Journal of Japan Academy of Nursing Science
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The Significance of Living as Child Survivors of the Great Hanshin-Awaji Earthquake of 1995: Focus on People Who Had Been Affected When They Were in the Higher Grades of Elementary School and Have Lived Since Then without Medical Intervention
Kanae TanakaYoshiko Sasaki
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2021 Volume 41 Pages 494-502

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Abstract

目的:本研究は,学童後期に阪神・淡路大震災で被災した後,震災に関連したことで医療的介入を受けてこなかった人々の多様な人生の理解を通して,被災経験がある人として生きていく上での長期的経験とその意味を明らかにすることを目的とした.

方法:2017年6月~2018年9月に4名の参加者に4回ずつインタビューを行い,テーマ分析によって参加者の経験に共通するテーマを生成した.

結果:被災経験がある人として生きることの意味は〈心身ともに安心安全な居場所の追求〉〈生死に関する価値観の醸成〉〈社会との調和のために語られない被災経験〉〈真剣な聞き手と共に被災経験に向き合う〉〈他者の経験の理解志向〉の5つのコアテーマから構成された.

結論:被災児童たちが自分らしくいられる居場所の確保などの災害直後の支援が震災の前向きな意味づけに寄与すること,および,いまだ被災経験を語らず心理的回復が達成されていない人々への中長期的看護支援の必要性が示唆された.

Translated Abstract

Objective: This study aimed to describe the significances of the post disaster long-term experiences as child survivors of the Great Hanshin-Awaji Earthquake of 1995 through an understanding of the diverse life stories of those who had been affected by the Earthquake when they were in the higher grades of elementary school and have lived since then without medical intervention.

Methods: Face-to-face interviews were conducted with four participants from June 2017 to September 2018, and a thematic analysis was made to generate core themes expressing commonalities among the experiences of the participants.

Results: Five common core themes were identified as the significances of the post disaster long-term experiences as child survivors: <Searching for a safe and secure place of their own>, <Developing a perspective on life and death>, <Suppressing disclosure of the disaster experience while trying to blend into society>, <Facing the disaster experience with the help of an earnest listener>, and <Aspiring to understand the disaster experiences of others>.

Discussion: The results indicate that the acute phase nursing support needs to include securing a place where child survivors can be themselves which will contribute to assessing the significance of the disaster positively, and that the long term phase nursing support for those who have not yet talked about their disaster experience and have not achieved psychological recovery is needed.

Ⅰ. 序論

2010年以降,世界中で毎年1億7,500万人の子どもが自然災害の被害にあう可能性が報告されている(UNICEF, 2011).一般に子どもは環境の変化に適応しやすいが(関根・筒井,1996),災害に対して脆弱(Wisner et al., 2002)とも言われる.保健医療領域では,異常な状況下における正常な反応という位置づけの中,災害が子どもに及ぼす影響の中でも特に心の反応について発達段階別に明らかにされてきた.中でも小学校低学年児童は災害を十分に理解できず不安や恐怖でパニックに陥りやすい一方,高学年児童は永久的喪失を理解できるが,複雑な思いを話せず反発し孤立感をつのらせ内閉的になる傾向がある(高橋,2013).理解しているが話せない学童後期児童は援助希求が周囲に伝わりづらい世代と言える.また石本(2016)は,阪神・淡路大震災(1995)を小学6年生で体験した子どもが,避難所で「被災者という役割を与えられ」経験した「恥辱感」を,そのあまりの深さに表現できず,16年間心の奥にしまっていたことを報告している.さらに田中ら(2020)は,同震災を10歳前後で経験後も医療的介入を受けず「自らを深刻な被災はしていないと位置づけた」人々が,被災時の経験を語ることを遠慮しながら成長していたと報告している.このような言語化への抵抗の傾向が影響してか,学童後期に大震災を経験した人々が災害をどのように理解しその後20年以上もの間それをどのように扱かっているのか含め,被災経験がある人としてどのような経験をしているのか,またその過程で保健医療ニーズが無かったのかについては十分に探究されてこなかった.特に医療にアクセスすることのなかった被災児童は学校卒業後のフォローが難しく,中長期的な看護支援体制の必要性は十分に議論されていない.

