地学雑誌
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ハルマフエラ探檢記 (I)
母の国物語
別所 文吉
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1952 年 61 巻 2 号 p. 73-79

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抄録

母の国物語は, 昭和19年2月から9月まで5回にわたり, この雑誌にのせられたが, わたくし一身上の都合で, 一たん欄筆していたハルマヘラ島探検談の後半である。この中断していた問こそ, 激しい流れが, 母国をもりとも悲しい淵にみちびいていた瀬戸際であつて, たれ1人, 閑文字をもてあそぶ隙もなかつたであるうが, わたくしもその1つの小さな渦巻にまき込まれ, 大使館の人間として, 張家口にゆき, 任務についていたが, 張家口が, かつてのカルガンで, 中央亜細亜探検の基地とし, ポーロ以来, プルジェバルスキーなど, 先輩をしのぶ故地であることが, わずかにわたくしの乾いた心をなぐさめた。また乙この西北科学研究所をたずねて, 蒙古草原の探検談をきくことが, 楽しみの1つであつたが, さてじぶんで草原に行くことはもとより, 昔の探検を憶いだして, 書いてみる気にもなれなかつた。この間のわたくしの仕事は, トツカン工事ばかりで, どれ1つとして, 記録に残したいものはなかつたが, ただ18人の同志と最後までよくまとまり, 公私ともに助けあつたことが, 当時の環境からして, 恥しからぬことの1つであつたろう。同志の精神的結合は1人1人の高い道徳的水準によることは, もちろんであるが, その前年わたくしがハルマヘラ島の探検で, 旅するにしたがつて, 移りかわる環境や, 起きてくる色々の事件のあるたびに, 人種や, 年令や, 官等などの夾雑物を, 篩いおとして少しだいに強められる結合のあることを, 知つていたことが, すくなからず幸いしたのである。
わたくしは停戦を, 内地出張のみち, 対島の比国勝で知り, トツカン工事からは開放されたが, 同時に18人の結合からわかれて, おぼつかなくも, ひとり, 同志の安否をきずかわねばならなくなつた。又の会う貝まで, わたくしはこの不幸な秋に, 張家口のあたたかい結合の, 前提であるハルマヘラ島での, 荒削りな隊員の, まとまりへの道すじを, その旅と人とをつうじて, 省察しつつ, 物語つてみたい。

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