Journal of Computer Chemistry, Japan
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Contribution in Memoriam
Remembering Professor Takashi Shimozawa
Sumio TOKITA
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2017 Volume 16 Issue 1 Pages A9-A11

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埼玉大学に赴任してしばらく経ったある日,下沢先生から突然電話があった.面白いお客さまがおられるのでお越しいただけませんかということであった.例によって,誰に対しても丁寧な口調である.お訪ねしてみると,来客は義父の島村修であった.先生のいくぶん茶目っ気のあるご高配のお蔭で,義父と初めて学内で会うことができ,人と人とのつながりを大事にされる下沢先生の機転に感謝したものである.

後になってわかったことであるが,1975年,日本化学会のなかに化学教育部会が設置され,初代部会長に島村が就任した.この部会の発足や運営に下沢先生が深くかかわられたことから,埼玉大学において,島村が最も親しかった知人は,下沢先生であった [1].

これに先立つ1970年,下沢先生は,IUPAC東京大会において,専務理事として活躍された.先生は,1963年から2年間,フルブライト研究員として,米国Tufts大学に留学されている.英語がご堪能であったことから,国際的な活躍の場が開かれていたものと思われる.その後も,海外のIUPACやUNESCOの会議などに,つぎつぎと出席されておられる.

1972年,化学教育誌に,「化学におけるコンピューターの利用」という特集か掲載された [2].我が国のほとんどすべての大学に,電子計算機室やセンターが設置されたことを受けての企画で,いわゆる大型計算機を化学の研究や教育にどのように利用するかという内容であった.大型機の普及と並行して,ミニコンピュータやマイクロコンピュータ(略称マイコン:現在のパソコンのこと)も,徐々に活躍の場を広げて行く.因みに,Apple Iというマイコンが米国で発売されたのは,1975年である.

下沢先生がこの頃から開始された「マイクロコンピューターの教育への利用に関する研究」は,この分野におけるさきがけとして,高い評価をうけている.1979年には,第5回国際化学教育会議(5-ICCE,ダブリン(アイルランド))にあわせて開催されたIUPAC-CTC (化学教育委員会)報告のなかで,日本の先見的試みとして,マイコンを用いた化学教材バンクの作成と,公開や流通の企画を提案されておられる [3].1980年には,豊橋科学技術大学で,VICCCRE (5th Int. Conf. on Chem. Research and Education) が開催されている [4].NECから8ビットパソコンPC-8001が発売されたのは,1979年5月である.

1980年4月,筆者は化学教育誌の編集委員をおおせつかった.委員は,特集号の企画案を提出することになっていた.有機化学の理論を教えるときに,分子軌道法計算の必要性を感じていた筆者は,上述した1972年特集号のマイコン版はどうかと考えた.下沢先生のお部屋におうかがいしたところ,積極的に進めたら良いとのご教示をいただき,内容や執筆者に至るまで細かな打ち合わせをさせていただくことができた.そして,1981年初頭に,「マイクロコンピューターを利用した化学教育」特集号の出版に至った.使用機種は,Apple II, PC-8001, TRS-80などの8ビットマシンで,プログラムの流通の便もはかられた.1982年には,16ビットのPC-9801も発売され,教育・研究へのコンピュータ利用は,ますます加速される状況にあった.

1985年,第8回国際化学教育会議(8-ICCE)が京王プラザホテルで開催された [5].下沢先生は,総務幹事を務められ,準備状況 [5,b],会議に至るまで [5c],海外での反響 [5] などの記事を残されている.メインテーマは,「化学の視野を広めよう」であり,4つのサブテーマのひとつに,「コンピューター時代における化学教育」が据えられた.海外からの参加者が多く,盛会であった.日本のきめ細やかなソフトウェア創りを紹介でき,国際会議への参加の仕方を勉強できたのは,下沢先生のご努力のお蔭である.しかし,アジアでは初めての化学教育に関する国際会議であったため,運営面では大変なご苦労があったとうかがっている[5e].

1987年,第2回の化学PC研究討論会が埼玉大学で開催された.下沢先生は実行委員長を快諾され,開会直後の特別講演もお引き受けくださった [6].このご講演のなかで,日本化学会の化学教育部会に教育工学特別委員会が設置されたことが紹介された.教育工学のなかでも,パソコンの利用が急務であるとの認識を示されるとともに,先生の研究室で新しく開発された高校化学のための一連の学習ソフトウェアの意義を解説された.実施母体の化学PC研究会は,下沢先生に会長もお願いすることとなり,いろいろな面で直接ご指導をいただけることとなった.