阪神・淡路大震災以降も多くの地震災害が国内で起きたが,援助希求を言語化しづらい児童が今後どのように健康に大人まで成長するのかは共通の懸念である.よって本研究では,学童後期に阪神・淡路大震災で被災後に医療的介入を受けなかった人々を対象とし,かつての被災児童の被災に関する出来事を断片的に聞き取るのではなく,被災経験がある人の人生という文脈上で震災に関する経験やその意味を理解し,被災児童への中長期的看護支援についての示唆を得ることとした.

Ⅱ. 研究目的

本研究の目的は,学童後期に阪神・淡路大震災で被災した後,現在まで震災に関連したことで医療的介入を受けてこなかった人々の多様な人生の理解を通して,被災経験がある人として生きていく上での長期的経験とその意味を明らかにすることである.

Ⅲ. 研究方法

1. 研究デザイン

本研究は,語り手が「何を語ったのか」という語りの内容だけでなく,「いかに語ったのか」と語りの過程にも注意をはらう「対話的構築主義アプローチ」ライフストーリー研究法(桜井,2005a)に基づいた質的記述的研究とした.

2. 研究参加者

参加者は,学童後期に,阪神・淡路大震災を震度6以上を記録した場所(気象庁,1997)で体験し,震災に関連した心身の変化への専門的治療的介入を受けた経験がない人とした.現在の心身の健康状態に何らかの不調があり治療的介入を受けている人は除外した.人間の経験の多様性を示しながら詳細を追究していくことを目的とするため,参加者は少人数の4名とした.複数の研究者の推薦する同震災の被災者と関わりのある研究協力者から紹介された参加候補者に研究協力を依頼し,同意を得た.

3. データ収集方法

2017年6月~2018年9月に,参加者の自宅や職場近辺などで,一人あたり数ヶ月おきに4回個別に面接を行い,データを収集した.初回は,「震災当日のことで覚えていることを教えてください」という質問から始め,家庭環境,小学校から現在の生活にいたるまでの震災に関連する出来事と主要なライフイベントを参加者の主体性を重視しながら語ってもらった.2回目以降は,参加者にとっての経験の意味や社会的背景を理解するため,あらかじめ前回分の逐語録を郵送やメール送付して誤りがないか確認してもらい,前回に語られたことの振り返りをしながら,各出来事の詳細な背景,行動や感情の理由や意味,出来事の意味的つながり,他者との交流や比較に関する内容に焦点化していった.インタビューは許可を得て録音した.

4. データ分析方法

データはテーマ的ナラティヴ分析の手法(桜井,2005bRiessman, 2008/2014)を用い分析した.まずインタビュー録音データから沈黙や聞き手と語り手の発話の重なりなど,対話の相互作用的文脈を含めた逐語録を作成した.参加者の属性や挨拶にあたる語り以外はすべてデータとした.語りの意味を解釈しながら,語りの内容や過程のプロット(出来事の順序)と意味的繋がりが明確になるようにストーリーを再構築した.各回の分析終了後,参加者による内容の確認を行い,さらに複数回分を統合して各参加者のストーリー全体を時系列と意味的繋がりが明らかになるよう再構築した.解釈の妥当性を参加者や質的研究の経験豊富な研究者と確認し,被災経験がある人としての長期的経験としての意味をなさないと判断したものは削除後,ストーリーの話題の共通性ごとにテーマを生成した.さらに,4名のライフストーリーのテーマと内容を繰り返し読み,参加者間に類似するテーマをカテゴリー化し,そのカテゴリーのストーリーを表現する「コアになる」(桜井,2005b)テーマを付与した.

5. 倫理的配慮

本研究は東京医科歯科大学医学部倫理審査委員会の承認を得た(承認番号M2016-326).調査前に,個人情報保護と匿名性の保持,研究協力中止の自由について,口頭と書面で説明し同意を得た.プライバシー保護と心理的負担に考慮し,調査は参加者の希望する場所で行い,被災時の恐怖体験に焦点を当てる目的ではないことを説明した.研究参加したことは本人以外が知り得ないようにし,各自のライフストーリーの内容の公表の許可を得た.

Ⅳ. 結果

1. 参加者のプロフィールとライフストーリー

1回のインタビュー時間は80分前後で,データから再構築された参加者のライフストーリーは,各々A4用紙31~32枚に及び,13~16個のテーマ(図1)から構成された.参加者のライフストーリーの概要とプロフィールを記述する.全員被災時は小学6年生で,年齢情報は初回インタビュー時のものである.

