Journal of Computer Chemistry, Japan
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研究論文
ルチジン誘導体生成の反応機構に関する理論的研究
石川 諒丸尾 容子小林 啓二寺前 裕之
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2015 年 14 巻 2 号 p. 30-35

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Abstract

ルチジン誘導体生成の反応機構を解明するために, B3LYP/6-31G**レベルおよび一部はMP2/6-31G**レベルで3, 5-diacetyl-1,4-dihydro-2,6-dimethylpyridine, 3,5-dibenzoyl-1,4-dihydro-2,6-dimethylpyridineおよび3,5-dibenzoyl-1,4-dihydro-2,6-diphenyl-pyridineの各ルチジン誘導体の対応するβ-ジケトンからの生成反応の反応機構をab initio分子軌道法を用いて試みた.全ての素反応について安定構造と遷移状態の構造を求めた.反応中間体であるFLUORAL-P生成の素反応について,水分子を1個加えることによりPCM MP2/6-31G**レベルでの活性化障壁が47.15 kcal/molから25.35 kcal/molへ減少することがわかった.

1 はじめに

ホルムアルデヒドは新築住宅の建材や家具に含まれており,シックハウス症候群の原因物質のひとつであり,頭痛や吐き気,思考力低下などの広範囲な症状を引き起こしていると考えられている.また,ホルムアルデヒドは発がん性を持つことも報告され,その他にも網膜にあるたんぱく質はホルムアルデヒドと反応しやすく機能を失って失明に至ることがある [1,2,3,4,5].

WHOは室内環境基準値として,30分での被曝量を0.08 ppmと定めている [6].濃度が10.0 ppmになると正常に呼吸することはできなくなり,20 ppmを超えてしまうと,呼吸道の深部に刺激を感じ,呼吸困難に陥り,5–10分で急性中毒となって,生命の危険がある恐れがある.よって,ホルムアルデヒドの室内濃度を正確に測ることが大変重要となる.

ホルムアルデヒドの室内濃度測定には一般的にはアセチルアセトン法が用いられる [7].アセチルアセトン法はアセチルアセトン(β-ジケトン) アンモニウムイオンにホルムアルデヒドを2:1:1の割合で反応させると,ルチジン誘導体が生成する反応を利用する.ルチジン誘導体は410 nm付近に吸収極大を持ち黄色に呈色するので,この吸収強度を測定することによりホルムアルデヒドの濃度を決定することが可能となる.

しかし,この方法にはいくつか問題点がある.反応が遅いため加熱が必要であること,水溶液中の反応であるため空気中のホルムアルデヒドの測定にはそのまま使用することができないこと,そして時間経過とともに410 nm付近の吸収強度が減衰し褪色してしまうことである[8,9,10,11,12,13].

丸尾らは,β-ジケトンであるpentane-2,4-dione (PEN1)およびそのフェニル置換体である1-phenyl-1,3-butanedione (PEN2)と1,3-diphenyl-1,3-propanedione (PEN3)の3種類のうちの1種類とアンモニウム塩を多孔質ガラス中に存在させることにより,気相でのアセチルアセトン法による測定が可能となることを示した [14,15].

β-ジケトンとしてPEN3を用いると水溶液中では反応しないが多孔質ガラス中では反応し,ホルムアルデヒドの量を増やすと逆に強度が減衰するといった興味深い性質があること,β-ジケトンとしてPEN2を用いると多孔質ガラス中では時間が経過しても褪色しないことなどが報告されている.

我々は以前にも分子軌道法を用いてβ-ジケトンからルチジン誘導体への反応機構の報告を行っているが,一部の構造にとどまっており全ての安定構造と遷移状態(TS)を報告できていなかった [16,17].本研究では,多孔質ガラス中でのルチジン誘導体生成の反応機構および置換基効果解明のための第一段階として,気相中でのPEN1から生成される3,5-diacetyl-1,4-dihydro-2,6-dimethyl-pyridine (以後Dimethyl体) とPEN2から生成される,3,5-dibenzoyl-1,4-dihydro-2,6- dimethylpyridine (以後Phenyl体)とPEN3から生成される3,5-dibenzoyl-1,4-dihydro-2,6– diphenylpyridine (以後Diphenyl体)の各ルチジン誘導体生成の反応機構をab initio分子軌道法を用いて詳細に検討したので報告する.

2 計算方法

分子軌道計算にはGaussian09プログラムを使用した [18].β-ジケトンからルチジン誘導体が生成するまでの予想される素反応をFigure 1に示す.

Figure 1.

 Reaction mechanism of the formation of lutidine derivative.

予想される反応機構に沿い,HF/3-21G, HF/6-31G**,MP2/6-31G**レベルでPEN1,PEN2およびPEN3の各ジケトンを出発物質として,ルチジン誘導体が生成するまでの構造最適化および遷移状態の構造最適化を行った.振動数計算を行って安定点および遷移状態であるのを確認し,ゼロ点補正を行った相対エネルギー値を求めた [16,17] .しかし,MP2/6-31G**レベルでPEN2およびPEN3からの各反応機構計算では多数のTSを求めることができなかったため,B3LYP/6-31G**レベルでも計算を行った.

これらの計算は気相中の計算であり,反応は水溶液中であるため,その点を考慮するためPCM法を用いてPCM MP2/6-31G**レベルで同様の計算を行った.計算が収束しなかったPEN2およびPEN3からの反応機構に関しては中間体であるFLUORAL-Pが生成される4から5への素反応を詳しく計算した.さらに4から5の反応をPEN1,PEN2およびPEN3の3種類にそれぞれ1分子のH2Oを加え,MP2/6-31G**レベルおよびPCM MP2/6-31G**レベルで安定点および遷移状態の構造最適化を行なった.さらに溶媒の触媒的作用も検討するために,水のモデルとしてH2O分子1個,多孔質ガラスのモデルとしてH2SiO分子を1個加えた計算もMP2/6-31G**レベルで行った.

