日本看護科学会誌
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原著
炎症性腸疾患患者の生物学的治療選択に関する意思決定プロセス
布谷 麻耶鈴木 純恵
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2016 年 36 巻 p. 121-129

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Abstract

目的:炎症性腸疾患患者の生物学的治療選択に関する意思決定プロセスを明らかにする.

方法:Grounded theory approachを用いて,寛解期にある炎症性腸疾患患者20名に半構造化面接を行い,継続比較分析を行った.

結果:分析の結果,炎症性腸疾患患者の生物学的治療選択に関する意思決定プロセスとして【症状軽減を狙った賭けに出るか否か】というコアカテゴリーが抽出された.これは《症状による生活への支障》,《治療の選択・決定に臨む姿勢》,《情報・経験の模索》,《天秤にかける》,《決断》という5つの段階から構成された.《天秤にかける》段階で患者は,『病状の重大性』,『普通の生活への希求』と,『副作用・効果減弱への恐怖』,『後戻りできない』,『最後の切り札』とを比較衡量し,《決断》に至っていた.

結論:患者が生物学的治療に伴う利害にどのように重きを置くかによって,治療選択の決断が異なることが明らかになった.

Ⅰ. 緒言

炎症性腸疾患(Inflammatory Bowel Disease;以下,IBD)とは,消化管に原因不明の炎症を起こし,再燃と寛解を繰り返す慢性疾患の総称で,主に潰瘍性大腸炎とクローン病からなる.患者数は年々増加しており,平成26年度特定疾患医療受給者証交付件数をみると両疾患を合わせて21万人以上が罹患している(難病情報センター,2016).

わが国では,2002年に抗TNF-α抗体製剤がクローン病の治療薬として承認されたのを皮切りにIBDの治療法にパラダイムシフトがみられた.従来は重症度に応じて,軽症であれば5-ASA製剤や栄養療法を,中等症であればステロイド薬を,重症の場合は抗TNF-α抗体製剤や免疫調整剤を,という順で徐々に抗炎症作用が強い薬剤へと変更していくstep-up療法がとられていた.しかし,最近では重症度にかかわらず初めから強力な抗炎症作用をもつ薬剤を導入するtop-down療法の効果が認められ(日比,2010),治療開始時から抗TNF-α抗体製剤による生物学的治療を行うことが増えている.このように新たな治療法によって寛解の導入と維持が可能になることは患者にとって望ましいことである.

しかし一方で,生物学的治療の長期的効果や副作用に関する情報の不透明さ,また同じ疾患であっても症状や治療効果の現れ方に個人差があるために,その治療が自分に適したものなのかを判断し,選択するのは,患者にとって非常に困難な課題であり,そこには多くの不確実性をはらんでいると思われる.IBDの診療ガイドライン(日本消化器病学会,2010日本炎症性腸疾患協会,2011)は策定されているものの,治療に関する認識や選好には医師の間でも違いがある(Byrne et al., 2014Byrne et al., 2007)ことが患者の選択をさらに難しくしている.また,これまでstep-up療法による治療を受けてきた患者にとって,このような治療法のパラダイムシフトを容易に受け入れられるものなのかどうかという疑問がある.Byrne et al.(2014)は,治療に関する認識や選好には患者と医師で違いがあり,医師の良しとする治療法が必ずしも患者が望むものと一致するとは限らないことを示している.

慢性疾患患者の治療選択に関する意思決定について,先行研究ではがん患者を中心に意思決定を場面ではなく,そこに至るまでのプロセスとして捉えているものが多い(Shen et al., 2015Lifford et al., 2015).IBD患者においても5-ASA製剤服用の選択を意思決定プロセスとして示す研究がみられる(Moshkovska et al., 2008).生物学的治療で用いられる薬剤は5-ASA製剤よりも抗炎症作用が強い反面,腸管閉塞や敗血症などの重篤な副作用を起こしやすく,また薬剤に抵抗性を示す患者も多く存在する(日比,2010).しかしながら,患者がどのようなプロセスを経て生物学的治療を受けるか否かの選択をしているのかについて検討した研究は見当たらない.