図1 

参加者のライフストーリーのテーマとライフイベント

Pさん:35歳女性.A市内の震度7を記録した地域で被災.自宅が全壊し転々と避難したが,友人と一緒に楽しく過ごせた.しかし友人と別れ,母親の実家のある県内別市へ転居した先の中学校でいじめに遭い,辛い思いをした.震災のことも含めてネガティブなことは両親には言いづらい関係性で,辛いことにはフタをして「大丈夫」と自分に言い聞かせながら過ごしてきた.大学へ進学し,一度は児童養護施設の職員になろうと奮闘したが叶わず,一般企業に就職した.6年目に結婚を機に退職,現在は2児の母である.母親になったことで実母の苦労が理解できるようになり,さらに今回の研究参加もきっかけとなり,実母と震災について語ることができていた.

Qさん:35歳女性.Pさんと同じA市内の震度7を記録した地域で被災.自宅が半壊したため一時避難所生活を送り,A市内の別の場所へ転居した.震災で幼馴染たちと引き離されて内心混乱した時期もあったが,両親が被災前と同じ生活を続けられるように様々配慮してくれたこともあり,徐々に新しい環境に慣れていった.短大卒業後は長年の夢だった保育教諭として5年間働いた.その後結婚し現在もA市内に住み,2児の母である.積極的に被災経験を語ってきたわけではないが,震災が起きた時間が違えば自分も死んでいたかもしれないと思うと,子どもや他の人たちと被災経験を共有することが生かされていることの意味だといまは感じている.

Rさん:35歳男性.B市内の震度6を記録した地域で被災.住んでいたマンションを縦に割く亀裂が入るほど強い横揺れだった.数日避難所生活を送り自宅に戻ってからは,余震に怯えながらも直後に控えていた中学受験に集中するなど,大学卒業まで学歴社会に揉まれて成長した.31歳で結婚し,2児の父,現在は神戸市内の企業に勤める.避難所で見た人々の助け合いの様子が忘れられず,窮地で本当に役に立つのは人間の心の繋がりと自律性であるという信念があり,関東圏での大学時代に震災経験を聞かれた時もそのように話していた.子どもにも同じように伝えていきたいと考えている.

Zさん:35歳男性.C市内の震度7を記録した地域で被災.自宅は半壊で避難所生活を送った.自宅は修復できたが,周辺は壊滅状態で長年更地のままだった.こんな更地に人が戻ってくるのだろうかと,復興が進まず不安に思っていたが,震災10年目に区画整理と実家再建が完了したことは一つの気持ちの区切りであった.長年震災には向き合えずにいたが,社会人になってようやく親しい同僚に被災について語る機会があり,それが震災を受け入れる転機となった.海外留学も経て,現在は神戸市内の企業勤め.30歳で結婚し,2児の父である.災害にあっても必ず生き残るという強い意志があり,諦めない真剣な備えが町全体でできてこそ被災地の復興であると考えている.

2. 医療介入なく被災経験がある人として生きることの意味

4名に共通するコアテーマは5つであった.生データ内の()は,発話では省略された名詞などの補足である.

1) 〈心身ともに安心安全な居場所の追求〉

参加者たちの震災経験の始まりは,強烈な揺れ,自宅の損壊,迫りくる火災などの恐怖体験と,その直後に親や近所の大人に守られ安全な場所へ移動したことだった.頑丈で多くの人が集まる避難所は,被害を受けた自宅よりも安全で,友人や優しい大人がいるため安心できる居場所だった.中には避難所から出る時期になっても,親と口論になるほど離れがたく感じた参加者もいた.

“Z:3ヶ月後には家に戻ってたと思います.最初はね,戻るの嫌なんです怖くて.で,もういいよ家で寝てもってなってたんですけど,兄貴とかは家で寝るっていうのしてましたけど,僕はなんかまだ戻るの怖くて,避難所で寝たいって言って.”“R:そこはね,心地よさと死の恐怖のせめぎ合いみたいな.こっちとしては,死んだらどうしてくれんねん,余震で(家が)倒れたらどうすんねん,みたいな感じで,(避難所を出るのは)絶対いやって言ってたのと,かたや(親は),それはどうでもいいからとにかくゆっくりしたいっていう.”

