腋窩リンパ節転移巣両者のHER2の評価を行う必要があると考えられる。特に原発巣にてHER2判定が陰性であり,腋窩リンパ節転移巣にてHER2判定が陽性である症例においては,腋窩リンパ節転移巣のHER2の評価を行わなければHER2陰性乳癌と診断され,本来必要である抗HER2療法を施行する機会を逸してしまう恐れがある[1112]。自験例においても,原発巣がHER2遺伝子増幅陰性,腋窩リンパ節転移巣がHER2遺伝子増幅陽性であり,この不一致の原因としては,原発巣内にあるHER2陽性乳癌細胞がリンパ管を経由してリンパ節に到達,同部位にて増殖したためと考えられる。結果として,原発巣に比べ腋窩リンパ節転移巣にはより多くのHER2陽性の乳癌細胞が含まれており,原発巣とは異なる化学療法の感受性を有していたと思われる。手術摘出標本において原発巣では術前化学療法が著効しているのに対し,腋窩リンパ節転移巣では腫瘍細胞の残存が認められてしまった原因もこの感受性の変化が原因と考えられる。しかし,手術標本における残存腋窩リンパ節転移巣ではEC療法とドセタキセル,トラスツズマブ療法を施行後,免疫染色にてHER2(2+)からHER2(1+)とHER2蛋白の発現している細胞数が減少し,またFISH法にても遺伝子増幅を認めておらずHER2が陰転化しており,もしトラスツズマブを併用していなければトラスツズマブを併用した場合と比較し,より多くのHER2陽性の腋窩リンパ節転移病変が残存していた可能性も考えられる。したがって,原発巣,転移巣両者のHER2の評価を行うことは有用であったと考えられる。また,原発巣においてHER2陽性,腋窩リンパ節転移巣においてHER2陰性の症例においては,腋窩リンパ節転移巣のHER2の評価を行わなければ,HER2陽性乳癌としての治療選択を行うこととなるが,少なくとも転移巣においては抗HER2療法は奏効せず,従って原発巣切除後の術後補助療法において抗HER2療法を行うことは,治療効果の見込みのない,かつ副作用を引き起こす恐れのある薬剤を投与してしまう恐れがある[1314]。このように,同時性腋窩リンパ節転移を伴う原発性乳癌に対しては,原発巣,腋窩リンパ節転移巣ともにHER2の評価を行うことが,より正確な治療戦略を行う上で重要であると考えられる。

おわりに

原発巣と腋窩リンパ節転移巣にてHER2評価の不一致を認める炎症性乳癌の症例を経験した。原発巣ではHER2陰性,腋窩リンパ節転移巣ではHER2陽性であり,術前化学療法としてトラスツズマブを併用し,著明な奏効を得ることができた。

【文 献】
 

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