地学雑誌
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岩手県福岡町附近の新第三系について
-北上山地北縁の新生界I-
鎮西 清高
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1958 年 67 巻 1 号 p. 1-30

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抄録

(1) 本地域内の新第三系は第1表のように区分される。概観すれば下位より,
A. 四ツ役累層;厚さ150~250m。主として岩相変化の著しい泥岩・砂岩・礫岩からなり, 三者の互壕の部分がある。中部に凝灰角礫岩を主とする火砕岩A2があつて, 上A3・中A2・下A1に三分される。植物化石が多い。
B. 門ノ沢累層 : 厚さ50~100m。主として均質な青灰色シルト岩B2からなる。その基底部には化石の豊富な礫岩・砂岩B1が, 文本累層の分布の中央近くでは最上部に砂が混入した不均質なシルト岩B3がある。B3にも化石が多い。
C. 末ノ松由累層;厚さ100~150m。地域内で最も分布が広い。主として凝灰質砂岩C2・C4からなるが、基底部に薄い礫岩C1があり, 下部の一部に軽石凝灰岩C3を挾み, 上部は, 火砕岩C5・C6と, その岩片の集積した火山岩質砂岩C7からなる。
これを合せて白鳥川層群と呼ぶ。白鳥川層群の堆積のダイヤグラムを画けば第15図の様になる。白鳥川層群は, 北上自地北縁の新生界の下部の層群で, 基盤岩類を著しい傾籍不整合に被い, 三戸層群に大部分で整合, 一部不整合に被われる。
(2) 本地域は構造的に三部分に分けられる。すなわち
1. 南部の浪打峠向斜。東西両働の基盤の間を西北西或は北西に走る緩かな向斜。
2. 中部の米沢構造盆地。地域中央西部に中心のある半円形の盆地構造。その南端は南部の向斜に続く。
3. 北部の単斜構造。西或は北西にゆるく傾く単斜。
この大構造に伴つて,
1. 基盤に近い地域東部の数カ所で, 門ノ沢累層以下の昏層がゆるい波曲性の背斜向斜をつくる。
2. あまり転位量の大きくない断層がある。このうちの多くのものがN30°W或はそれと直交に近い走向を有する。
大構造とこの小構造を含めて, 地域内ではN30°Wの方向性の構造が卓越する。上記の向斜或は盆地構造はこの方向にのびる基盤の問の凹部である。
(3) 各層の岩体の形態を等層厚線図で表現すると, 大部分のものが東西両側の基盤の問に北或は北西に長軸をもつ長楕円形のレンズとなる。その堆積の中心は, 門ノ沢累層及び末ノ松山累層の下部では地域中央近くの白鳥川下流部にあり, 末ノ松山累層中上部では西或は西北に移動して, 馬淵川付近になつた。この変化はC3の堆積後に起つた。
(4) 門ノ沢累層と末ノ松山累層との関係については, 従来整合説・不整合説があつたが, 筆者は, 地域の東縁近くでは傾斜不整合が見られ, 他は一般に整合であるという結論を得た。斜交関係の見られるところはいずれも, 門ノ沢累層の波曲性の背斜の頂部を削つて末ノ松山累層の堆積が起つている。すなわち, 門ノ沢累層堆積末期から堆積後の短期間に, この様な波曲をつくる運動があつた。
(5) 大塚 (1933・34) によつて “仁左平石英粗面岩” と呼ばれた石英安山岩の噴出時期は, 従来考えられていたより新しく, 末ノ松山累層堆積の末期かそれ以後である。
なお, 門ノ沢累層は大塚 (1939) によつて “門ノ沢時代” の模式とされたもので, これが中新世F2~F3時代のものであることは論議の余地はない。しかし, 四ツ役累層・末ノ松山累層の時代及び対比に関しては多くの問題が残されており, これについては上位の三戸層群と併せて論ずるのが適当と思われるので本論では省略し, 後の機会にゆずることにした。

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