親たちは震災直後から仕事へ行き,周りの人と協力して生活再建に勤しみ,子どもたちに弱気な様子を見せなかった.一方参加者たちは避難所を出たあと,自分らしくいられる人間関係や安心できる環境が整った居場所を奪われ,孤独,恐怖,悲しみなどを経験しながら新たな居場所を求めることとなった.例えば親友が震災で転居してしまったQさんは,「ありのまま」の自分でいられる居場所を失った.旧知の親友とたまの電話でつながりを確認しつつも,人知れず混乱しながら新たな自分になろうと必死になりながら友人関係を再構築した.

“Q:ある意味,価値観が変わるというか.ありのままでもわかってくれる友達がいたのが,また変わったわけで.自分変わっていかなくちゃ,頑張っていかなくちゃっていう感じですかね.……必死やったような気がします,色々.”

県内別市の中学へ入学したPさんは,よそ者ということで一年間いじめに遭った.地元の友人と電話したり,いつも楽観的な父が「そのままでいいんだよ」と味方してくれたことが支えとなった.その後,新たな友人はでき楽しく過ごしたが,納得できる居場所は成人期まで見つからなかった.

“P:バカにされてましたね,「地震で家潰れたー」みたいな.父が「いいやん友達おらんくても,ずっと味方やから」みたいな感じで言ってくれたから.あ,そっか,別に友達とかいなくてもいっかーって思って,そこでだいぶ強くなれましたね.(略)地震で,なくした物が多いと思ってて,今は思わないですけど,高校くらいまで.すごい,模索というか,取り戻したいとか,色んなものを.でも(被災した)A市にも全く居場所がないていうのがわかってたんで.”

2) 〈生死に関する価値観の醸成〉

参加者たちは,震災で自分も死んだかもしれなかったという経験や,知人やその他大勢の人々の死に初めて触れた経験をしたことで,何かのきっかけで突然明日にでも日常生活や命を失うかもしれない,その時が来たらそれは避けられない,と考えていた.そして,失った日常,命は元には戻らないので,後悔しないよう人間関係を大切にして生きたいとも考えていた.

“P:震災の時に,死体というより周りにいた人がめっちゃ泣いたりしている姿を見て,たぶんその時初めて死ぬこととか,こういう風になるんだって,こういう風に簡単に人って死ぬんやみたいな.”“Q:毎日,今日もより良く生きよーではないですけど.無駄にしちゃいけないなというか(略)そういうこと(突然死ぬこと)もありえるかもしれないって,心の片隅にはうっすら.後悔しないようにしたいっていうのがありますかね.”

一方,いざ災害が起こっても自分や家族は生き残るのだという強い意志があり,生き残るためには,災害前に備えるだけでなく,発災時に周りに流されず,本当にこれで生き残れるかを自分の頭で考え行動する自律性が大事だとも考えていた.これは東日本大震災(2011年)と関連づけて語られる傾向にあった.

“Z:自然には敵わんていう思いがありますね.ただ,東日本大震災の時とかでも,津波が想定外の高さだったとか言うから.「これ(予想)なら来ないけど,東日本大震災の時想定外っていうのがあったやろ,だから安心するな」ていうのは(家族に)言ってます.”“R:(東日本大震災時都内の職場で)僕一人だけ(机下に)もぐってる状態や,かなりの揺れですよ.で,もうその場でこれはただごとじゃないってなって.その時単に付き合ってた彼女に,携帯電話して,繋がらんくて,向こうの職場に電話したん覚えてますわ.危機管理能力というか,へらへらじゃないよ今っていう(同僚との)差はすごい感じました.”

さらに震災当時の大人たちの機転,熱意,助け合いの光景が心に刻まれたことで,困っている人がいれば損得考えず傍に駆けつけて助けることが人間として善い行いだという道徳性や,せっかく生かされた命なので将来人の助けになる大人になりたいという考えが震災後すぐに生まれ,それを今でも持ち続けていることも語られた.

“Q:(避難先の)お姉さんたちが,食パンをね,焼いてきてくれて,で,ご近所中で一枚しかないから,これを4等分にして(食べた).小学校の卒業文集に,人の役に立ちたいじゃないけど,ボランティアに行きたいって書いたのかな.地震の時にすごい色んな人に助けてもらったりしたから.”“R:当時の無邪気な小6に戻るとすると,失うものが自分にとっては無くって,こういう時って人ってこうなるんやなとか,この人が助けてくれたなとか,正義に溢れるというか,生きるってこれだよね,人って素晴らしいよね,の感覚の方が,得たものの方が,残ってますね.”“Z:あんまり他人に対する思いやりとかなかったかもしれない,震災が無かったら.……やっぱあれがあったから,余計に人の心配というか,人の役に立ちたいなっていう思いもあるから.”

