Journal of Computer Chemistry, Japan
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SCCJ Café – Season 5 – 生命現象の分子科学(3)「量子ビーム•軌道放射光-X線吸収分光法-」
山口 峻英高妻 孝光
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2016 年 15 巻 4 号 p. A42-A46

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Abstract

最初のシンクロトロン放射光が観測されてから70年近くが経過した.今日では,加速器の向上とともに放射光光源の性能が上がり,量子ビームによって様々な物質•生命研究が展開されている.本稿では,加速器,そして放射光光源の発展を紹介し,金属タンパク質科学への応用という観点から,特にX線吸収分光法および計算機科学との関係について紹介する.

1 はじめに

X線は1895年にRöntgenによって発見された.今日,X線による構造解析は物質構造の研究において最も頻繁に用いられる手法である.Hodgkinが消化酵素ペプシンの結晶からX線回折データを観測し,KendrewとPerutzによるミオグロビン,ヘモグロビンのX線結晶構造解析が行われたことを皮切りに,生命現象の分子レベルでの仕組みが次々と明らかにされてきた.2015年にはProtein Data Bankに登録された生体分子のX線結晶構造は10万件を超えた.このような背景には,X線管球に代わって,加速器が優れた光源として利用されるようになったことが一因にある.加速器によって作り出される放射光によって,高精度な構造解析はもとより,微小な結晶による回折実験が可能となった.また,高輝度で連続したエネルギー分布をもつ放射光は,分光学的にも大きな発展をもたらした.特に,元素選択的に注目原子の構造•電子状態等のマルチ情報を与えるX線吸収分光法(X-ray Absorption Spectroscopy: XAS)が著しく発展し,触媒,金属錯体,金属タンパク質など,様々な物質研究に用いられている.一般に分光学的データの解釈には,計算機科学からの情報が有用であるが,XASの場合,計算機科学の手法をより正確にしていくことにも有効である.本稿では,放射光源の変遷とXASによるタンパク質科学の研究例を紹介したい.

2 放射光源

XASは実験室系での計測も可能であるが,基本的には,軌道放射光に強く依存しており,歴史的に見ても軌道放射光源の発展とともに進歩した.加速器は,荷電粒子を加速する装置のことであり,原子核物理学の研究を推進させるために開発されてきた.1932年に世界で初めて作られた加速器は,陽子を加速するCockcraft-Walton型の加速器であった.その後Van de Graaff加速器やタンデム加速器といった静電場によって荷電粒子を加速する加速器が開発されていった.米国のLawrenceは,高周波のタイミングを合わせながら繰り返し電圧を印加するタイプの加速器サイクロトロンを開発した.この型の加速器では,荷電粒子の軌道はエネルギーが高くなるにつれて膨らんでいく螺旋状である.荷電粒子は繰り返し同一軌道上において加速できないため,装置の大きさやエネルギーに制約が生じる.1945年にMcMillanとVekslerの理論に基づいて円形状の軌道の上で周回しながら加速できるように改良された加速器がシンクロトロンである.シンクロトロンの建設によって,高エネルギー物理学が大きく進展した.このシンクロトロンは,後に放射光利用による新しい物質研究の道が切り拓かれていくきっかけともなった.最初のシンクロトロン放射光の観測は,1947年,米国のGeneral Electric社の70 MeVシンクロトロンによるものであった.荷電粒子の軌道を偏向する時に生じる放射光は,高エネルギーの荷電粒子を得るという観点からすると,エネルギーのロスとも言え,原子核物理学者にとっては,できるだけ抑えたいものであったが,物質分析に興味の主体がある化学者たちは,放射光から出る極端紫外光〜軟線領域での電磁波の利用を活発に行っていった.物理学者たちは,原子構造の解明のため,さらにシンクロトロンのエネルギーを高めていったが,軌道放射光のエネルギーは加速エネルギーの二乗と磁場の強さに比例することから,加速器の高度化に伴い,ついに放射光のエネルギーは硬X線領域に達することとなった.硬X線そのものは,加速器を使わずともX線管球からも発生できるが,輝度という意味では圧倒的な差がある.高輝度であるということは,XASの実験を行う上で,実験時間の短縮,S/N比の向上に大きく寄与するため,XASは放射光源による恩恵を最も受けている分光法の一つであると言える.1970年代,米国のSLACのSPEARとドイツのDORISのDESY(両者とも電子-陽電子衝突実験装置である)の付属品のようなイメージであった放射光源を使い,X線吸収分光法の実験が行われた.SLACでは,20分でデータ収集が完了し,データ収集に二週間ほど要する60 kWのX線管球光源よりも飛躍的に計測時間が短縮され,また,データの質もX線管球よりも圧倒的に高いS/N比であったことより,放射光源の有用性が強調された [1].

