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英学史研究
Vol. 1991 (1990) No. 23 P 99-113

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http://doi.org/10.5024/jeigakushi.1991.99

  • (1) 南摩綱紀 (1823~1909) 江戸遊学後, 諸国を歴遊『負笈管見』を著す。文久2年~慶応3年蝦夷地で代官兼勘定方, その後上洛洋学所校長。戦後高田の謹慎所で漢学・洋学指導に当たり, その後淀藩や京都府の学職に就き太政官・文部省の役人を経て東京大学教授・東京高等師範学校教授を歴任, 西村茂樹らと弘道会を組織, 副会長就任。
  • (2) 川崎尚之助 (1837~75) 但馬出石藩の医者の子。江戸で蘭学と舎密術を学ぶ。神田孝平, 加藤弘之と並ぶ有数の洋学者。日新館蘭学所に招聘され蘭学, 鉄砲・弾薬等の製造を指導。慶応元年山本八重子と結婚。籠城戦砲撃戦で尚之助を助けて奮戦した八重子の武勇伝は有名。開城後江戸に護送され, 釈放後手習い塾師匠。山本覚馬からの京都招請を断わり, 浅草の鳥越で生涯を閉じる。
  • (3) 横山謙介 (1842~1915) 元金子辰治。仙台藩桃生郡中津山の砲術家横山五郎兵衛の養子。大橋道謙, 江戸に出て緒方洪庵, 次いで長崎に出てA.F.Bauduin, C.G.van Mansveltに就いて医業を修め, その間何礼之について英学を学ぶ。慶応2年京都会津藩洋学所で英学を教授。明治4年一関藩 (田村崇顕) 英学教授。同8年仙台共立病院一等教授。『フリント氏生理書』『タルトン氏生理書』等の訳書がある。
  • (4) 三浦啓之助 (1848~77) 佐久間象山の庶子恪二郎。啓之助は象山の幼名。山本覚馬の世話で新撰組に入るが脱走, 西郷吉之助の庇護を受け戊辰戦争にも従軍。明治4年慶応義塾で学び, 司法省出仕後, 松山裁判所に移り, 松山で没, 29歳。 (綱淵謙錠『史談・往く人来る人』文春文庫参照)
  • (5) 沼間守一 (1843~90) 長崎で英学, 陸軍伝習所でフランス式操練を学ぶ。鳥羽伏見の戦敗退後, 伝習隊精鋭20余名を率いて江戸を脱走, 兄須藤時一郎と会津に赴き, 会津・庄内・米沢兵に操練指導。戦後土佐藩出仕。明治5年以降大蔵省。司法省に勤め欧米各国を周遊帰国。その後元老院権大書記官, 民権運動に活躍, 嚶鳴社を組織。明治12年退官後, 「東京横浜日新聞」を経営, 晩年東京府府会議長。
  • (6) 赤羽四郎 (1855~1910) 明治5年米国留学, 帰国後外務権少録書記生として独・露・米各国に在勤, 明治25年外務大臣秘書官, 駐独公使館一等書記官, 27年駐蘭弁理公使, 32年特命全権公使に昇進外務省参与官を兼ね, 33年~40年スペイン公使。
  • (7) (山川) 唐衣 (1816~89) 西郷十郎右衛門近登之の長女。夫重固の死後剃髪して勝誓院を名乗る。飯盛山で自刃した白虎隊士の中でただ一人蘇生した飯沼貞吉の母ふみは妹。姉妹とも会津藩きっての女流歌人として有名。明治22年4月22日没。
  • (8) (山川) 二葉 (1844~1909) 高等女子師範学校在職28年, 高等官四等従六位, 27年辞職, 特旨を以て従五位。明治42年11月14日梶原景清 (平馬・二葉の子) 方で病没。
  • (9) 梶原平馬景武 (1842~89) 主戦派の首席家老として政務を総括, 河原善左衛門と共に奥羽列藩同盟との渉外を担当, 戦後容保の助命嘆願, 藩士の斗南移住の問題解決後, 北海道へ移り藩の表舞台より去る。明治22年3月23日没。 (小沼淳『会津藩の崩解』日本図書刊行会参照)
  • (10) 小川亮 (1852~1901) 佐賀の乱・西南戦争に従軍, 日清戦争時近衛工兵大隊長。工兵大佐, 正五位勲三等功四級。
  • (11) 操は, 光興の戦死後ロシアに留学, 捨松帰国当時は通訳としてフランス人の家に住み込み, その後宮内省御用掛権掌侍 (昭憲皇太后女官) を勤め, 日露戦争時は日赤篤志看護婦人会や愛国婦人会の諸活動で募金委員会・慰問袋作成委員会の委員長を勤めている。小出光照 (1844~74) 会津藩士小出彦右衛門光興の養子, 容保の小姓, 江戸在勤中に古屋作左衛門に洋学を学ぶ。向島の花見の折堀田番所の禁を犯した罪で帰国を命じられる。古屋の勧めで脱藩, 海外留学を決意, 渡欧寸前の時伏見の敗報を聞き, 日光口へ急行, 山川浩に謝罪, 以後軍事方として防衛戦を戦う。江戸謹慎中, 松平家再興の政府折衝に奔走, 斗南移住後は山川操と結婚。上京後佐賀県令岩村通俊に見出され同県大属昇進の時佐賀の乱が勃発, 県庁で賊徒と交戦, 明治7年2月18日戦死。30歳。
