目的:しびれている身体がどのように経験されているのかを,“他人みたい”と表現されることに着目し記述的に開示する.
方法:Merleau-Pontyの身体論を思想的背景とした現象学的手法を用い,中枢神経障害によるしびれを経験していた4名から得た参加観察記録を分析,記述した.
結果:他人みたいという違和感を含む経験は,しびれにより生じるからだの手応えの変容,日々の行為可能性が保証されない不安定さ,自ずと動いていた自分のからだではなく,自分のからだを自分で指示するという,指示し動かすからだでの日常生活から成っていた.
結論:しびれている身体は,“私という身体”としてここに居るという,身体として感じていた確かさが揺らぐ経験であった.生活援助を通して患者の身体経験に関心を寄せ身体について共に考えることで,患者にしかわからないとされていたしびれを,共有可能な次元に近づける可能性があることが示唆された.