3 結果と考察

Figure 1の反応機構に沿ってDimethyl体のB3LYP/6-31G**レベルでの相対エネルギー値をFigure 2に示す.Phenyl体,Diphenyl体についてはエネルギー値以外は同様であったため省略した.2から38から9の素反応では一旦複合体を生成した後に反応が進行することが分かった.

Figure 2.

 Relative energies of Dimethyl compound along the reaction coordinate at B3LYP/6-31G** level. Units are shown in kcal/mol.

14から55から610から11の部分がエネルギー的に高くなっている.これは2および7ではプロトンを付加しているが,分子軌道計算ではプロトンの生成するエネルギーを考慮できないため大きく安定化してしまうためである.

B3LYP/6-31G**で構造最適化したルチジン誘導体のエネルギーはDimethyl体で-1.72 kcal/mol,Phenyl体で2.62 kcal/mol,Diphenyl体で7.94 kcal/molとなり,Dimethyl体が一番安定であることが分かった.ただしB3LYPではsize consistencyを満たしていないため,あくまで参考程度である.

Dimethyl体のMP2/6-31G**レベルでの4から55から610から11のエネルギー障壁は47.71 kcal/mol,33.08 kcal/mol,58.33 kcal/mol となり,PCM MP2/6-31G**レベルでのエネルギー障壁は47.15 kcal/mol,27.01 kcal/mol,49.23 kcal/molとなった.4から5のエネルギー障壁はあまり変化がなかったが,残りのエネルギー障壁はPCM法を用いた方のエネルギー障壁が低くなった.

PCM法による溶媒効果の取り込みでは,期待されたほどの活性化エネルギーの低下がみられなかったため,さらに溶媒分子として1分子のH2Oおよび1分子のH2SiOを含んだ計算を行った.

1分子のH2Oを加えた場合,MP2/6-31G**レベルで構造最適化した4から5のDimethyl体,Phenyl体,Diphenyl体のエネルギー障壁は34.44 kcal/mol,43.89 kcal/mol,42.29 kcal/molとなった.Dimethyl体 のエネルギー障壁は気相中とPCM法を用いた結果よりも低くなった.また,3種類のうちDimethyl体のエネルギー障壁が最も小さくなり,Phenyl体とDiphenyl体のエネルギー障壁はあまり変化しなかった.Phenyl体は水溶液中でも反応することが報告されているが,水溶液中では反応しないDiphenyl体よりエネルギー障壁が高くなってしまっている.これはPhenyl体の遷移状態の構造のPhenyl基がねじれているため不安定になったことが一つの原因として考えられる.

Figure 3に1分子のH2SiOをDimethyl体に加えて計算した最適化構造とTSの概略Figure を示す.エネルギー障壁は40.06 kcal/molであった.気相中のエネルギー障壁より低く,1分子のH2Oを加えたエネルギー障壁より高いことがわかる.ただし,以前に報告したようにH2SiOのSiと4側のO原子が結合していることがわかる [17].

Figure 3.

 Schematic view of 4, TS, and 5 of Dimethyl compound with one H2SiO molecule at PCM MP2/6-31G** level. Thick arrows show the movement of the protons.

次にPCM法を用いて1分子のH2Oを加えた4から5のDimethyl体の素反応において構造最適化をおこなった結果の概略Figure をFigure 4に示す.

Figure 4.

 Schematic view of 4, TS, and 5 of Dimethyl compound with one water molecule at PCM MP2/6-31G** level.

H2O分子を1分子加えると4側のプロトンが水分子側に移動し,水分子のプロトンが4側に移動することで互いにプロトン移動を行って水2分子が脱離することが分かる.Phenyl,Diphenyl体も同様にプロトン移動をして脱離している.PCM MP2/6-31G**レベルで1分子のH2Oを加えた4から5のDimethyl,Phenyl,Diphenyl体のエネルギー障壁は25.35 kcal/mol,42.45 kcal/mol,41.06 kcal/molとなった.Dimethyl体は気相中や1分子のH2Oを加えたエネルギー障壁よりも非常に低い値となった.これは,溶媒中で上に述べたようにH2O分子が触媒として作用するため低くなったと考えられる.Phenyl,Diphenyl体のエネルギー障壁は気相中や1分子のH2Oを加えたエネルギー障壁と比べると大きな変化は見られなかった.上にも述べたように,Phenyl体は水溶液中でも反応することが報告されているが,水溶液中では反応しないDiphenyl体よりエネルギー障壁が高くなってしまっている.Phenyl体については今後の更なる検討が必要と考えられる.

本論文では以上のようにルチジン誘導体生成のルチジン誘導体生成の反応機構を解明するために,Dimethyl体とその置換基効果を考慮するためPhenyl,Diphenyl体の各ルチジン誘導体におけるβ-ジケトンから生成反応の機構をab initio分子軌道法を用いて検討した.4から5へのDimethyl体のエネルギー障壁はPCM法で1分子のH2Oを加えたエネルギー障壁が最も低い値となったため溶媒効果が不可欠なことが示唆された.また1分子のH2SiO分子を加えた場合も活性化障壁は減少するが,Si原子と4側のO原子が結合してしまうため今後の更なる検討が必要と思われる.

参考文献
 
© 2015 日本コンピュータ化学会
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