3) 〈社会との調和のために語られない被災経験〉

参加者たちそれぞれに,震災直後の恐怖体験や,上で述べた〈心身ともに安心安全な居場所の追求〉〈生死に関する価値観の醸成〉の経験を積極的に他者に開示しない選択をしている時期があった.それは,同じく語らない周辺社会と調和し,バランスを崩さないようにしているためだった.彼らの生活の中で被災に関することは避けて通りたい「わざわざ」話す必要のないことだった.例えばPさんは,転居先の友人だけでなく,地元の同級生や親とも被災に関する経験をほとんど話していなかった.多様な経験をしたみなそれぞれに「消化」しきれない傷を抱えていると思うからだった.そして自分のためにも,地震が怖かったことも,遺体に遭遇したことも,いじめにあったことも無かったことにしようと,インタビューで語るまで長らく心の奥底に押し込めていた.

“P:私いま喋るまで,避難所生活楽しかったなーみたいな感じだったんですけど,たぶん地震って怖いなって思ってたと思います.フタをしていた,みたいな.誰か助けてってめちゃ思ってましたね.でも,私自身,今日までたぶんそういう気持ちとか忘れてたと思います.忘れてたというか,なんかこんな〔両手でぎゅっと下に押し込める動作〕感じでいたんだと思います.”

他にも,自身が当時を思い出したくないから,友人同士踏み込まないように配慮する空気があったから,話しても理解されないと思っていたからと,それぞれに語らなかった理由があった.

“Z:1月17日が来たら,震災から2周年,3周年とずっとこうあるじゃないですか.なんか,もういいよ,ていう感じなんですよね.なんでそんな,思いださせるようなことやるんだ,みたいな.……ただ鮮明に覚えてるけど,なんかわざわざ人に言うこともないし,(略)おそらく,自分が,被災したその経験話しても,その辛さとか大変さとかって誰にもわからんやろなっていう,思いもあったと思うんですね.”“R:まぁ,(自分が)配慮するも何も,(地元の人はみな)配慮し合ってる人たちですからね.だから(話す)きっかけがないっていうのはたぶんそういう空気感が,こう,作られてた(という)話で.”

さらにRさんは震災で自分が“得られた”経験をしたということは,自分も含め多くの人が大変な思いをした震災当時も「声を大にしては言ってない」し,「亡くなった方いるんで,あんまりこう言える話ではない」と,失った命の重みの前では現在でも他者に言いにくいということだった.

4) 〈真剣な聞き手と共に被災経験に向き合う〉

参加者たちは大人になり,被災地外の社会との出会い,あるいは研究者との出会いなどの人間関係の中で,封印していた自身の被災経験に向き合い,他者に語る経験をしていた.向き合うとは,長年封印していた震災に付随する痛みやわだかまりを,まるで自分のものであるかのように真剣に聴いてくれる他者と一緒に消化して,被災した自己の人生や震災自体を受け入れ,理解できるようになる営みであった.また参加者たちは,震災は無い方が良いが,大事なことに気づくことができ“得られた”ものが多い,すなわち人として大事な価値観を得ることができたと考えると良いこともあったと意味づけていた.

“Z:職場の同期が,突然聞いてきたんですよ,みんなでいる時に.「震災経験したの?」と.そこでようやく話せて.その同期はすごい親身に聞いてくれて,涙を流してたから.……経験してなくてもそんだけわかってくれる人がいるんだっていうことを,そこで知った.だからこそ,震災に向き合えるようになったのかなって,思いますけどね.”“P:震災について別に思い出してなかったんやけど,たぶんフタしてたんやろね.でもこの時の自分と向き合ったことが全く無かったんで,今の自分に結構繋がってるんやなっていうのが(インタビューを通して)めっちゃ思いました.これでよかったんだよと改めて自分の人生を肯定することができました.”“Q:すっきりというか.清々しいというか.そんな気持ちになりました.別になんかすごい我慢して生きてきたとか,すごいトラウマとか思いながら生きてきたっていうわけではないと思うんですけど.あんな風に考えてたんやって改めて思ったりとか.”