SPEARやDESYにまるで寄生しての利用開始の少し前に,Sayers,Lytle,SternらによってEXAFS (Extended X-ray Absorption Fine Structure)の理論が構築された [2].EXAFSの理論は,試料が結晶,溶液,非晶質であることをいとわないXASによる物質構造研究をプロモートした.また,SLACで行われていたStanford Synchrotron Radiation Projectの内容を見ると,EXAFSによる金属タンパク質の研究が含まれており [1],近年でも,生体高分子の研究が活発に行なわれている.つくばにある高エネルギー加速器研究機構においては,X線領域の放射光源としてPF (Photon Factory)が1982年から稼働し,現在もPFから様々な研究成果が上がっている.

上述した中で,ある意味不名誉な寄生利用時代は第一世代と呼ばれている.その後,1980年代には第二世代の加速器として,PFのように光源専用としての加速器が建設•利用されるようになった.第三世代の加速器は,アンジュレータによってさらなる高輝度化を達成し,日本では1994年からSPring-8が運用されている.光源としての加速器の進歩は目まぐるしく,直線型の加速器にアンジュレータを設置し,パルス幅が短く位相のそろった光を作る自由電子レーザーが開発され,X線自由電子レーザー(XFEL: X-ray Free Electron Laser)として,米国のLCLSと日本のSACLAが稼働しているが,スイスのSwissFELやドイツのEuropean XFELも近いうちに稼働する予定であり,新しいタイプの加速器による物質構造解析に大きな期待が寄せられている.

3 X線吸収分光法(XAS)

数多くの分光学的な手法は,基底状態の分光法と励起状態の分光法に分けられている [3].前者は磁場によって生じる状態間での遷移を観測するものであり,ラジオ波のように比較的低エネルギーの電磁波の吸収を観測するEPRやNMRが代表的な例としてあげられる.励起状態の分光法は,異なるエネルギー準位間の電子遷移に伴う分光法と位置づけられ,遷移金属錯体では可視〜近赤外領域でのd軌道間の電子遷移や電荷移動吸収帯に関する分光法として重要である.

X線領域になると,励起される電子の始状態は内殻軌道であり,終状態は外殻軌道,もしくは原子核の束縛を離れた連続準位である.内殻電子の束縛エネルギーは,中心にある原子核の電荷の影響を強く受けるため,XASは元素選択的な手法となる.また,内殻軌道を始状態とすることから,選択律としては,パリティの異なるs軌道からp軌道への遷移,p軌道からd軌道への遷移が許容となる.例えば鉄を吸収原子とした場合には,1s軌道から4p軌道への遷移と,2p軌道から3d軌道への遷移が,K吸収端(7.1 keV付近),L吸収端(700∼720 eV付近)の許容遷移として観測される.一例としてヘマタイトの鉄のK吸収端X線吸収スペクトルをFigure 1に示した.

Figure 1.

 XANES and EXAFS region of Fe K-edge X-ray absorption spectrum of hematite.

