2017 年 16 巻 2 号 p. 58-62
ladderグラフのalgebraic structure count (ASC)のサイズ依存性を調べた.ladderグラフのASCの漸化式を導出し,ASC の長さ依存性に周期3の周期性があることを見出した.このASC の周期性を用いて,ladderグラフのnon-bonding MO (NBMO) やHOMO-LUMO ギャップの長さ依存性に同じ周期性があることを明らかにした.
多くのケクレ構造を持つ分子は少ないケクレ構造を持つ分子と比べて,より熱力学的に安定であるとされている.しかし,これが成り立つのは6員環から構成されているベンゼン系炭化水素のみである.その理由はベンゼン系炭化水素における全ての共役サーキット(conjugated circuit)のサイズは4n+2であることである[1].共役サーキットとは二つのケクレ構造の重ね合わせによって生じるサーキットである.しかし,4員環や8員環を含む単環状及び多環状共役化合物に対しては,ケクレ構造数ではなく,algebraic structure count (ASC) ,つまり,共役サーキットのサイズを考慮したケクレ構造の数を用いる必要がある[2,3,4,5,6,7].
ASCが0である交互共役系はその特性多項式PG(x)の定数項aNが0であり,非結合性分子軌道(NBMO)を持つ.NBMOを持つ交互共役系のHOMO-LUMO ギャップは0であり,大きな反応性を示す[8,9,10].我々は様々な共役系のASCを求め,これらの化学的反応性の特徴を明らかにしてきた[11,12,13,14].
シクロブタジエン,ブタレン,シクロブタジエニレンなどのポリシクロブタジエンはこれまで,実験的にも理論的にも数多くの研究がなされている[15,16,17,18,19,20,21,22].いずれの研究も,ポリシクロブタジエンは熱力学に不安定であるという結果を示している.いくつかの論文はポリシクロブタジエンはその長さに依存した性質を持つことを示した.Jiangらはポリシクロブタジエンの特性多項式の定数項aNは周期的に,0, 1, −1の値をとることを示した[20].Hessらはポリシクロブタジエンの一電子あたりの共鳴エネルギー (REPE)を計算し,ポリシクロブタジエンは分子の長さに依らず反芳香族的であり,REPEの長さ依存性に周期性があることを指摘した[21].Sakai らはab initio 分子軌道計算により求めたポリシクロブタジエンの最適化構造はその幾何学的特徴から,3つのタイプに分類されることを報告している[22].
4員環を直線的に連結したグラフはladder グラフといわれる[23].ladder グラフはポリシクロブタジエンのπ電子共役系を表すグラフである.Figure 1にn個の四角形からなるladder (n)を示す.
ladder (n)
Hosoyaらは演算子多項式を用いて,ladder グラフの完全マッチング (ケクレ構造数)の漸化式を導出した[24].しかし,4員環をユニットとするladder グラフの化学的反応性を議論するためには,ASC を考慮する必要がある.
ここではladderグラフのASC のサイズ依存性の数学的構造を表すASCの漸化式を導出し,ASC の長さ依存性に周期性があることを報告する.さらに,ASC の長さ依存性の周期性を用いて,ポリシクロブタジエンのNBMOとHOMO-LUMO ギャップの長さ依存性に同じ周期性があることを報告する.
二つのケクレ構造の重ね合わせにより,ケクレ構造の符号を次のように決定する.グラフGのケクレ構造のうち,基準とするケクレ構造を一つ選び,このケクレ構造Kiとそのほかのケクレ構造Kjを重ね合わせる.重ね合わせたグラフ(これをKi+Kjとする)における大きさ4nのサーキットの数が0あるいは偶数のとき,ケクレ構造Kjの符号をプラスとし,奇数のときは,マイナスとする.ただし,基準のケクレ構造Kiの符号をプラスとする.
例として,ladder (3)を考える.ladder (3)の5つのケクレ構造(K1~K5)をFigure 2に示す.
Kekulé structures of ladder (3)
K1を基準のケクレ構造とする.ケクレ構造K1とそのほかのケクレ構造K2~K5を重ね合わせたグラフをFigure 3 に示す.
