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英学史研究
Vol. 2007 (2006) No. 39 P 19-44

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http://doi.org/10.5024/jeigakushi.2007.19

  • 1) 石原千里「阿蘭陀通詞 西吉兵衛・吉十郎父子 (1) 」『英学史研究』第35号、2002年。
  • 2) 土井康弘 (1) 「オランダ通詞西吉十郎の「御用留」 (1) 」『一滴』第12号、2004年。 (2) 「オランダ通詞西吉十郎の「御用留」 (2) 」『一滴』第13号、2005年。安政6年12月31日まで。以降は続刊の予定。
  • 3) 前掲土井2) 、 (1) 、2004年、pp.136-134に請求記号とともに明記されている。
  • 4) 前掲石原1) 、p.12、
  • 5) 石原千里「エゲレス語辞書和解とその編者たち」『英学史研究』第17号、1984年、p, 117および「ラナルド・マクドナルドの生徒たち」『英学史研究』第23号、1990年、p.62。
  • 6) ゴンチャロフ著井上満訳『日本渡航記』岩波文庫、昭和34年 (昭和16年初版) 、p.80。高野明・島田陽共訳『ゴンチャ日一フ日本渡航記』新異国叢書II、雄松堂、昭和63年 (昭和44年初版) 、p.196。
  • 7) 前掲石原1) 、pp.2-4およびp.11。
  • 8) 「先祖書」、「三代明細」、西吉十郎「由緒書」 (文久3年。1863書上) などの西吉兵衛の項。この文久3年の由緒書に加筆、削除した慶応元年 (1865) 、慶応4年 (1858) の由緒書もある。控え、草稿、あるいは下書きであり、提出された文書そのものではない。
  • 9) 文倉平次郎『幕末軍艦威臨丸』赤松範一、1938年。復刻・名著刊行会、1979年、p.64。
  • 10) 文久3年書上「由緒書」。
  • 11) 石原千里「ヘンリー・ウッドの英語教育-その日本英学史およびプロテスタント史における意義」『英学史研究』第19号、1986年、pp.159-160および「1858年長崎におけるヘンリー・ウッドの英語教育-The New York Joumal of Commerceの記事から-『英学史研究』第33号、2000年、p.14。
  • 12) 前掲石原1986年11) p.167 (原文はNarrative of Rev. Mr. Syle's visit to Japan, Spirit of Mtssions, Feb., 1859, p.85) 。
  • 13) ゴンチャロフ著井上満訳『日本渡航記』岩波文庫、昭和34年 (昭和16年初版) 、p.80および高野明。島田陽共訳『ゴンチャローフ日本渡航記』新異国叢書II、雄松堂、昭和63年 (昭和44年初版) 、p.196。
  • 14) 古賀十二郎「長崎名家墓所一覧1」所収「石橋氏」、長崎県立長崎図書館蔵。
  • 15) 明治初期には長崎県職員として通弁、のち訳官をつとめ、明治8年新政府に登用される。逓信省管理局次長となる。本会会員三好彰氏より『日本百年写真館』朝日新聞社、昭和60年に西成政の写真が出ているとのご教示をいただいた。孫の博之氏による解説がある。
  • 16) 「村垣淡路守公務日記之十五」安政六年二月六日『大日本古文書幕末外国関係文書』附録六。
  • 17) 『大日本古文書幕末外国関係文書之二十三』、pp.236-237。
  • 18) 「村垣淡路守公務日記之十五」安政六年四月四日『大日本古文書幕末外国関係文書』附録六。
  • 19) 『大日本古文書幕末外国関係文書之二十三』、pp.390-392。
  • 20) 石井研堂「ポーハタン号一行の私信 (二) (4) 「名村五八郎の私信」」『明治文化』5巻8号、昭和4年8月、pp.26-27。
  • 21) 「村垣淡路守公務日記之十六」安政6年7月17日『幕末外国関係文書』附録七、p.101。
  • 22) 維新史学会「幕末維新外交史料集成』第6巻、昭和19年、p.266。
  • 23) その12名については、石原千里「名村五八郎と名村泰蔵」『英学史研究』第26巻、1993年、pp.88-89に記載した。「駿河表召連候家来姓名」は国立公文書館蔵。
  • 24) 石原千里「万延元年遣米使節一行の将来本について」『英学史研究』第14巻、1981年、pp.206-207、および前掲石原23) 、1993年、p.92。
  • 25) 国立公文書館蔵。
  • 26) 堀孝彦「英学と堀達之助』 (雄松堂出版、2001年) 、p.481。
  • 27) 「親類書」 (西初之助) 、天保12年11月書上、中山文庫、シーボルト記念館蔵。
  • 28) イサベル・田中・ファン・ダーレン「阿蘭陀通詞系図 (III) -小川・森山家-」『日蘭学会会誌』第28巻第1号 (通巻51号) 、2003年10月、p.88、および、石原千里・堀孝彦「中山兵馬は堀達之助の弟ではなく、甥の間違い」「日本英学史学会報』、2004年1月、p.2。
  • 29) 前掲堀孝彦26) 、2001年、pp.481-482、p.508、および、イサベル・田中・ファン・ダーレン「阿蘭陀通詞系図 (II) -中山家-」『日蘭学会会誌』第27巻第1号 (通巻50号) 、2002年、p.83、pp.87-88、前掲イサベル・田中・ファン・ダーレン2003年10月、p.88。
  • 30) イサベル・田中・ファン・ダーレン「阿蘭陀通詞系図 (II) -中山家-」『日蘭学会会誌』第27巻第1号 (通巻50) 、2002年、p.83「女ツ) 」、およびp.88「ツ) 」。
  • 31) 前掲堀孝彦26) 、2001年、pp.421-428、および、イサベル・田中・ファン・ダーレン「阿蘭陀通詞系図 (I) -今村・堀・立石家-」「日蘭学会会誌』第26巻第2号 (通巻49号) 、2002年3月、p.37。
  • 32) 長崎県立長崎図書館蔵。現在は長崎歴史文化博物館に収蔵されている。
  • 33) 楢林栄左衛門「由緒書」安政6年に、「倅 楢林栄七郎/同 川原廣太郎/同 志筑龍三郎」とある。
  • 34) 森永種夫校「長崎幕末史料大成』1、長崎文献社、1969年、pp.78-79 (文久2年5月20日) とpp.78-79 (6月20日) に横山又之丞・川原広太郎共訳、および、同書2 (1970年) 、pp.195-196 (6月28日、三島末太郎・川原広太郎共訳) がある。いずれも初代アメリカ長崎領事ウォルシュJohn Glia Walshの書翰を英文から翻訳している。
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