1989年の夏,第10回国際化学教育会議(10-ICCE)がカナダのWaterloo大学で開催された.8-ICCEでのご指導のお蔭か,日本からの参加者が多かった [7].筆者らも,パソコンを担いで参加させていただいた.Figure 1 は,その時のスナップである.)

Figure 1.

 Professor Shimozawa at10-ICCE

原子軌道における波動性を説明する動画を,演者に代わって,下沢先生がにこやかにご説明いただいたことが,昨日のことのように想い出される.同じ年の暮れには,環太平洋国際化学会議(ハワイ年会)も開催され,さらに大勢で参加させていただくこととなった [8].Information Transferの部門に,コンピュータを用いた化学教育のシンポジウムが置かれ,そのオーガナイザーには,下沢先生のほかに,J. W. Moore教授(米)らがおられた.化学PC研究会常任幹事の吉村忠與志先生(福井高専)は,後に,Moore教授などの研究室を訪問してコンピュータ化学教育の研鑽をつまれることとなった.

上述の研究会は,化学PC研究会報(JAPC: Journal of the Association of Personal Computer for Chemists)を発行していた.JAPC誌は必ずしも厳密な審査をするJournalではなかったため,学術論文として理解されない場合もあった.そこで,化学PC研究会を学会に昇格させ,いわゆるmembership journalとしての「会報」の他に,新たに「学会誌」を独立の冊子として刊行するのが最も良い方策であると考えた.我が国では,学会として公的に認知されるためには,政府の諮問機関である日本学術会議に登録する必要がある.この手続きについてお知恵を授けて下さったのは,下沢先生であった.1990年ころから,吉村先生とともに日本学術会議に何度か出かけ,化学PC研究会の学会化と同時に,学会誌を創刊する原案を取りまとめた.このようにして,1992年に,化学ソフトウェア学会が誕生した.会報は「化学とソフトウェア」誌,学会誌は, The Journal of Chemical Software (JCS)誌として発足することとなった.中野英彦先生(姫路工業大学)のご尽力により,1995年からは斯界にさきがけて電子出版も開始している [9].新学会の会長は引き続き下沢先生にお願いした.その後,下沢先生のインドネシアへの長期にわたるご出張が続いたため,1996年度からは,細矢治夫先生(お茶の水女子大学)に会長をお願いして現在に至っている.

学会設立からちょうど10年経った2002年に,日本化学プログラム交換機構(JCPE: Japan Chemistry Program Exchange)と化学ソフトウェア学会が合併して,新たに,「日本コンピュータ化学会」として,再発足することとなる.田辺和俊先生(千葉工業大学教授(当時)),吉村先生と筆者らが中心となって下準備を積み重ねた.それぞれの組織のJCS誌とJCPE Journal 誌を統合して,新たにJournal of Computer Chemistry, Japan (JCCJ)を発行することとなった.2007年には,電子投稿と審査のシステムも稼動を開始した.2008年頃から2010年にかけて,JCS誌とJCPE Journal誌の,これまで未公開であった論文をJ-Stageで公開する作業が進められた.これらは,現在,Journal archiveとして,随時参照することが可能となっている.電子出版に関しては,2010年,中野先生から編集室と日本プリプレス株式会社(JPP)に引き継がれた.2011年,電子投稿審査システムが大幅に変更され,最新のXMLファイル形式 [10] に対応している.JCCJ誌は,日本語論文でのXML形式へのワークフローを世界で初めて実現することに成功したのである [11].

長嶋雲兵副会長,後藤仁志事務局長,編集室の太刀川達也幹事,中村恵子さんらのご努力により,2015年からは,JCCJのInternational Editionを発行している [12].下沢先生は1991年,日本化学会から化学教育賞を受賞されている [13].受賞理由は「化学教育の国際化に対する貢献」である.先生の目指した国際化が,学会誌でもついに実現できたことになる.

下沢先生は理学部.筆者は工学部に属していた.しかし,博士課程が理工学研究科として発足する際,理と工がばらばらではないことを明らかにするために研究室のシャッフルが行われ,博士課程では同じ研究室という取り扱いとなった.博士の学生さんを協同で指導させていただき,立派なDoctorを誕生させることができたのは光栄であった.カラオケやボーリングで楽しませていただいたことも度々であった.先生のお宅での麻雀に誘われたこともあった.我が家にお越しいただいたときは,午前中からお見えになり,暗くなるまで打ち続けてしまっことなども楽しい思い出となっている.研究面ばかりでなく,個人的にも親しくしていただき,たいへんにお世話になった先生に御礼を申し上げ,ご冥福を祈る次第である.

参考文献
 
© 2017 Society of Computer Chemistry, Japan
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