  • (12) 山川健次郎のその後の経歴明治9年東京開成学校教授補, 12年東京大学物理学教授, 19年帝国大学理科大学教授, 26年理科大学長, 34年6月~38年12月東京帝国大学総長, 44年~大正2年5月九州帝国大学総長, その後東京帝大総長に再任, 在職8年, その間 (大正3年8月から4年6月) に京都帝大総長も兼任。その他明治専門学校, 武蔵高等学校長を歴任。明治37年勅選貴族院議員, 大正4年男爵, 同13年枢密顧問官, 晩年は中央教化団体連合会や国本社に関係し, 国家主義的な運動に従事。
  • (13) 永井久太郎玄栄。 (益田孝が入隊した) 幕府陸軍騎兵隊の軍医。
  • (14) 益田孝 (1848~1938) 佐渡奉行下役益田孝義の子。文久3年の渡欧には会計役の父の家来という名義で随行。帰国後は横浜に出てイギリス軍の通詞の家に書生として入り英語を学び, その後イギリス軍の参謀について調練を習う。 (『自伝益田孝翁伝』, 白崎秀雄『鈍雄・益田孝』参照)
  • (15) 留学生一人当たり年間700~1000ドルの官費が支給されていた。
  • (16) 長野文柄 (1853~82) 大阪府士族。明治14年大審院判事。
  • (17) Charles Rockwell Lanman (1850-1941) American Oriental scholar; professor of Sanskrit Harvard (from 1880). (Webster's Biographical Jictionary)
  • (18) Thomas Antisell北海道開拓使顧問Horce Capmonと共に明治4年来日, Capronを助けて開拓に従事, 翌年開拓仮学校教頭兼化学・地質学教師。後紙幣寮で印肉製造を指導, 明治9年帰国。
  • (19) Alice Mabel Bacon (1858~1918) 父親のLeonard Baconは親日家。ハーバード大学卒業後, バージニア州ハンプトン市の師範学校で教鞭を執り, 津田梅子の依頼で明治21年6月来日。1年後に帰国する時, 4歳の渡辺光子を伴い自ら教育する。帰米後ハンプトンの師範学校で教授, Japanese girls and womenを刊行, 明治33年再来日し2年間津田英学塾と女子高等師範学校で教え, 帰米後はマサチューセッツの私立学校で教鞭を執る。
  • (20) 『鹿鳴館の貴婦人大山捨松』所収。
  • (21) 瓜生外吉 (1857~1937) 石川県出身。海軍大将。明治8~14年アナポリス海軍兵学校に留学して砲術を学び帰国後, 海兵教官。明治25~29年駐仏公使館付武官, 秋津洲・扶桑・松島・八島各艦長を歴任, 日露戦争時は少将で第4戦隊司令官, 仁川沖の海戦で緒戦に武勲。戦後竹敷要港部司令官, 佐世保・横須賀各鎮守府司令長官。男爵。『自伝益田孝翁伝』pp.89~99に繁子の世話になったAbott家についての瓜生外吉談話が載っている。
  • (22) Jerome Dean Davis (1838~1910) アメリカ海外伝道会宣教師。南北戦争に従事, シカゴ神学校を卒業。明治4年来日, 神戸に上陸, 明治8年京都に移り新島裏に協力同志社創立に与り, 終生同志社のため尽くした。『来日西洋人名事典』参照。
  • (23) 神田乃武 (1857~1923) 益田邸で「ベニスの商人」を上演した時, 神田はバッサニオ役を演じる。久野明子『鹿鳴館の貴婦人大山捨松』pp.150-454に捨松と神田の関係について詳述されている。
  • (24) 高嶽秀夫 (1854~1910) 安政元年若松に生まれ, 日新館に学び, 明治3年上京して福地源一郎に師事, 次いで慶応義塾に学び同7年福沢諭吉の推薦で文部省出仕, 翌8年師範学科調査研究のためアメリカのオズウィゴー師範学校に留学, 明治10年に帰国, 東京高等師範学校教授, 同校校長を経て東京女子高等師範学校長, 東京美術学校・東京音楽学校校長を兼任。ペスタロッチの開発主義教育を主唱して教育界に影響を与えた。 (『図説教育人物事典』上巻参照)
  • (25) 『鹿鳴館の貴婦人大山捨松』所収。
  • (26) 「不如帰」徳富蘆花が (明治31年11月~32年5月) 「国民新聞」に連載した悲恋物語。三島弥太郎 (通庸長男) に嫁いだ長女信子をヒロイン「浪子」として登場させ, 結核のため愛する夫「武男」と無理やり離婚させられ, 「片岡中将の後妻繁子」の虐待で骨と皮ばかりに痩せ細り, 血を吐きながら死んでいくという筋書き。大山家, 特に継母捨松にとっては迷惑千万な小説であった。
  • (27) 明治41年4月30日, 軍艦松島がシンガポール, コロンボ経由で日本に向かう途中, 膨湖島の馬公港に停泊中, 火薬庫の爆発で艦長以下二百余名の乗組員と共に, 捨松の長男少尉候補生の高, 繁子の長男海軍少尉瓜生武男は殉職した。
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