Superposition graphs of Kekulé structures of ladder (3) with K1
重ね合わせグラフK1+Ki (i = 2,3,4)は大きさ4のサーキットを一つ持つので,ケクレ構造Ki (i = 2,3,4)の符号はマイナスであり,重ね合わせグラフK1+K5は大きさ4のサーキットを二つ持つので,ケクレ構造K5の符号はプラスである.一般に,二つのケクレ構造の重ねわせグラフは必ず一つ以上の偶数サイズのサーキットを持つ.これらのサーキットはRandicによって定義された共役サーキットである.
プラスの符号を持つケクレ構造の数とマイナスの符号を持つケクレ構造の数をそれぞれK G+と K G−とすると,グラフGのalgebraic structure count ASCGは,
ASCG = K G+− K G− (1)となる.一般には,基準のケクレ構造の選び方は任意であるが,本論文では全ての二重結合が縦型のみであるケクレ構造を常に基準にとるものとする.これをK1とする.これにより,ASCが負になることがあるが,個々にグラフのASCを議論するときには,その絶対値を取ればよい.このように基準のケクレ構造の選び方を指定すると,一対の二重結合が横型である4員環の数を数え上げるだけで,その他のケクレ構造の符号を判定できる.簡単のため,一対の二重結合が横型である4員環をA型4員環ということにする.例えば,ladder (3)の場合,K1とK5は2つの二重結合が横型であるA型4員環の数は0あるいは偶数であるので,これらのケクレ構造の符号はプラスであり,K2~K4はA型の4員環の数は奇数であるので,これらのケクレ構造の符号はマイナスである.したがって,ladder (3)のASCL(3) は2 − 3 = − 1である.
Table 1 にladder (n = 1∼10) のケクレ構造の数KL(n),プラスの符号を持つケクレ構造の数KL+(n),マイナスの符号を持つケクレ構造の数KL−(n),ASCL(n)を示した.
n | KL(n) | KL+(n) | KL−(n) | ASCL(n) |
1 | 2 | 1 | 1 | 0 |
2 | 3 | 1 | 2 | −1 |
3 | 5 | 2 | 3 | −1 |
4 | 8 | 4 | 4 | 0 |
5 | 13 | 7 | 6 | 1 |
6 | 21 | 11 | 10 | 1 |
7 | 34 | 17 | 17 | 0 |
8 | 55 | 27 | 28 | −1 |
9 | 89 | 44 | 45 | −1 |
10 | 144 | 72 | 72 | 0 |
Figure 4のように,ladder (n)のケクレ構造はn番目の4員環に,一つの縦の二重結合があるものと(これをaグループとする)と上下に二つの横の二重結合があるもの(これをbグループとする)とに分けられる.
Two types of Kekulé structures in ladder (n)
ladder (n)のaグループに属するケクレ構造の数KLa (n)はn番目の4員環の縦の二重結合に隣接する全ての辺(結合)を除いたグラフ(これはladder (n−1)である)のケクレ構造の数に等しい.KLa(n)の各ケクレ構造におけるA型の4員環の数は,対応するladder (n-1)のケクレ構造におけるA型の4員環の数に等しい.それゆえ,次の式が成り立つ.
KLa+(n) = KL+(n−1) (2)
KLa−(n) = KL−(n−1) (3)
またbグループに属するケクレ構造の数KLb(n)はn番目の4員環の2つの横の二重結合に隣接する全ての辺を除いたグラフ(これはladder (n−2)である)のケクレ構造の数に等しい.KLb(n)の各ケクレ構造は,ladder (n−2)のケクレ構造に対してA型の4員環を一つ加える形になる.そのため,ladder (n−2)のプラスの符号を持つケクレ構造は,対応するladder (n)のケクレ構造ではすべてマイナスになり,マイナスの符号を持つケクレ構造はすべてプラスとなる.それゆえ,次の式が成り立つ.
KLb+(n) = KL−(n−2) (4)
KLb−(n) = KL+(n−2) (5)
ladder (n)のKL+(n)はKLa+(n)とKLb+(n) の和であるので,(2)式と(4)式を用いると,次の漸化式が得られる.
