密教文化
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磧砂版大蔵経考 (三)
中村 菊之進
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1994 年 1994 巻 186 号 p. 53-66

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抄録

『宋平江府磧砂延聖院版大蔵経』(磧砂版) の帖本に付す刊記より、磧砂版の刊行経過及び刊行活動を支持した社会層に関し検討した結果、以下の特徴を見出した。
一、磧砂版の発端は、延聖院とは関係を有することなく、嘉定九年 (一二一六) の僧了懃による個人的な発願、主持による「大般若経」の最初の十三巻の刊行にあった。
二、了懃の刊行活動は、蘇州地域在住の郷紳と推定される趙安国に継承され、「大般若経」等般若部経典の一力刊行が推進された。
三、其の期間中に磧砂版の刊行活動は延聖院の主宰する処となり、趙安国の都勧縁活動及び延聖院在住僧の勧縁活動の成果あって、平江府及び嘉興府に在住する多数の在俗者及び主として中小の寺院に所属する僧尼の捨資により刊行活動は支持された。又、捨資は個人的な規模及び個人的な回向目的によりなされた。
四、宋末、元初の約十五年間には、磧砂版の刊行活動は中断した。
五、元代の刊行活動は、新たに組織された「大蔵経局」の運営の下、行省政府の顕官、遠隔地を含む各路州の僧官、大寺の住持僧或いは延聖寺の住僧による多数件、且つ、多額の捨資により支持された。其等は何れも公的な規模及び公的な回向目的を有し、宋代の捨資とは対蹠的に性格を異にする。
六、此等の捨資の内、大徳五年 (一三〇一) 頃の朱清及び張文虎による多額件の捨資並びに大徳十年 (一三〇五) 閏正月を開始時期とする松江府僧録 管主八による多額の捨資、勧縁及び集中的な刊行活動は注目に値する。
七、管主八は大都 弘法寺の所蔵本に基づき、磧砂版に秘密部経等多数部を増補した。其の結果、元来、江南系である磧砂版は、内容、構成共、河北系蔵経の特徴を併せて具有することとなり、元版大蔵経の性格を一段と色濃く呈することとなった。
八、延祐二年 (一三一五) には円通寺明了の捨資による『宗鏡録』及び未収の重要経典の刊行、増補が行われた。
九、磧砂版の完成は至治二年 (一三二二) 十月、『(南本) 大般涅槃経』三六巻 合 (548) の刊行時と認める。即ち、磧砂版の刊行には一世紀余、一〇七年を要した。
十、前条の期日以前に、一部は其後に、多数の秘密部経及び禅宗部典籍の増補があって、磧砂版全体としては『天目中峰和尚広録』三十巻 煩 (591) 迄、展開した。

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