そこで本研究は,IBD患者の生物学的治療選択に関する意思決定プロセスを明らかにすることを目的とする.なお,本研究における「生物学的治療」とは,IBDの寛解導入または維持目的で抗TNF-α抗体製剤の投与を受ける治療であり,「意思決定プロセス」とは,治療法の決定に至るまでの,患者が自らの病状を認識し,治療に関する情報を収集し,思考し,決定する過程を表すものとした.

Ⅱ. 本研究の理論的前提

IBD患者の生物学的治療選択に関する意思決定プロセスを探求するにあたり,シンボリック相互作用論を理論的前提とする.シンボリック相互作用論は,①人間はものごとが自分に対して持つ意味にのっとって,そのものごとに対して行為する,②このようなものごとの意味は社会的相互作用から発生する,③このような意味は,個人が,自分の出会ったものごとに対処するなかで,その個人が用いる解釈の過程によって扱われたり,修正されたりするという3つの前提から成る(Blumer, 1969/1991).

Rini et al.(2011)は,IBD患者が手術を受けるか否かの選択・決定には家族や友人などの身近な他者が影響することを示している.そこで,本研究では生物学的治療選択においても,患者は自分を取り巻く他者との相互作用を通じて,治療に対して自分なりの意味付けを行い,その意味に基づいて自ら治療法を選択・決定しているという立場をとる.

Ⅲ. 研究方法

本研究のテーマは,患者の意思決定プロセスに焦点を当てており,またシンボリック相互作用論を理論的前提とするものであるため,Grounded Theory Approach(Glaser & Strauss, 1967/1996)を用いることとした.

1. 研究参加者

本研究では,面接調査に耐えうるように寛解期にあり,在宅で生活しているIBD患者(潰瘍性大腸炎,あるいはクローン病と確定診断された者)で,かつ過去に生物学的治療を受けるか否かの選択を検討した経験のある患者を参加者の条件とした.また,特定の医療機関や主治医のもとで治療を受けている患者に偏らないように,関西地区を拠点としたA患者会の会員のうち本研究への協力の同意が得られた者を参加者とした.

2. データ収集方法

半構造化面接を行い,データを収集した.データ収集期間は,2015年6月から2016年1月である.参加者1人に対して26~74分(平均47分)の面接を1回行った.面接場所は,事前に参加者と相談し,自宅や地域の公共施設,喫茶店で行った.なお,喫茶店など公的な場で面接を行う際には,参加者がプライバシーへの懸念を抱くことがなく,静閑な環境が保たれるように入口付近や他者と隣り合う席は避ける配慮を行った.面接内容は,参加者の承諾を得た後にICレコーダーに録音した.半構造化面接では,生物学的治療に対する思い,その治療の選択あるいは非選択の理由,また選択・決定前後の病状や生活について尋ね,参加者に自らの経験を振り返って自由に話してもらった.

面接と分析は同一の研究者が実施した.研究者はIBD患者へのケア経験のある看護師であるが,本研究の参加者に対してケアを提供する立場にはなかった.

3. データ分析方法

Grounded Theory Approach(Glaser & Strauss, 1967/1996)の手法に則り継続比較分析を行った.具体的には,まず参加者数名への面接調査の逐語録を作成し,意味内容に応じて文節または段落単位で切片化し,これら各々を要約した.次に,「患者は生物学的治療を受けるか否かの選択・決定をどのように行っているのか」という問いのもと要約内容を解釈し,概念化した.そして,それらを基に他の参加者から得たデータとの類似性と差異性を比較しながら,分類と抽象化を行い,サブカテゴリーを生成した.続いて,意思決定プロセスを明らかにするために,サブカテゴリー間の関連性を時間的経過に沿って検討していくと,いくつかの段階に統合された.この各段階の内容を表すものをカテゴリーとして生成した.さらに,すべてのカテゴリーの内容を踏まえて,より抽象度の高いコアカテゴリーを生成した.

参加者のサンプリングは,まずなるべく幅広い状況や条件のもとで生活している患者からデータを収集することを目的に,性別,年齢,疾患,罹病期間,治療状況の点から背景の異なる対象となるようにサンプリングを行った.その後,データを分析し,生成したカテゴリーに含まれると予測されたパターンや特性の観点から理論的サンプリングを行った.分析過程において20名の分析終了後,新たなカテゴリーが見出せず,カテゴリー間の関係性を十分に説明できる統合図が完成したため,飽和化に達したと判断し,分析を終了した.