KL+(n) = KL+(n−1) + KL−(n−2) (6)
そして,ladder (n)のKL−(n)はKLa−(n)とKLb−(n) の和であるので,(3)式と(5)式を用いると,次の漸化式が得られる.
KL−(n) = KL−(n−1) + KL+(n−2) (7)
ladder (n)のKL(n) はKL+(n)とKL−(n)の和であるので,(6)式と(7)式を用いると,次の漸化式が得られる
KL(n) = KL(n−1) + KL(n−2) (8)
この式は細矢によって与えられた式である[24].
ASCL(n)は(6)式と(7)式を用いると
ASCL(n) = KL+(n−1) +KL−(n−2) − KL−(n−1) − KL+(n−2) (9)
となり,これから,
ASCL(n) = ASCL(n−1) − ASCL(n−2) (10)
が得られる.(10)式は求めるASCL(n)の漸化式である.
(10)式から,ASCLの周期性を表す式が次のようにして求まる.
ASCL(n) = ASCL(n−1) − ASCL(n−2) = ASCL(n−2) − ASCL(n−3) − ASCL(n−2) = − ASCL(n−3) (11)
ASC の値は常に正であるので,(11)式の絶対値をとると
(12) |
ASCL(1) = 0,ASCL(2) = −1,ASCL(3) = − 1であるので,(12)式から,
ASCL(3n+1) = 0 (13)
ASCL(3n+2) = 1 (14)
ASCL(3n) = 1 (15)
が得られる.この式はASCL(n)の絶対値は,nの増加と共に周期3で同じ値を持つことを示している.
グラフGの特性多項式PG(x)は隣接行列Aの永年行列式の展開である.
(16) |
ここで,I は単位行列であり,NはGにおける点の数である.特性多項式PG(x)の定数項aNは隣接行列の固有値xiの積に等しい.
(17) |
固有値xiはHMO法の分子軌道エネルギーεjと,εj = α + xj β の関係にある.ある共役化合物に対して,aN = 0であるとき,その共役化合物は少なくとも一つのNBMOを持つ.
特性多項式PG(x)の係数はグラフGのトポロジーに密接に関係しているが,ザックス・グラフを用いると,この関係を簡潔に表すことができる.互いに隣接しない単環と辺の組み合わせをザックス・グラフという.グラフGが交互系であるときには,特性多項式PG(x)の定数項aNはザックスの定理によれば,次の式から求まる[25, 26].
(18) |
ladder (n)は交互共役系である.ladder (3n+1)の場合は,(13)式と(18)式から,
aN = 0 (19)
が得られる.
ladder (3n+2)の場合は,N = 6n+6 であるので,(14)式と(18)式から,
aN = (−1)(3n+3) = 1 if n is odd = −1 if n is even (20)
ladder (3n)の場合は,N = 6n+2 であるので,(15)式と(18)式から,
aN = (−1)3n+1 = 1 if n is odd = −1 if n is even (21)
(19)式~(21)式と(17)式から,NBMOとHOMO-LUMO ギャップについて,次のような周期性があることがわかる.
ladder (3n+1)はNBMOを持ち,対の定理が成り立つので,そのHOMO-LUMO ギャップは0である.
ladder (3n+2)とladder (3n)は共にNBMOを持たず,そのHOMO-LUMO ギャップは0ではない.
シクロブタジエン,ブタレン,シクロブタジエニレンなどのポリシクロブタジエン は,反芳香族化合物の代表的な例である.ladder グラフはポリシクロブタジエンのπ電子共役系を表すグラフである.
本論文では,ladderグラフのalgebraic structure count (ASC)のサイズ依存性を調べた.ladderグラフのASCの漸化式を導出し,ASC の長さ依存性に周期3の周期性があることを見出した.このASC の周期性を用いて,ladderグラフの非結合性分子軌道 (NBMO) やHOMO-LUMO ギャップの長さ依存性に周期3の周期性があることを明らかにした.この事は,ポリシクロブタジエンの化学的反応性には,長さに依存した周期性が在ることを意味している.