80 巻 (1971) 3 号 p. 179-182
関東南部の震災対策・異常地殻変動など, 地震に対する官民の関心がにわかに高まつている折から, 2月9日朝6時 (日本では夜23時) 1 分頃, ロサンゼルス市を襲つた地震は, 近代都市の地震対策を進めるために, 他山の石として, 学ぶべきことが実に多い。1906年のサンフランシスコ地震は, 米国内はもとより日本などでも, 地震学・地震工学を画期的に促進したが, 今回の地震も同様な効果をおよぼすだけでなく, 地震に対するより広範な防災体制の整備への契機にもなり得よう。
この地震のP波が, 約9,000kmを隔てた松代の気象庁地震観測所の地震計に記録されたのは, 地震が発生してから約12分後のことであつたが, 日本の放送や新聞がこの震災を報じ始めたのは, 翌10日の朝からである。そして, 建設省を主軸とする政府合同調査団や東京・神奈川・大阪・横浜・川崎・名古屋・神戸などの都県市の調査団が相ついで現地へ派遣された。民間土建業者や報道関係者などを加えると, この地震のために日本から現地へ派遣された者は100名余を算した。
筆者も, 政府合同調査団の唯一の地学専門家として, 2月21日~3.月4日, 現地を踏査するとともに, カリフォルニア州内の関係諸機関を歴訪し, 今回の地震の実態, 災害状況, 観測研究体制, 地震情報の作成・発令・伝達状況などをつぶさに調査してきた。
この地震は, 死者62名, 傷者1,000余名を出し, 家屋・病院・学校・ダム・高速道路・変電所・ガス・水道などに惨害をもたらした。全壊ないし立入り禁止の建物は821棟を算し, また, バンノーマン・ダムが決潰にひんしたため, 一時は約8万名の住民が緊急避難した。しかし, この災害状況や防災活動については, かなりよく報道されているので, ここでは, 地学関係の事項に限つて報告する。