法制史研究
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論説
三国魏文帝の法制改革と妖言罪の弾圧
古代中国法の一分岐点
石岡 浩
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キーワード: 三国志, 誹謗, 妖言, 曹丕, 高柔
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2010 年 59 巻 p. 1-52,en3

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抄録

本稿は、三国時代の魏の文帝(曹丕)と法術官僚の高柔が議論した「妖謗賞告之法」の改定に関する資料を手がかりに、中国古代における「誹謗」罪と「妖言」罪の歴史的意味、および魏の文帝の制度改革とその目的を明らかにする。
後漢の献帝から禅譲を受けて、文帝が魏王朝を開いたその初年、民間に「誹謗」「妖言」が相次ぐ情況があった。文帝はそれらを死刑に処して、告発者に褒賞を与えていた。それを諫めた高柔は、「誹謗」や「妖言」の告発に褒賞を与える法の廃止を進言する。旧後漢官吏たちの王朝に対する諫言を汲み取り、それを誣告する悪質な魏の官吏を排除せんとしたからである。
ところが文帝は「誹謗」の告発奨励のみ廃止して、「妖言」の処罰は撤回しなかった。それは「妖言」が「謀反」「大逆」に等しく、王朝の滅亡や禅譲を促す要素が含まれていたからである。
かつての秦王朝の「妖言」罪は、神仙思想を説く方術の士が図讖を利用して、王朝の滅亡を予言した発言からなる。また前漢王朝の「妖言」罪は、儒家が讖緯説に則って国家の吉凶を予言した言説からなる。
ところが前漢・後漢交代期に、王莽と光武帝が讖緯説によって皇帝に即位したあと、讖緯説は王朝の正統性を証明する重要な理論となった。そのため後漢時代には、皇帝の簒奪を狙う諸侯王が讖緯説を利用して現皇帝を批判する言説を「妖言」罪として、その処罰をかつてないほど厳重にしていた。
それゆえ三国魏の文帝は、自身が讖緯説によって皇帝に即位したあと、旧後漢官吏たちが讖緯説を挙げて、他の諸侯王が皇帝に相応しいと述べる「妖言」を憎み、それを厳格に死刑に処したのである。ついで文帝は、「謀反大逆」罪の告発を奨励する詔を出し、さらに皇后の外戚が政治に関与することを厳禁する詔も出す。
これら文帝の三つの改革―諸侯王を擁立する「妖言」の弾圧、「謀反大逆」の告発の奨励、外戚の政治参加の禁止―は、王朝の簒奪を促す要素を排除する目的をもつ。これらは魏晋時代の法に継承されて、伝統中国法の発達・展開の初期の分岐点となった。

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