日本林学会大会発表データベース
第114回 日本林学会大会
セッションID: J21
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T9 熱帯林の再生--多様な森林の価値をどう保全し再生させるか--
タイ北部ミアン(醗酵茶)園における持続的林地利用とその管理
*佐々木 綾子プリーチャパニャ ポンチャイ竹田 晋也神崎 護太田 誠一
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抄録
タイ北部の伝統的な食品であるミアン(醗酵茶)の原材料となる茶葉は、いわゆる「ミアン園」で栽培される茶樹から採取されてきた。タイ北部では1960年代から森林の農地への転換や短期休閑型焼畑の拡大等によって森林減少が進行してきたが、ミアン林の経営農家はチャと被陰樹、薪炭・用材樹木等を混植させて、森林構造を保持しつつ管理を行ってきた。このことからミアン園経営は北部山地における「持続的森林利用」として注目を集めてきた。しかし一方でミアン生産村におけるミアン園経営の実態、ならびに社会変容に対応したミアン園管理の変化についての調査研究はほとんどなされてこなかった。そこで本研究ではミアン生産村におけるミアン園経営と管理形態の現状を把握・解析し、社会変容がそれらの経営管理に及ぼした影響を明らかにした。調査は社会経済的な調査が1970年代に一度行われたチェンマイ県パンマオー村パンマオー集落(以降P集落)で行った。P集落には2002年時点で32世帯87人が居住し、内30世帯がミアン園経営及びミアン生産を主な生業としていた。研究方法は以下の通りである。1)29世帯に対し質問票を用いた聞き取り調査を行い、ミアン園経営管理の現状と変容を明らかにした。2)27世帯が使用するミアン園85筆を対象にGPSを用いて境界をトレースすると共にミアン園内を踏査し、GISを用いてミアン林の配置図を描画した。2)で得られた画像に1)の結果を重ね合わせ、ミアン園経営を時間的空間的に解析した。解析の結果、P集落での生産環境の変化に伴うミアン園管理経営の変動を明らかにした。過去30年間におけるP集落のミアン生産を取り巻く環境変化の様相は1970年代から80年初期の〔前期〕、及び80年代後期から現在までの〔後期〕、の二つの時期で大きく異なった。前期には__丸1__麓からの公道の整備、__丸2__ミアン運搬への車両導入、__丸3__ミアンの商品価値に対する期待の高まり、__丸4__労働力流入に伴う世帯数の倍増等の大きな変化が起こった。またミアン園管理では__丸1__ミアン園内での被陰樹伐採によるチャ栽培面積拡大、__丸2__チャ植栽密度の増加、等の変化が起こったのがこの時期だと推測できた。このことから前期はミアン市場への期待の高まりと生産環境の整備が同時に起こり、ミアン園経営管理の集約化が進んだ時代であった。後期には__丸1__ミアン生産の他産業に対する相対的価値の低下、__丸2__その結果他産業に従事するための労働力流出と世帯数半減、が大きな変化として起こった。現在のミアン生産者が利用するミアン園の94%がこの期間に購入・賃借開始されたものであった。また現在ほぼ全世帯が複数のミアン園を経営しており(平均3.4筆/世帯)、その中で前期には一つの世帯によって経営されていたミアン園が、現在では分割され複数の世帯に譲渡・賃貸されて経営されている例も多くみられた。このことから後期には脱ミアン生産者によるミアン園移譲が活発化し、それに伴いミアン園の分割・複数経営が進んだと考えられた。また労働力は70年代の7.2人/世帯(Keen 1972から推定)から現在は3.6人/世帯へと減少し、同時に主要労働年齢層も70年代の10代から現在の40代へと高年齢化が進んだ。ミアン園管理については後期に入ってから__丸1__柑橘類を主とした果樹栽培の増加、__丸2__飲料茶への転換の試み、__丸3__ミアン園の部分的利用などの生産調整、がみられ、現在はミアン園管理の粗放化と経営の多角化時期であることが明らかになった。現在多角化が進む一方、慣習法による土地利用制限や労働力・資金不足から、ミアン園から他作物栽培への大規模な転換は困難だと思われた。また北部での葬礼用のミアン需要が今後も維持されるという生産者の自信もあり、この伝統的利用が続く限りミアン生産を基幹とした経営が続き、その中での非ミアン収入源の模索が続くと予測された。その結果今後もミアン園が森林景観保持に寄与する可能性が示唆された
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© 2003 日本林学会
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