研究の真実性を確保するために,分析の全過程を通じて質的研究および慢性期看護学に精通した専門家からスーパーバイズを受けた.また,参加者に分析結果について意見を求め,それらを結果に反映することにより妥当性の確保に努めた.

4. 倫理的配慮

本研究は天理医療大学研究倫理審査委員会の承認を得て実施した(承認番号第78号).研究者がA患者会会長から研究協力への承諾を得た上で,全会員へ文書で研究協力を依頼した.協力の返信が得られた会員に対して,研究者から研究の趣旨,データ収集方法,研究参加の任意性と途中辞退の自由,匿名性の保持,データの管理と破棄方法,研究目的以外でのデータの使用禁止,結果の公表方法等について文書と口頭で説明し,同意書に署名を得た.また,面接中にお手洗いを希望する場合は途中退席が可能であること,体調が悪化した場合は遠慮せずに研究者に申し出ることを参加者に文書と口頭で説明した.

Ⅳ. 結果

1. 研究参加者の概要

研究参加の同意が得られた参加者20名の概要を表1に示す.面接調査時点で生物学的治療を受けていた患者は10名であった.

表1 参加者の概要
コード 年齢 性別 病名 罹病期間(年) 主な薬物療法注1 生物学的治療期間(年)
A 50歳代前半 クローン病 36 インフリキシマブ 7
B 50歳代後半 クローン病 33 メサラジン 0
C 50歳代前半 潰瘍性大腸炎 4 インフリキシマブ,メサラジン 3
D 60歳代前半 潰瘍性大腸炎 9 アダリムマブ,プレドニゾロン,メサラジン 2
E 40歳代前半 潰瘍性大腸炎 2 メサラジン 0
F 60歳代前半 潰瘍性大腸炎 5 インフリキシマブ,メサラジン 2
G 40歳代後半 クローン病 11 インフリキシマブ,アザチオプリン,メサラジン 3
H 50歳代前半 クローン病 31 メサラジン 0
I 30歳代後半 クローン病 10 アザチオプリン,メサラジン 3注2
J 50歳代後半 潰瘍性大腸炎 13 インフリキシマブ,メサラジン 6
K 40歳代前半 クローン病 12 アダリムマブ,メサラジン 4
L 40歳代後半 クローン病 27 なし 0
M 50歳代前半 クローン病 16 メサラジン 0
N 50歳代前半 クローン病 36 メサラジン 0
O 50歳代前半 クローン病 26 インフリキシマブ 8
P 50歳代前半 クローン病 30 メサラジン 0
Q 40歳代前半 クローン病 15 インフリキシマブ,アザチオプリン,メサラジン 3
R 50歳代前半 クローン病 10 メサラジン 0
S 40歳代後半 クローン病 1 メサラジン 0
T 20歳代前半 クローン病 1 インフリキシマブ 1

注1:生物学的製剤を下線で示す.

注2:過去にインフリキシマブとアダリムマブの生物学的治療を受けたが,効果減弱と副作用出現のため,現在は 中止している.

2. ストーリーライン

分析の結果,1つのコアカテゴリーと5つのカテゴリー,12のサブカテゴリーが生成された.以下,ストーリーラインを示した上で,プロセスの構成概念について詳説する.なお文中では,コアカテゴリーは【 】,カテゴリーは《 》,サブカテゴリーは『 』,データの例示部分は斜体文字で示す.

IBD患者の生物学的治療選択に関する意思決定プロセスは,患者が自分の身に起こった症状に対して,主体的に治療に臨む姿勢を示し,医師から得た治療に関する情報と同病者および自身の経験をもとにして,その治療による利害について比較検討を行ったうえで,一か八かの決断をする【症状軽減を狙った賭けに出るか否か】のプロセスであった.このプロセスは,《症状による生活への支障》,《治療の選択・決定に臨む姿勢》,《情報・経験の模索》,《天秤にかける》,《決断》という5つの段階から成る.

