第四紀研究
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火山災害の評価と戦略に関する考古学的アプローチ
指宿橋牟礼川遺跡の事例から
下山 覚
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2002 年 41 巻 4 号 p. 279-286

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抄録

日本考古学におけるテフラ利用は,当初,遺物の新旧関係において有効であったが,テフラによって直接被覆された事例が増えてくると,当時における集落構造の把握とともに,災害の具体的なプロセスが明らかになってきた.それと同時に,災害によって,被災者はどんなダメージを受け,そして災害を乗り越えるための適応戦略をとってきたのかが具体的に残存する遺構から明らかになりつつある.
そこで,指宿市橋牟礼川遺跡の7世紀第4四半期および西暦874年の開聞岳噴火の例をあげ,その時期と文化項目が大きく変化する時期が一致するかどうかを検討した.その結果,物質文化が大きく変化する時期は,災害が発生した時期と必ずしも一致しないということがわかった.これらの事例は,災害の程度や社会的な背景が関与していると考えられる.7世紀第4四半期の災害の場合は,生活継続と文化項目の継承という被害者の戦略を読み取ることができ,西暦874年の災害の場合は集落放棄,そして時間が経過してから変化した文化が流入してきたと考えられる.
二つの事例の検討により,災害の程度によって放棄されたエリアや適応可能なエリア,そして影響のなかったエリアなどのグラデーションを設定した.それに応じて当時の被災者がどのような適応するための戦略を採用したのかを論じる必要性を確認した.

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