5) 〈他者の経験の理解志向〉

自己の被災経験に向き合うことができた参加者は,これまで向き合ってこなかった他者の被災経験を理解しようという意識を持つようになっていた.Pさんは研究者と被災経験を語り合った後,震災当時苦労している素振りを見せなかった母や旧友とも震災を振り返り,それぞれに苦難があったのだと理解し,苦痛を分かち合っていた.Zさんは同僚への開示をきっかけに震災を受け入れたことで,震災がもたらした多くの人々の死という経験に向き合い,悼むことができるようになったと語った.

“P:なんか私だけしんどいみたいに思ってたんですけど,引っ越しして,私だけ環境変わってしんどかったなみたいな.(略)それこそ,母とも地震の話は絶対,暗黙の了解であんまりしないみたいなルールがあったんですけど.そういう話してみたら,母もなんかしんどかったんかな,みたいな.つい最近までそれは気づかなかったんですけど.”“Z:受け入れることができるまでは,その亡くなった方々への,あの,弔いっていうか,そういう気持ちも別になかったし.けど,受け入れることが出来てからは,そういう風に思える.あの震災で6千何人も亡くなったんかと.そういうのにも,目を向けれるようになった.”

Ⅴ. 考察

1. 学童後期に大災害を経験し医療介入なく生きてきた人々の特徴

学童後期に被災後,医療介入なく生きてきた人々は,心身ともに安全安心な居場所の再構築と生死に関する価値観の醸成を同時に経験しつつ,社会との調和のために被災経験を語らないが,成人期になって構築した繫がりの中で語りながら被災経験に向き合うことで,他者の経験も理解できるようになる,というストーリー性のある経験をしていた.災害のような重大なストレスの原因に直面した際にうまく適応する過程のことをレジリエンスと言うが,これには回復だけでなく個人の深い成長も含まれる(American Psychological Association, 2012).阪神・淡路大震災の被災児童に関するレジリエンスはこれまで深く追究されてこなかった.参加者らが震災の衝撃後,心理的に不安定な時期や口にできない苦悩がありながらも,大事な教訓を得たので震災があって良いこともあったと意味づけながら,揺れへの恐怖,転居,友人との別れ,いじめなどのストレス原因に適応して人生を歩んでいたと捉えると,結果で示したストーリーは,同震災を学童後期に体験した人々の回復の過程,レジリエンスであったと言える.

また,震災があって良いこともあったという意味づけは,インタビューの場で構築された面もあったが,小学生当時に「将来ボランティアに行きたい」「人って素晴らしい」と感じたとも語られており,震災直後の経験を通してすでに構築されていたと言える.太田・岡本(2017)は意味づけを「個人の中核的信念と外傷体験の評価の差を減らすための認知的対処と,それを経た結果生じた理解を,個人の信念に統合していく過程」とし,外傷体験からの回復に重要と述べている.同震災を学童後期に体験した人々は,居場所の追求というもがきを経験しつつも,被災に関する経験の理解を善悪規範という信念システムに統合し,地震があって良いこともあったという前向きな世界を当時もいまも構築することで,回復し続けていると解釈できる.この信念システムへの統合過程を人間の成長と捉えたとき,結果で示したストーリーは単に回復のストーリーではなく,個人の深い成長も含むレジリエンスであると言える.

2. 看護への示唆

1) 子どもの居場所の確保と大人への支援

上記より看護としては,医療介入なく震災後を生きられるようにという中長期的視点を持ちながら,急性期から亜急性期にかけて被災児童が自ら前向きに震災を意味づけできるように支援することが適切と言える.

〈心身ともに安全安心な居場所の追求〉にて,震災と進学というタイミングが重なり予定外に友人と引き離された時の危機をPさんとQさんは語っていた.青年期には家族や親友のような「重要な他者」との関係性の中に居場所があるかが非常に重要である(則定,2008).内面の混乱をうまく言葉にできない中,友人との電話や親が味方してくれるという安定感により,より良い状況を自力で模索し解決していた結果を踏まえると,家族や友人との繋がりを持て安心して自分らしくいられる居場所が被災児童たちには必要と言える.

また,〈生死に関する価値観の醸成〉では,震災当時自分を助けてくれた大人,助け合っていた大人の姿が被災児童たちの目に大変尊く映り,道徳性が磨かれたことが述べられた.塩山ら(2000)では,同震災で被災した小中学生の「困っている人を見ると助けてあげたいと強く思う」という向社会性は地震から4か月後が最大で,その後2年間で減少すると報告されたが,本研究結果により,このような価値観は消滅することなく長い回復過程の重要な位置を占めることが明らかとなった.震災直後に大人が被災児童の前で助け合い精神を発揮できるような環境整備的看護支援が,間接的に被災児童たちが成長し医療介入なく回復していくことに繋がることが示唆される.