第1段階の《症状による生活への支障》は,疾患に伴う身体症状の自覚から始まる.それが増強して生活への支障が生じることをきっかけとして,患者は治療に向かうこととなる.その際の《治療の選択・決定に臨む姿勢》として,『医師に委ねる』患者は以降,医師の指示する治療に従う.一方,医師と『二人三脚』で決める,あるいは『決めるのは自分』という姿勢の患者は以降,治療に関する《情報・経験の模索》を行うようになる.この際,『医師の意見』が患者にとって重要な情報源となる.また,病気や治療に関する『同病者と自身の経験』も重要な参照元となる.そして,患者はこのような情報・経験をもとに治療に伴う利害を《天秤にかける》という比較衡量を行う.患者は『病状の重大性』,『普通の生活への希求』を感じる程度が大きいほど生物学的治療を選択し,『賭けに出る』という《決断》をする.逆に,『副作用・効果減弱への恐怖』,『後戻りできない』,『最後の切り札』を感じる程度が大きいほど生物学的治療を選択せずに,『手は出さない』という《決断》をする.

図1

炎症性腸疾患患者の生物学的治療選択に関する意思決定プロセス

3. プロセスの構成概念

【症状軽減を狙った賭けに出るか否か】

これは,患者が自分の身に起こった症状に対して,主体的に治療に臨む姿勢を示し,医師から得た情報と同病者および自身の経験をもとにして,生物学的治療に伴う利害について比較衡量を行い,リスクを引き受けた上で治療の効果に賭けてみるか否かの選択・決定に至るまでのプロセスを表すものである.

《症状による生活への支障》の段階

これは,IBDに伴って腹痛や下痢,下血等の身体症状が現れ,症状の程度や頻度が増強することで患者の日常生活に悪影響が及ぶことを表すものである.

すごい体重が減ってきて,もうご飯が食べれなくなって.すごい下痢がひどくって.お水とか飲むだけでもトイレに駆け込んで何も手につかない状態だったので.(参加者K)

《治療の選択・決定に臨む姿勢》の段階

これは,前段階で症状によって生活に支障をきたすために患者が治療を受けることが必要と判断した上で,その治療の選択・決定を誰が行うのかという主体に対する患者の考えや態度を表すものである.選択・決定を行う主体に応じて『医師に委ねる』,『二人三脚』,『決めるのは自分』の3パターンがみられた.

『医師に委ねる』

これは,患者が自分の受ける治療の選択・決定を医師に任せることをさす.これには,医師を信頼して積極的に委ねる場合と,自分の知識が乏しいために医師に任せざるを得ない場合の両方が含まれる.特に罹病期間が短い患者に後者の医師への消極的なお任せ姿勢がみられた.

医者から「最初は一般的にレミケードから入る」って言われて,とりあえずそれに従ったというかたちで.まだ全然,何があるかというような治療法がちょっとわからなくって,医者に任せっきりという状態だったですね.(参加者T)

『二人三脚』

これは,自分の受ける治療を医師と相談して一緒に選択・決定するという患者の態度や信念を表す.これには信頼できる医師の存在が必要条件であった.

ずっと治療を続けていくうちに二人三脚じゃないけれども,一緒に治していってるみたいな感じになってきたんで.(参加者C)

『決めるのは自分』

これは,受ける治療の選択・決定を行うのは自分自身であるという患者の態度や信念を表す.特に,過去に薬物療法の副作用で苦しんだ経験のある患者ほど自己責任の覚悟を引き受けた上での自己決定を重視していた.また,患者は自己決定を行うためには病気や治療に関する知識の習得が必要と考えていた.

やっぱり自分主体で決めていかんといけんもんやと思うんで,自分の勉強量も知識も必要かなあと思いますね.言いなりでは,医者のね,言われた通りにね,やっていくと,誰も責められないじゃないですか.そこに自分の意思を,気持ちを入れていくことで,一つ納得する部分になると思うんで.特にイムランはやっぱり自分で深く考えずに,言われたままにやったんで.そこは正直自分にも納得いかんかったですね.それまでは悪くなっても薬を飲んどけば抑えられるって思ってたんですけど,抑え込むのにこんなに苦しいんやったら,抑えん方がええわって逆に思ったぐらいやったんで.(参加者E)

《情報・経験の模索》の段階

これは,前段階において『二人三脚』,あるいは『決めるのは自分』という《治療の選択・決定に臨む姿勢》を示す患者が,生活に支障をきたす症状を軽減するために治療に関する情報や経験を模索・収集し,自分の状態と照らし合わせてみる能動的な対処行動を表すものである.

