法制史研究
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論説
明治初年の聴訟事務
松江藩郡奉行所文書を手がかりに
橋本 誠一
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キーワード: 聴訟事務, 松江藩, 明治初年
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2012 年 61 巻 p. 1-50,en3

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抄録

筆者は、別稿において、明治初年(王政復古の大号令から廃藩置県までの時期)における中央政府の聴訟事務(民事訴訟)について検討した。本稿は、それに引き続き、当該時期における地方の聴訟事務を分析する。明治初年の裁判・法、とくに地方の聴訟事務は、法制史研究にとって一つのミッシング・リンク(missing link)といえる。かつて石井良助は、司法職務定制(明治五年八月三日)が定められる以前の裁判手続について、「この当時の民事訴訟法の実体は全くといってよいほど不明であった」と述べた。その後の研究の進展にもかかわらず、そうした状況はいまも基本的に変わっていない。そこで本稿は「松江藩郡奉行所文書」を利用して、当該時期における松江藩の裁判機構と民事裁判手続の解明を試みようとするものである。その課題を達成することで、近世法と近代法を一つの流れの中で連続的かつ実証的に把握することできるだろう。本稿は、民事裁判手続を解明するに当たって、二つの民事裁判例を取り上げた。一つは田地売買差縺一件(明治三年)、もう一つは煮売旅籠代銭滞一件(明治三~四年)である。それら裁判例の分析を通して、本稿は、とくに〈近世法と近代法の連続〉という点に関しては次のような仮説を提示した。第一に、大阪・松江間の金銭債権訴訟(金公事)では、明治新政府の諸法令にもかかわらず、近世大坂法が依然として実体法的・手続法的に機能していたという事実を踏まえ、大阪府庁を中心に近畿・中国・四国地方では近世以来の大坂法が一つの相対的に独立した「法圏」として存在し続けていた可能性を示唆した。第二に、近世大坂法における金銭債権訴訟の召喚手続は、藩当局の介入の下で内済成立に向けた処理(返済金の調達、分割弁済案のとりまとめ、家財処分などの強制執行手続など)を行うものでもあったという事実を踏まえ、それは明治期の勧解制度の直接的起源といえるものではないかと指摘した。

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