群馬県長野原町に所在する居家以岩陰遺跡は,縄文時代早期から前期の人類活動を考えるうえで極めて重要な遺跡である.筆者らは居家以岩陰遺跡の正確な年代的位置づけを明らかにすることを目的として,遺物包含層から出土した炭化材を中心としてこれまで合計75点の試料の放射性炭素年代を得た.また,これらと筆者ら以外が測定した人骨18点,獣骨3点,炭化材19点,土器付着炭化物11点,炭化種実15点の計141点の年代を用いて,居家以岩陰遺跡での人類活動の時間的変遷を整理した.居家以岩陰遺跡での人類活動の顕著な証拠であり現在までに発掘されている最も古いものは縄文時代早期中葉に形成された前庭部の厚さ1 mもの灰層(10層)であり,10,000 cal BPまで遡る.前庭部9~8層が形成されたのは9,600~8,600 cal BPであった.岩陰部の第II層群の人骨群は縄文時代早期後葉の8,600~8,000 cal BPであった.岩陰部での第I~第II層群の縄文時代前期前半の人骨群は6,900~5,900 cal BPであった.これらの年代からみて,居家以岩陰遺跡では約4,000年間にわたって,この場所が繰り返し利用されてきたことが明らかとなった.