『医師の意見』

これは,治療に関する医師の方針や所見,考えを表すものである.これには,患者個々の生物学的治療の適否に関する主治医からの直接的な意見だけでなく,インターネットや書籍,医療講演会等を通じて見聞きした専門医からの間接的な意見も含まれる.

〇〇先生はレミケードとかあんまりしないタイプだったんで.「しろ」って言われたことも1回もなかったんで.先生は栄養療法が中心なんで.(参加者B)

『同病者と自身の経験』

これは,IBDですでに生物学的治療を受けている,あるいは受けたことのある同病者の治療に関する経験談や意見,また病気や治療に関する患者自身の経験やそこから得られた治療に関する考えや信念を表すものである.罹病期間の長い患者ほど,その内容は豊富であり,確固たる考えや信念を有していた.

その食事会でお酒飲む方も結構いてたんですよ,同じクローン病でも.聞いたら,やっぱり「レミケードしてる,レミケードいい」ちゅう話で.(参加者G)

はじめはわけがわからないし,お医者さん,神様みたいに思って,病院に行ったら治してもらえるもんぐらいに思ってたから.それがいろんな経験して,痛かったり怖かったりで.やっぱりそうなると予防線をどんどん張っていくようになるし.「早めに言っとかんと.こうしとかんと」っていう頭がどうしてもいっちゃうから.(参加者P)

《天秤にかける》の段階

これは,患者が収集した情報・経験をもとにして生物学的治療に伴う利害を比較衡量することを表すものである.

『病状の重大性』

これは,患者が現在の症状や今後起こり得ると予想される症状から自らの病状をどれくらい重症であると認識しているかを表すものである.病状が重いと認識する患者ほど,生物学的治療を受ける必要性を感じていた.逆に,たとえ医師から治療を勧められても,患者自身はそれほど病状が悪くないと感じていれば,治療を拒否していた.

3回目のオペ後に「(生物学的製剤を)使いますか?」って言われて,「使ってた方が予後いいですよ」って言われたんですけど,「別に今は切ってスッキリしてるし,必要ないやん」って思って,それでその先生と喧嘩もしたんですけど.(参加者L)

『普通の生活への希求』

これは,患者の病気や治療による制限のない生活を送りたいという望みを表すものである.患者は,特に食事と就業に関して健常人と同様の生活を望んでいた.

今はラーメンとか食べられないけども,「レミケード始めたら食べてやるぞ!」みたいな.(参加者M)

『副作用・効果減弱への恐怖』

これは,患者が生物学的治療に伴って自分の身に起こり得る副作用について,また,治療によりたとえ望ましい効果が得られたとしても,その効果が長期間続かないのではないかと懸念し,それらを恐れる感情である.

がん化の問題がどうしても払拭できないんで.スタディではきちんとそんなことないよという結論になっているのかもわかんないですけども.(参加者H)

『後戻りできない』

これは,生物学的治療の効果や副作用の現れ方が患者個々で異なる不確かな状況で,一旦治療を開始すれば,治療前の状態には戻れないことを危惧する患者の気持ちを表す.生物学的製剤は免疫系に作用する薬剤であるため,一旦治療を開始すると,患者は生涯にわたって治療を受け続けなければならない.そのような負担感もこのサブカテゴリーには含まれる.

一旦始めちゃったら後戻りがきかないじゃないですか.だから,今はじっと我慢みたいな.(参加者M)

『最後の切り札』

これは,患者の生物学的治療を今後,病状が悪化し,他に治療の手立てがなくなった際に使える最後の選択肢としてとっておきたいという気持ちをさす.特に病歴の長い患者ほど,この気持ちを表現した.

よっぽど何か切羽詰って,「もうこれしかない!」って時に切り札みたいな,そんな使い方だったら使えるのかなって.(参加者L)

《決断》の段階

これは,治療に伴う利害を比較衡量した結果,患者自らが下す生物学的治療を受けるか否かの選択・決定を表すものである.

