Journal of Computer Chemistry, Japan
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Exploration of Conformational Spaces of Oligosaccharides byCombining Molecular Dynamics Simulation and NMR Spectroscopy
Takumi YAMAGUCHITokio WATANABEHirokazu YAGIKoichi KATO
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2018 Volume 17 Issue 1 Pages 1-7

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Abstract

糖鎖は複雑な分岐構造と高い内部運動の自由度をもち,その立体構造は水中で絶えず揺動している.したがって,糖鎖の生物機能発現に関する分子科学的基盤を正しく理解するためには,立体構造を動態として描象することが重要である.核磁気共鳴(NMR)法と分子シミュレーションを組み合わせた動的構造解析法の確立により,糖鎖のコンフォメーションをその揺らぎを含めて定量的に理解することが可能となってきた.常磁性NMR法とレプリカ交換分子動力学計算法を用いて,タンパク質の品質管理に関わる一連のオリゴ糖鎖のコンフォメーションを明らかにした.さらに,配座空間探査に基づき,糖鎖とそれを認識するタンパク質との結合様式を解析することで,静的な構造解析だけでは捉えることができない動的な相互作用機構の理解を進めることができた.

1 はじめに

糖鎖は,生命活動の様々な局面において重要な役割を果たしている.例えば,細胞内の秩序を維持するために不可欠な,糖鎖を介したタンパク質の品質管理機構が挙げられる.自然界に存在するタンパク質の半数以上は糖鎖による修飾を受けていると見積もられており,糖タンパク質が分泌される過程や,細胞の中で不要となって分解処理されるプロセスには,多くの糖認識タンパク質(レクチン)が関わっている [1].こうした機構において,糖鎖は,分子シャペロンや積荷輸送体など一連のレクチンに認識されることにより分子間コミュニケーションに関わり,タンパク質の細胞内運命を決定付けるための目印として機能している [2].

このような生物機能の重要性が広く認知されつつあるにもかかわらず,立体構造解析をはじめとする糖鎖の物理化学研究には多くの課題が存在する.その主たる要因は,糖鎖が複雑な分岐構造と高い内部運動の自由度をもち,水中でコンフォメーションを絶えず変化させることにある.すなわち,柔軟な生命分子鎖である糖鎖の生物機能を正しく理解するためには,静的な安定構造を捉えるだけではなく,立体構造の揺らぎを含めた動態としての描象が重要となる.そこで我々は,核磁気共鳴(NMR)法と分子動力学(MD)計算を用いた糖鎖の動的構造解析法の開発に取り組んできた [3,4,5,6,7].本稿では,常磁性NMR法とレプリカ交換分子動力学(REMD)計算法を活用した,糖鎖の配座空間探査について解説する.

2 常磁性NMR法によるシミュレーション結果の評価

NMRは,原子間距離をはじめとする分子構造について有益な情報を与える.これを利用することで,NMR法は,生体分子のシミュレーション結果の検証においても重要な実験手段となっている.一般に,原子核間の距離情報を反映する核オーバーハウザー効果(NOE)や,結合の二面角情報を含むスピン結合定数は,シミュレーション結果と実験結果の比較に広く用いられている.しかし,例えばNOEが観測されるのは5オングストローム以内の空間配置にある原子核間であることなど,これらのNMRデータが与える情報は局所の構造に関するものに限られる.そのため,オリゴ糖鎖のようにコンフォメーションの揺動が大きい分子を対象とする際には,十分な構造情報が得られない場合がある.

そこで本研究では,常磁性効果を使ったオリゴ糖鎖の構造情報収集を行った.常磁性プローブを糖鎖に導入することで,各原子核とプローブとの間の空間配置に依存して生じる常磁性効果を観測することができる [8].NOEやスピン結合定数が,主に隣接する糖残基間の配置に関する情報を与えるのに対し,常磁性効果は,数十オングストロームにわたる原子配置の情報を含んでおり,長距離の分子構造情報を与える.この性質を応用したNMR解析を行うため,ランタニドイオンをプローブとして糖鎖へ導入し,常磁性効果による化学シフトの変化(擬コンタクトシフト;PCS)を測定する手法を確立した(Figure 1) [9].

Figure 1.

 Observation of paramagnetic effects in carbohydrate NMR spectroscopy. 1H–13C HSQC spectra of a lanthanide-tagged disaccharide (GlcNAcβ1-4GlcNAc) complexed with Tm3+ (red) and diamagnetic La3+ as a reference (blue). Chemical shift differences of the anomeric CH groups induced by PCS are indicated by arrows. Adapted from reference [9] with the permission of John Wiley & Sons.