2) 経験を語る意義と語る機会の提供

〈社会との調和のために語られない被災経験〉において,被災経験を語らないことは家庭や地域での「暗黙の了解」で「わざわざ」自分から話すことではなかったことが示された.しかしその後の語り合いの中で過去に向き合い,「清々しい気持ちになった」「自分の人生を肯定することができた」「震災と向き合えるようになった」といった澱を溶かすような経験が〈真剣な聞き手と共に被災経験に向き合う〉で示された.「その出来事について語らない・考えないという会話回避・思考回避は,トラウマ反応であると同時に,トラウマ反応を維持する要因」(冨永,2011)であることはすでに報告されている.参加者たちに語り合いによる気持ちの変化があったことは,会話回避のために完全な心理的回復がそれまでに成されていなかったことを示していると言える.

以上のことから,真剣で共感的な聞き手と相互作用し人生を物語りながら震災に向き合うことの重要性と,被災経験を語ることを家族や友人以外の人間が支えることができることが示され,かつての被災児童としてのライフストーリーを語ってもらうシステムの構築が中長期看護支援として有用なことが示唆された.ただし対象は,震災のことを「わざわざ」話すことでもないと思っている人々であり,日常生活行動困難などの看護支援ニーズがある人ではない.まずは社会全体が本研究の参加者のような人々の存在を認識することが重要で,震災後苦労を表に出さずに生きている人々にも解決されていない心のしこりがある可能性,それは時間がたっても解決可能であるというメッセージを今後発信し,自分が対象であることへの気づきを促す必要がある.

三浦ら(2019)は,学童後期児童の主な相談相手は保護者だが,心理社会的な悩みや深刻な問題は友人の方が選択されやすいと報告しているが,本研究参加者が保護者とも友人とも話すことができなかったと考えると,そのどちらでもない第3者の存在が必要であったと言える.学校にいる期間においては,担任だけでなくスクールカウンセラーや養護教諭が連携して,身体的不調が顕在している児童だけでなく,すべての児童の相談を受け止められる体制が必要である.ただし語らない理由には,震災を思い出したくないという面もあった.本研究は震災から22年後であったが,震災から何年後であれば安全安心に語れるのかという点はまだ十分に追究できていない.Zさんが同僚に語ったのは震災10年後だったが,それはその月日と聞き手との出会いのタイミングが一致したからであった.Zさんのようにこれまで他者に被災経験を詳しく話して満足した経験がある人の経験を今後調査していく必要がある.

Ⅵ. 研究の限界

本研究は参加者の語りデータに基づいているため,参加者が研究参加への意欲があり,じっくり内省しながら語りを生成できる人物であったこと,被災時年齢,被災程度,避難生活の経験の有無,学歴といった属性に共通点があったことが研究結果に影響した可能性がある.

Ⅶ. 結論

学童後期に阪神・淡路大震災で被災した後,医療的介入を受けてこなかった人々のライフストーリーを再構築した結果,5つのコアテーマで構成される経験であることが明らかになり,震災の前向きな意味づけに寄与する災害急性期の看護支援の方向性や,いまだ被災経験を語らず心理的回復が達成されていない人々への中長期的看護支援の必要性が示唆された.

付記:本研究は東京医科歯科大学大学院博士学位論文の一部を加筆修正したもので,内容の一部は,第40回日本看護科学学会学術集会において発表した.

謝辞:お忙しい中,貴重な経験を惜しみなく語ってくださった参加者の方々に心より御礼申し上げます.研究協力者のみなさまにも深謝いたします.研究遂行や論文作成において,南裕子先生,岩﨑弥生先生,梅田麻希先生,内木美恵先生,駒形朋子先生に多大なるご指導をいただきました.本研究は,公益信託山路ふみ子専門看護教育研究助成基金より助成を受けて行いました.

利益相反:本研究における利益相反は存在しない.

著者資格:TKは研究の着想およびデザイン,データ収集と分析,原稿作成のプロセス全体に貢献した.SYは研究プロセス全体および原稿作成への助言者として貢献した.すべての著者は最終原稿を読み,承認した.

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