2013 年 30 巻 p. 206-221
数学教育に携わる複数の関係者にインタビュー調査を実施し、言説体としての数学教科書の特徴を検討した。多くの関係者が努力を重ねているにもかかわらず、現行の数学教科書は、結果として学習者を数学から遠ざけ数学嫌いにしている可能性が示唆された。
高校教師に対するインタビューでは、教科書という言説体の位置づけが現状では中途半端で、現場の教師にとって使いにくいものとなっており、場合によっては不必要ですらあることが示 された。いわゆる成績上位の学校の場合、授業で使用されてはいるものの、教科書は最小限の情報しか含んでおらず、教師による補足が不可欠である。また、授業にあたっては問題集を使用することに力点が置かれ、教科書の比重は小さい。一方、いわゆる低学力校では、授業にあたって教科書は使い物にならず、学習者にとって不可解かつ無用の長物となっている。教師は授業にあたって、教科書の内容に相当の補足を行い、さらに教材を工夫するなど、多くの努力を強いられている。教科書は形骸化しており、無意味な存在となっていると言ってもよい。
現行教科書の整理された内容には評価もある一方、その課題を指摘する声は多い。教科書の内容は、数学的にみて不自然であり、学習者の思考のあり方からも乖離している。学習者の陥りがちな誤りに寄り添って思考を導くところがなく、数学を学ぶ意義や、数学の楽しさを見出しにくくなっているのが現状である。
教科書会社の編集者に対するインタビューでは、こうした指摘に理解が示される一方、そのために工夫をこらすと採用されにくくなるという矛盾した状況が示された。現場の教師は、指導しやすく受験勉強にも役立つ教科書を求める傾向があり、指導に工夫の必要な教科書は敬遠されがちな状況がある。
現行教科書は、いわば「数学らしきもの」を学習者に提示しているだけであり、その結果として「数学嫌い」を増やしている可能性がある。このような構造について考察するとともに、自由度が高く、学習する内容の意味を理解できる新しい教科書の条件を検討した。