一方,糖鎖のMD計算によって得られる複数のコンフォマーを考慮した立体構造のアンサンブルモデルを作成し,常磁性効果によるNMR信号変化の値を見積もる.PCS値はランタニドイオンの中心を原点,磁化率テンソルの主方向 (χxx, χyy, χzz)を座標軸とした座標系において,以下の式で表される [10].   

PCS =   1 12 π r 3 [ Δ χ ax ( 3 cos 2 θ 1 ) + 3 2 Δ χ rh ( sin 2 θ cos 2 φ ) ]

まず,糖鎖のアンサンブルモデルに対するランタニドイオンの平均位置を原点にとり,NMR計測によるPCSの実測値を用いることで,磁化率テンソルの異方性に関するパラメータ(Δχax, Δχrh)を決定する.その後再び,得られたΔχax, Δχrhの値と糖鎖のアンサンブルモデルから,各原子のPCS値を算出する.このようにして得られた計算値と実験値のずれを比較することで,シミュレーション結果を評価することとした.

3 オリゴ糖鎖の動的コンフォメーションの描像

本研究では,この手法を用いて,タンパク質の品質管理に関わるオリゴ糖鎖M9のコンフォメーション解析を行った [5].M9はマンノース(Man) 9残基とN-アセチルグルコサミン(GlcNAc) 2残基からなるオリゴ糖鎖であり,その非還元末端にいずれも共通する糖鎖構造(Manα1-2Man)を含む3本の分岐鎖を有している(Figure 2).

Figure 2.

 Representation of the triantennary undecasaccharide M9.

M9糖鎖の水中でのコンフォメーションを明らかにするため,AMBER12プログラムパッケージを用いて全原子計算 [11,12]を行うとともに,PCSを利用したシミュレーション結果の検証を行った.この際,通常のMD計算とREMDシミュレーションを実施し,それぞれ24,000個のコンフォマーからなるアンサンブルモデルを作製した.NMRによるPCS計測の結果と照らし合わせた結果,REMD法を用いることで,PCSの計算値と実験値がよりよく一致し,水中での糖鎖の構造を正しく反映することがわかった(Figure 3).

Figure 3.

 Correlations between experimentally observed PCS values and back-calculated PCS data for the M9 oligosaccharide. The PCS values were back-calculated from (a) the conventional MD-derived and (b) the REMD-derived ensemble models. Q = rms(PCSobs – PCScalc)/rms(PCSobs). The conventional MD simulations of 48.0 ns were performed 64 times with different initial velocities of atoms at 300 K. The REMD simulations were carried out for 48.0 ns with 64 replicas with an exponential temperature distribution between 300 K and 500 K. Adapted from reference [5] with the permission of John Wiley & Sons.

3本の分岐鎖の動態を理解するため,得られたシミュレーション結果から各糖残基の重心間距離を求めた.Figure 4は,還元末端GlcNAc残基と3つの非還元末端Man残基との間の距離の分布を示したものである.これによると,M9糖鎖の3本の分岐鎖の挙動は有意に異なっていることがわかる.M9糖鎖は,3つの枝を伸ばした状態のほか,D2またはD3枝を還元末端側に倒したフォールドバック構造を取り得ることが示された(Figure 4d).また,通常のMD計算の結果と比較すると,REMD法では,これらのフォールドバック構造の出現頻度に有意な差が生じていた(Figure 4a-c).

Figure 4.

 Histograms of distances between the reducing-terminal GlcNAc1 residue and each outer mannose residue, (a) ManD1, (b) ManD2 or (c) ManD3 residue, obtained from the REMD (red) and the conventional MD (green) simulations of the M9 oligosaccharide. (d) The density map of the conformation of the D2 and D3 branches of the M9 oligosaccharide obtained from the REMD simulations.

分子内での水素結合形成を網羅的に調べた結果,これらのフォールドバック構造では,配列上では遠位に位置する糖残基間での水素結合が頻繁に見られた(Figure 5).こうした分子内水素結合の形成が,特定の構造の安定化に寄与しているものと考えられる.

Figure 5.

 (a) An MD snapshot exhibiting a major fold-back conformation of the M9 oligosaccharide. (b) Close-up view of ManD2 and GlcNAc2 residues, including hydrogen bonds between the hydroxyl groups.