『賭けに出る』

これは,生物学的治療に伴う利害を比較衡量した結果,生物学的治療による症状の軽減や消失を期待し,選択に悩んでいる間に病状を悪化させるよりは,一か八か試しに治療を受けてみようという患者の決断を表す.前段階の《天秤にかける》において,『病状の重大性』,『普通の生活への希求』の方を,『副作用・効果減弱への恐怖』,『後戻りできない』,『最後の切り札』よりも重く感じる患者が,この決断を下した.

実際いろいろ試す前は迷いはしましたけど,いくら迷っても結局やってみないとわからないんですよね.人の話なんぼ聴いても,実際自分がそれを使ったところでどうなるかっていうのはやっぱりやってみないとわからないんで.早い段階で,迷って迷って引きずって悪くなるよりは.(参加者Q)

『手は出さない』

これは,生物学的治療に伴う利害を比較衡量した結果,リスクを冒してまで生物学的治療は受けないという患者の決断を表す.前段階の《天秤にかける》において,『副作用・効果減弱への恐怖』,『後戻りできない』,『最後の切り札』の方を,『病状の重大性』,『普通の生活への希求』よりも重く感じる患者が,この決断を下した.

賭けみたいなことはしたくない.今のとこは賭けはしない,そう思ってます.(参加者R)

Ⅴ. 考察

1. IBD患者の治療選択に関する意思決定プロセス

本研究により,IBD患者の生物学的治療選択に関する意思決定プロセスとして,5段階からなる【症状軽減を狙った賭けに出るか否か】のプロセスが抽出された.印南(1997)は我々が行う意思決定について,「メタ判断」,「意思決定プロセス」,「結果と評価」の3つの部分からなるモデルを示している.「メタ判断」とは,これから行う意思決定自体についての予測判断であり,問題の定義,予測される結果,情報収集の程度が含まれ,これらに基づき意思決定に対する予備的な期待と意欲レベルが設定される.「意思決定プロセス」では,「メタ判断」で収集した情報と記憶にある情報とを用いて,予測や判断を行い,情報やデータに意味付けをし,選択肢を生成し,推論を行い,意思決定に至る.本研究における《症状による生活への支障》,《治療の選択・決定に臨む姿勢》,《情報・経験の模索》の段階は,印南(1997)のモデルの「メタ判断」に該当する.続く《天秤にかける》,《決断》の段階は,「意思決定プロセス」に該当する.乳がん患者の治療選択の意思決定を質的に分析した研究(Lifford et al., 2015)においても,本研究で抽出されたカテゴリーと類似した結果が示されており,本研究で明らかになった意思決定プロセスの流れとカテゴリー結果は,他の慢性疾患患者を含め広く人々が行う意思決定プロセスと共通しているといえる.

しかしながら,本研究の《天秤にかける》段階で示したサブカテゴリー結果は,これまで十分に明らかにされていなかった,IBD患者が治療選択にあたって比較衡量する利害の詳細を新たに示したものであり,ここにIBD患者に特徴的な治療に対する意味付けが表れていると考える.

2. 治療への期待とリスクの意味付け

患者の生物学的治療を受けるか否かの《決断》に直結するものは《天秤にかける》段階の治療に伴う利害の比較衡量であった.『普通の生活への希求』の結果から,患者は病気を抱えながらも可能な限り普通の生活を送ること,治療中心の生活ではなく,生活中心の治療を望んでいると考える.患者は,特に食事と就業に関して健常人と同様の生活を望んでいた.IBDは20歳前後に好発するため,患者の多くは就業や食事を通じた他者との関わりに困難を抱えている(Ito et al., 2008吹田・鈴木,2007).Hall et al.(2005)は,IBD患者の生活経験を「Normalityを維持するための闘い」としている.『普通の生活への希求』を重視する患者にとって,生物学的治療はそのような「Normality」の獲得と維持を実現化するための手段として存在すると考えられる.また『病状の重大性』の結果は,病状が重く,やむにやまれぬ切実感が伴わなければ,患者は生物学的治療の必要性を感じにくいことを示している.逆に,医師から生物学的治療を勧められなくても,患者自身が症状を軽減したいという切実感を強く感じていれば,賭けに踏み切っていた.このような患者は生物学的治療に伴う効果の不確実性に対して『賭けに出る』といえる.したがって,『賭けに出る』患者にとって生物学的治療は,それを受けることで病をコントロールし,普通の生活が送れるかもしれないと期待し,望みを託しうる現実的な対処手段として意味付けられていると考える.

