抄録
農作業にともなうレプトスピラ症感染のリスクを、宮城県とタイ国東北部における過去の流行事例のデータをもとに評価した。同じ農業地帯でありながら、宮城県の流行は10月に際立って多くなる集中型であり、タイ国東北部は雨季の時期で一様に流行する分散型を示した。宮城県の事例では、1959年10月の高リスク地域のリスクは1,600/100,000であり、中リスク地域の3.4倍に相当した。その中リスク地域でさえ、1959年10月のリスクは1960年~1964年同月の平均に比較して2.8倍も高く1959年の流行がいかに大規模であったのかが分かる。一方、タイ国東北部の感染リスクは約50/100,000であり、宮城県の1960年~1964年の中リスク地域のおよそ3割のリスクであった。評価したリスクにもとづいて、両地域の農業従事者を対象に、一人一日の農作業でレプトスピラ菌が皮膚から体内に侵入する菌数を推定した。宮城県で最も大規模な流行が起こった1959年10月の高リスク地域では、10万回の農作業の機会に1,200個の割合で菌が体内に侵入したと推定された。これに対して、タイ国東北部の雨季では10万回の農作業で推定される侵入菌数はわずかに3.5~42個に過ぎなかった。一方、ネズミの生息密度や保菌率、水田の湛水深などの環境条件にもとづいた試算によると、農業従事者は1時間の農作業で4,300個ものレプトスピラ菌に接触する可能性があった。農作業を通じた菌への接触機会に比して体内への侵入個数が極めて少なかった理由として、ヒトの皮膚構造が菌の侵入に対して強固である点が挙げられる。それとともに、水田における水の流れとレプトスピラの挙動に着目すると、ヒトの皮膚表面のごく近傍では水の流れがなくレプトスピラ菌が付着しやすい状態にあるのに対し、皮膚からわずかに離れると菌は流れ方向に容易に輸送され、皮膚に侵入する機会が失われることも、その理由の一つと考えられた。