同様にして,常磁性NMR法とREMD計算法を用いた解析を行うことで,タンパク質品質管理機構に関わる一連のオリゴ糖鎖のダイナミックな構造変化を明らかにした.M9糖鎖にグルコース1残基を付加したGM9糖鎖では,取り得る立体構造はほとんど変化しなかった [7,13].これに対し,M9から末端のマンノース1残基を取り除いた場合には,糖鎖のコンフォメーションが顕著に変化することが明らかとなった.D2枝から1残基を失ったM8糖鎖は,フォールドバック構造において,M9糖鎖と比べて還元末端と非還元末端をより近づけたコンフォメーションをとることが可能となり,配座空間が広がることがわかった [5,14].これは,分子内水素結合が組み変わるとともに,糖残基間の立体障害が取り除かれるためと考えられる.

4 レクチンによる糖鎖認識機構の解明

このように,実験的に裏付けられた計算結果を基に,糖鎖の配座空間を明らかにすることが可能となってきた.この情報を活用し,糖鎖とレクチンとの相互作用機構を調査した [15].糖タンパク質の細胞内輸送に関与するレクチン VIP36は,M9糖鎖の非還元末端三糖構造(Manα1-2Manα1-2Man)を認識することが知られている [16,17].そこで,分子シミュレーションから導かれた動的構造アンサンブルよりグリコシド結合の二面角の分布を調査し,レクチンとの結合に関わる三糖構造の遊離状態における配座空間を求めた.この二面角分布に対し,VIP36と糖鎖の複合体の結晶構造における当該三糖構造のコンフォメーションを比較した.その結果,結晶中での糖鎖の静的な構造は,遊離状態において分布している配座空間内に見出された(Figure 6a).すなわち,VIP36は糖鎖の取り得る多様なコンフォメーションの中から特定の構造を選択する,配座選択機構を通して相互作用していることが示唆された.

Figure 6.

 Density maps of glycosidic linkage torsion angles of (a) the Man3 trisaccharide and (b) the Glc1Man3 tetrasaccharide moiety at the D1 branch of the M9 and GM9 oligosaccharide, respectively. (a) Red circles indicate the conformations of the Manα1-2Man glycosidic linkages of the sugar chain in complex with the carbohydrate recognition domain of VIP36, (Φ, ψ) = (89°, −108°) and (92°, −111°) corresponding to the Man3 trisaccharide, on the basis of crystallographic data (PDB codes: 2DUR and 2E6V, respectively). (b) Red circles indicate the tetrasaccharide in complex with the lectin domain of CRT, (Φ, ψ) = (69°, −148°), (124°, −89°), and (75°, −137°) corresponding to the Glcα1-3Manα1-2Manα1-2Man tetrasaccharide on the basis of crystallographic data (PDB code: 3O0W). The torsion angles Φ and ψ are defined as O5-C1-O1-C'X and C1-O1-CʹX-CʹX−1, respectively. Adapted from references [7] and [14] with the permission of John Wiley & Sons and MDPI.

一方,同様の解析を,GM9糖鎖と,これを認識する分子シャペロン•カルレティキュリン(CRT)について行った結果,CRT結合状態における糖鎖の一部の立体構造 [18]は,遊離状態で取り得る配座空間の範囲から有意に逸脱していることがわかった(Figure 6b).すなわち,多様な構造を形成する糖鎖が分子シャペロンとの相互作用を通じて新たな立体構造を獲得する,誘導適合に基づく分子認識の仕組みが示唆された.

5 おわりに

本稿で紹介したように,実験データに裏付けられた分子シミュレーションを通じて,複雑な分岐構造と柔構造を有する糖鎖の動態を定量的観点から描象することが可能になってきた.さらに,糖鎖のコンフォメーション揺らぎを考慮した,生体分子間認識メカニズムへの理解が進みつつある.こうしたアプローチにより,糖鎖−タンパク質間相互作用のエナジェティクスをも含めた定量的理解,さらには糖鎖同士の相互作用に代表される多価効果による分子集団の認識機構の解明が進むものと考えられる [19,20].計算化学の手法は,このような糖鎖科学の進展に,今後ますます重要となるであろう [21].その先には,生命分子の高次機能の更なる理解とその制御へ向けた道が開けるものと期待される.

Acknowledgment

本研究成果の一部は,文部科学省•日本学術振興会科学研究費補助金(JP15K17889, JP25102008),国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)「糖鎖利用による革新的創薬技術開発事業」,および自然科学研究機構融合発展促進研究プロジェクトによる支援によってなされました.この場をかりて感謝致します.

参考文献
 
© 2018 Society of Computer Chemistry, Japan
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