一方,『副作用・効果減弱への恐怖』の結果から,たとえ出現頻度が低く,安全性を保障するエビデンスが示されていても,その患者にとって生死に関わるような重大な副作用であれば,患者は治療の選択を踏みとどまっていた.また『最後の切り札』の結果からも,患者にとっては今起きている症状への対処だけでなく,次に再燃した際に使える治療の選択肢が残っているかが重要であるといえる.患者は生物学的治療の効果に期待を寄せる反面,賭けに出た結果,副作用や効果減弱を起こし,以降にその治療が受けられなくなる,さらには他に治療の手立てがなくなるという事態を最も危惧し,恐れているのではないかと考える.特に病歴の長い研究参加者ほど,生物学的治療を『最後の切り札』として捉えていたことから,これまでstep-up療法による治療を受けてきた患者にとっては,生物学的治療の選択は未だにリスクが大きく,病に対処する最終手段として位置付けられていると考える.

3. 看護実践への示唆

本研究結果から,看護師は,意思決定プロセス全体の中での現在の患者の状況や段階に応じた援助を行うことが可能となる.《症状による生活への支障》により受診してきた患者に対して,まずは《治療の選択・決定に臨む姿勢》を見極める.特に『医師に委ねる』姿勢を示す患者では,それが医師に対する信頼からくる積極的なお任せなのか,知識不足からくる消極的なお任せなのかを見極め,後者の患者であれば,医師と協同で患者の理解状況を確認しながら病気や治療に関する十分な情報を提供し,患者自身で意思決定プロセスを歩めるように支援することが重要である.《情報・経験の模索》の段階では,患者が誤った情報や偏った情報に振り回されないように医学的に正しい情報を提供すること,また医療者の意見のみならず,同病者の治療経験談を見聞できる場や媒体を紹介,提供することも必要であろう.《天秤にかける》段階では,治療への期待とリスクへの恐怖の狭間で苦渋の選択を迫られる患者の状況を理解し,揺れ動く患者の気持ちを受け止める.そして,治療に伴う利害を個々の患者とともに考え,整理していく.その結果,患者が下した《決断》には,その患者なりの意味付けがあることを理解し,それを尊重する関わりが必要であると考える.

Ⅵ. 研究の限界と今後の課題

本研究の参加者は,全員が患者会会員であり,IBDの罹病期間が平均約16年と比較的長期であったことが結果に影響を与えている可能性がある.したがって,今後は患者会に入会していない患者にも研究協力を募り,調査と分析を継続し,意思決定モデルをより洗練していく必要がある.

Ⅶ. 結語

Grounded Theory Approachを用いて,寛解期にあるIBD患者20名に面接調査を実施し,分析を行った結果,患者の生物学的治療選択に関する意思決定プロセスとして【症状軽減を狙った賭けに出るか否か】のプロセスが明らかになった.それは《症状による生活への支障》,《治療の選択・決定に臨む姿勢》,《情報・経験の模索》,《天秤にかける》,《決断》という5つの段階から構成された.

患者の《治療の選択・決定に臨む姿勢》として,『医師に委ねる』,『二人三脚』,『決めるのは自分』の3パターンが明らかになり,このうち,『二人三脚』と『決めるのは自分』パターンをとる患者のみ,意思決定プロセスを辿っていた.

《天秤にかける》段階では,『病状の重大性』,『普通の生活への希求』と,『副作用・効果減弱への恐怖』,『後戻りできない』,『最後の切り札』とを比較衡量し,前者の方を重視する患者が『賭けに出る』《決断》をしていた.

謝辞:本研究の趣旨をご理解くださり,快く面接調査に応じてくださいました研究参加者の皆様に心よりお礼申し上げます.本研究はJSPS科研費JP15K20722の助成を受けて実施しました.

利益相反:本研究における利益相反は存在しない.

著者資格:NMは研究の着想から最終原稿作成に至るまで,研究プロセス全体に貢献した.SSは研究の分析,原稿への示唆および研究プロセス全体への助言に貢献した.すべての著者は最終原稿を読み,承認した.

文献
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