法制史研究
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論説
ドイツ騎士修道会対ミュールハウゼン市
一四世紀ドイツの国王裁判権と教会裁判権
田口 正樹
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2019 年 68 巻 p. 85-121,en6

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抄録

 本論文は、ドイツ騎士修道会とドイツ中部テューリンゲン地方の国王都市ミュールハウゼン市との間の一四世紀における対立を取り上げて、紛争解決のための諸手段と国王裁判権の活動を確認し、特に教会裁判権との関係で国王裁判権の作動環境の一つの側面に注意を向けようとするものである。ドイツ騎士修道会はとりわけ一三世紀にドイツ各地に多くの所領を獲得し、ミュールハウゼンにおいても有力であったが、王権から比較的疎遠になりつつあったミュールハウゼンの市民団体としばしば対立した。皇帝ルートヴィヒ四世の時代の市内の学校をめぐる両者の対立は、皇帝による騎士修道会のための介入を経て、騎士修道会に有利な形で終わった。皇帝カール四世の時代の市内における死者の埋葬などをめぐる対立では、当初皇帝が委任裁判官に任命した司教によってやはり騎士修道会に有利な判決が下されたが、市側は学識法曹による鑑定意見を得て、マインツ大司教のもとにある教会裁判権への訴えによって対抗した。現地における和解の試みや、アヴィニヨン教皇庁を含む複数の教会裁判所における手続を経て、争いは結局皇帝の仲裁判決によって、市側に有利な形で決着した。こうした紛争の経緯が示すように、ルートヴィヒ四世の時代と対比して、カール四世の時代には教会裁判所への訴えの可能性が存在しており、国王裁判権もそうした環境のもとで作動していたことに注意する必要があろう。

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