第四紀研究
Online ISSN : 1881-8129
Print ISSN : 0418-2642
ISSN-L : 0418-2642
越後平野における弥生時代~中世の遺跡の立地とその変遷
山本 肇
著者情報
ジャーナル フリー

1996 年 35 巻 3 号 p. 229-234

詳細
抄録

越後平野における遺跡の分布から,人々は弥生時代以降,洪水を受けながらも低地に生活領域を拡大していったことがうかがえる.特に古代では,それより以前の古墳時代の拠点的な性格を有していた地域からの流れをくみながら,新しい制度に伴う官衙遺跡として八幡林遺跡,緒立C遺跡,的場遺跡,曽根遺跡などが建設され,各地域での中心的な役割を形成していた.これら官衙遺跡の周辺には鉄生産地や土器生産地などがみられ,周辺の開発にも重要な役割を果たしていたことが考えられる.
また,越後平野にある中小の河川は舟を利用した内水面の重要な交通路として,河川に沿って延びる自然堤防は陸上の交通路として機能し,各集落をつないでいたものと考えられる.
しかし,越後平野の中でも遺跡が少なく,空白地帯である白根市周辺では馬場屋敷遺跡のように,洪水などで厚い堆積層に覆われた遺跡が存在する.一方,新潟砂丘上の緒立C遺跡は,遺跡が存続していた後に,地盤沈下により埋没している.これらのことは,低地にも遺跡の存在を推測させるものである.今後,越後平野でも埋没した低位段丘や埋没砂丘の調査が具体化することにより,周辺の各時代の景観の復元も可能であり,より越後平野と人とのかかわりがわかることを期待したい.

著者関連情報
© 日本第四紀学会
前の記事 次の記事
feedback
Top