内殻電子が外殻軌道上に励起される吸収端付近では,周囲の化学環境に応じてスペクトル形状が変化する.これをXANES (X-ray Absorption Near-Edge Structure)とよぶ.また,吸収端の直前には信号強度の小さなpre-edgeバンドを観測することがある.さらに,吸収端後にスペクトルの上に現れる振動構造を,EXAFSとよぶ.XANESとEXAFSの両者をXAFS (X-ray Absorption Fine Structure)と総称することもある.

XANESやpre-edgeのエネルギーや形状には価数,有効核荷電,配位の対称性といった情報が含まれている.また,遷移先の外殻にあるホールの密度を反映しており,吸収帯の強度が変化する.例えばCu1+とCu2+の化合物を比べるとK吸収端のpre-edgeが,Cu1+では観測されず,Cu2+では3d軌道がベースとなるSOMO上に遷移が起こる.1s軌道から3d軌道への遷移は本来,禁制であるが,遷移の終状態は純粋な原子軌道ではなくCu 4p軌道が混ざっている分子軌道であるために禁制が解ける.このことを考慮すると,吸収帯の強度(面積)はCu 4p軌道の混ざり具合の程度を示すと解釈される.ここでは,金属のK吸収端を例示したが,実は硬X線領域のK吸収端ではpre-edgeバンドの強度は極めて小さく定量的な検討には難点がある.むしろpre-edgeやXANESから電子状態の情報を得たい場合には低エネルギー領域のX線を使った方が検討しやすい.金属イオンとP,S,Clのような第3周期の配位原子間の共有結合性を,配位原子側のK吸収端のpre-edgeバンドによって解明した例が,Hedman,Hodgson,Solomonらによって報告されている [4,5].この場合にはpre-edgeバンドは配位子の3p軌道が金属イオンのd軌道に混ざってできるSOMOへの遷移と帰属されるため,配位原子の3p軌道の寄与を観測していることになる.軟X線領域で観測されるL吸収端の場合には,より吸収端近傍のピークが大きく急峻になるため電子状態に関してより強力な情報を与える.しかし,計測においては,高真空状態を必要とするために試料や実験条件に大きな制約がある.

EXAFSは吸収原子近傍の構造情報を含むものであり,結晶構造解析等で与えられる立体的な構造情報とは趣を異にし,一次元的な距離の情報を正確に得るものである.EXAFSの振動構造は,X線によってエネルギーを与えられ,原子核の束縛を離れる光電子と,周辺原子からの散乱によって吸収原子に戻る光電子のde Broglie波の足しあわせで生じる.実際には距離と散乱原子の種類,その他の要素によってもスペクトルの振動構造が変化する.距離に関して精密な情報を与えることがEXAFSの強みであるが,波と波が打ち消しあう場合や解析に使うパラメータどうしの相関などの理由で絶対的なものではない.EXAFSを解釈するためのモデルの妥当性を他の手法で補う必要性があることも付け加えておきたい.EXAFSの詳細な理論については,参考文献 [6]を参照されたい.

計算機科学的アプローチによる物質研究においては,適切な汎関数の選択が重要である.XANESから得られるMOの定量的情報とEXAFSから決定される精密な結合距離は,適切な汎関数の選択を実験的にアシストすることができるものである.実際にSolomonらは,XASから得られた[CuCl4]2-の構造と電子状態を用いてハイブリッド密度汎関数を校正し,Cu2+を含む系の計算に応用し [7],詳細な銅錯体および銅タンパク質の構造と物性との相関について報告している.

4 銅タンパク質のX線吸収スペクトル

米国スタンフォードのSLACは,世界に先駆けてXASによって金属タンパク質の構造を調べてきた.X線を使う金属タンパク質の実験に共通して言える課題には,X線による放射線損傷がある.X線による放射線損傷は,金属イオンの還元という形で現れ,得られる情報がはたして目的の酸化状態であるのか否かについて,常に注意して実験を行わなければならない.XASでは金属イオンの還元を吸収端エネルギーのシフトとして確認できるため,実験データから放射線損傷について精査しながら解析に進む事ができる.実際に著者らが行ってきた実験でもX線照射による吸収端のシフトが認められたが,補正を行い,放射線損傷のないスペクトルを得て解析を行った [8].

