Journal of Computer Chemistry, Japan
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巻頭言
論文不正問題と研究者倫理
後藤 仁志
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2015 年 14 巻 1 号 p. A1-A2

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STAP細胞問題は,2014年12月26日,理化学研究所調査委員会の記者会見と,同日公開された「研究論文に関する調査報告書」[1]を以て終焉を迎えた.報告書の結論は,概ね予想していた通りである.STAP幹細胞に関する論文は,『ES細胞の混入に由来する,あるいはそれで説明できること』が科学的に確認されたことから,ほぼすべて否定されたことになる.日本中を騒がせたこの騒動は,今後もいろいろな処で燻り続けるとは思うが,学術的にはこれで事後処理を完了したと言って良いだろう.ここでは,この問題を私なりに消化し,今後の糧とするために,調査報告書を読んで感じたこと,考えたことを少し記しておきたい.

個人的に早い段階から感じていたことは,小保方氏が研究者として未熟ではないかという点である.そのことは,野依理事長が記者会見で指摘していたことでもある.弁護士から公開された稚拙な実験ノート,小保方氏が語ったオリジナルデータのいい加減な管理方法や不適切な論文図表の取り扱い,さらに,インターネット(ブログ)で指摘された学位論文のコピペ問題など,研究者倫理の教科書に「やってはいけないこと」として載っているような事例が,まるで当たり前であるかのように行われていたことが明らかになった.これまで学術上の不正問題が起こる度に,大学や研究機関は不正再発防止策を強化せよという通達を受け,倫理規定を改定し,リテラシー教育を必修科目として実施してきた.そうした取り組みは一体何だったのか.最先端の研究機関で全く生かされなかったことが残念である.

未熟さに由来する不正が起こる背景の一つに,インターネットとデジタル技術の発達がある.以前はとても時間がかかっていた文献調査や情報検索が,素人には不可能だった高度な画像編集技術が,今では誰でも簡単に利活用できるようになったからである.また,指導者がこうした時代の進化についていけてないことも要因の一つである.今回の騒動を踏まえ,「実験ノートの正しい書き方」や「正しいコピペ引用の方法」など,これまでも大学教育の中で実施してきたはずことを,再度,徹底させられることだろう.しかし,今どきの研究開発は,短い研究サイクル,膨大な文献情報,大量で多様な形式の実験(測定)データなど,一昔前とは全く異なる環境で行われていることを考えれば,紙媒体で記録し,管理することが今後ますます困難になることは明らかである.それにもかかわらず,未だに実験ノートを電子化しようという動きが,この日本ではあまり広がらないのが不思議でならない.

最近,多くの大学において,不正再発防止策の一つとしてコピペ発見ソフトの導入が進められている.大学教員にとって,インターネットという優等生に全面的支援を求めようとする学生の悪癖に対処するための必須ツールとなるだろう.しかし,そこで学生にコピペをさせない抑止効果を期待するだけでは,『責任ある研究』とは何かということを教える機会を逸してしまうことに注意しておくべきである.

では,『研究における責任ある行動』をどのようにして教育していけばよいのだろうか.そのことに関して,前述の調査報告書は次のように指摘している:『小保方氏が実験記録を残さず,過失が非常に多いことを見逃した理由の一つは,プログレスレポートのあり方など,研究室運営のやり方に問題があったためではないだろうか.』よく考えてみればわかるように,コピペ対策をしても,研究者倫理を必修科目にしても,目の前の実験を公正に行うことを教えるのは難しく,まして,ネガティブな結果を明日報告するための勇気を与えられるわけでもない.研究室内で行われるセミナーや報告会,学会主催の討論会などの研究発表の場における真摯なディスカッションが教育的(威圧的ではない)雰囲気の中で行われることによって,日々少しずつ形成されていくものなのだと改めて気づかされる.

調査報告書では,今回の論文不正問題がここまで大きくなった要因として,共著者が不正や捏造を見抜けなかった責任も強く指摘され,研究の中身への注意がおろそかになったのは論文発表を焦ったからではないかと推察されている.そして,次のような示唆もある:(研究者倫理教育の)『基礎となるのは,論文のインパクトファクターでも,獲得研究費の額でも,ノーベル賞の獲得数でもなく,自然の謎を解き明かす喜びと社会に対する貢献である』と.もちろん,高額な研究費を獲得するために著名な学術雑誌に掲載しなければならないという最先端研究の責任者にかかるプレッシャーは理解できる.しかし,もし本当に論文発表を焦ったことが原因だったとするならば,研究者倫理を学び直さなければならないのは,共著者として名を連ねた未熟ではない研究者等の方であると思う.

2012年に人への感染を可能にするインフルエンザウイルスの作成方法の論文公開に関して,60日間研究を停止し,医学的進歩とバイオテロの可能性についてコミュニティで話し合うことが提案されたことがある.その時は,科学の発展が人類にもたらす功罪という観点から研究者倫理を考える機会になったが,同時に,この分野における研究競争の熾烈さにも驚かされた.その意味で,今回のSTAP細胞問題では,ES細胞のトップ研究者を亡くしてしまっただけでなく,数か月もの間,「悪魔の証明」のために日本の最先端研究者等の貴重な研究時間を浪費してしまった.また,再生医療の発達を待ち望む人々の失望は計り知れない.分野は違うとはいえ研究者コミュニティの一員として,それら失ったものを何らかの形で取り戻すために,微力ながら貢献していきたいと考えている.

直接面識があったわけではないが,笹井芳樹博士は若手研究者が活躍できる研究所を作ろうと尽力されていたと聞く.彼の御冥福をお祈りいたしたいと思う.

2014 特別合本号「合本号巻頭言」からの転載

References
  • [1]  桂勲,五十嵐和彦,伊藤武彦,大森一志,久保田健夫,五木田彬,米川博通,「研究論文に関する調査報告書」,独立行政法人理化学研究所 研究論文に関する調査委員会,2014年12月26日. http://www3.riken.jp/stap/j/c13document5.pdf
 
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