XASを使った金属タンパク質の研究例として,ブルー銅タンパク質の単核銅活性部位(Type 1銅)を紹介したい.スタンフォード大学のSolomonらはタンパク質中で電子移動反応サイトとして機能するType 1銅の構造についてXASを使って調べ,構造と物性制御の仕組みの一端を明らかにしてきた [7].著者らは,脱窒菌から得られるType 1銅タンパク質であるシュウドアズリンの構造,物性,電子移動反応について検討を重ね,シュウドアズリンでは,分光学的に2つの異なる構造成分(Axial型,Rhombic型)が共存していることを報告してきた [9].このシュウドアズリンのType 1銅サイトの構造と電子状態,第二配位圏に存在するアミノ酸を介する弱い相互作用による活性中心の物性調節と構造との相関についてXASによって調べ,弱い相互作用を通したType 1銅タンパク質の新しい調節機構を提唱した [8].シュウドアズリンにおいて,Type 1銅中心には,His40, Cys78, His81, Met86が歪んだ四面体構造で銅に配位している.これまで,EXAFSでは,Type 1銅タンパク質のCuとMetのS原子間の結合距離を決定することはできていなかったが,シュウドアズリンMet16Val変異体のCu K吸収端のEXAFSの解析から初めてCuとMetのS原子間距離が決定され,Rhombic型ではAxial型よりもCu-S (Met86)の結合距離が顕著に短くなっていることが判明した.また,S K吸収端のpre-edgeバンド(Figure 2)の解析によって,Axial型では,Cu-S (Cys78)の共有結合性は49%であり,Rhombic型では31%になっていることが明らかとなった.XASは,局所的な構造•電子状態の違いを鋭敏に検出できるが,シュウドアズリンでの実験の成功の鍵は,系統的に変化させることのできる試料が用意できたということである [9].つまり,X線吸収分光法を有効に活用するためには,他の分光学的知見と合わせて化学的整合性のとれた試料を準備することも重要である.最近,シュウドアズリンの構造については超高分解能のX線結晶構造解析からも違いを明らかにすることができたが(Figure 3) [10],電子状態に関する情報は,XASならではのものである.

Figure 2.

 Pre-edge feature in S K-edge X-ray absorption spectra of wild type PAz.

Figure 3.

 1.1 Å Resolution X-ray crystal structure of the Type 1 Cu site in Pseudoazurin from Achromobactor cycloclastes. PDB ID: 4YL4

XASによって評価された共有結合性はS (Cys78)上のスピン密度と相関付ける事ができXASでの実験結果とDFT計算の結果はよく一致していた.DFT計算によってシュウドアズリンの構造について検討したところ,配位構造だけではAxial型とRhombic型に相当する構造は同一のPotential Energy Surfaceの上に存在しないことがわかった.配位構造以外のタンパク質部分も加味して膨大な計算を行うことによって,XASや単結晶X線結晶構造解析の結果を再現することができた.つまり,タンパク質構造の揺らぎの効果がType 1銅サイトに付与され,物性が調節される仕組みが存在することが示されたのである.

本稿では,加速器の進歩とともに出現した放射光という量子ビームにより金属タンパク質の構造の成因と物性の発現との関係をX線吸収スペクトルによって解き明かし,その結果の解釈には計算機化学的アプローチが重要であることを示した.

最終稿では,近年発展の著しい大強度陽子加速器で得られるミュオンという新しい量子ビームによる物質構造解明への応用等について紹介する予定である.

参考文献
 
© 2016 日本コンピュータ化学会
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