地学雑誌
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17世紀中葉オランダの東インド通商圏
科野 孝蔵
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1981 年 90 巻 5 号 p. 314-335

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抄録

以上, 私は17世紀中葉のオランダの東インド貿易の機構と実態を考察した。「商取引をコンパスとし, 利益を北極星としてde handel tot kompas en de winst tot leid-ster」。彼等は当時, 世界第一の貿易国家として東インドにおいて活躍した。
シュミットの言を借りれば, これは自然に従う交易der naturgemäβ Austauschであり, 国民生活に最も有利であり, 需要のある所へ商品は自然に流れ, 欠乏と過剰との間に均衡を生ぜしめたものであった。「各国間の商品の流れは, 各国の生産力, 指導理念, 文化, 発展段階の空間的差異の反映であり」, 地理学者にとって大きい関心事であるが, このオランダの東インド通商圏も歴史地理学的にも興味あるところであるといえよう。
古くから大洋へ進出していたオランダ人は16世紀末より東インドへ進出し, 当時の主要貿易品であった香辛料貿易の独占を試みた。そのために, 先ずオランダ東インド会社という貿易の特許会社を設立し, アムステルダムの本社には最高機関として17人重役会を設置し, バタビアには東インドの総督をおいて東インドの貿易を統轄せしめた。
香辛料貿易の独占のためには, 主要生産地を占領し, また, 商敵とくにポルトガル人とイギリス人とはしばしば交戦した。貿易すなわち戦争なり, と叫んだ総督もあった。が, その取引方法は各地の情況により異なり, 土地を独占するか, 取引の独占権を獲得するか, または全く自由な取引を行った。1650年ごろには, 通商圏は拡大されていて, アラビアのモカからペルシャ, インド, シャム, トンキン, 台湾, 日本へと広大な地域に, 商館が設置され, バタビアは東インド通商圏の要地であった。この通商圏は, また, 異質の部分空間よりなる一つの経済空間でもあった。東インドの各国は異質の空間部分であり, その中心極がバタビアであったといえよう。
バタビア港と交通の多い港は, もちろん, スンダ列島の諸港であった。しかし, この頻繁さを以って, 取引量の大小を決めるわけにはいかない。当時, 使用されていた船舶には大小の種類があり, スンダ列島の諸港との交通には小型が, 大洋へは大型の帆船が使用されていた。また大洋への航行には海上の季節風を利用したので, 航行時期が制約されていた。
各地の商館では, オランダ船の舶載した商品を販売したが, またその地方の物産を求めてバタビアへ送った。もちろん, バタビアで消費されるものもあったが, 多くはオランダ本国または東インド各地へ再輸出されるものであった。オランダ人は東インド各地間の仲介貿易にも従事した。これは, 本国へ送るべき香辛料を入手するための交換物資を, 東インド内で獲得するためにも必要な取引であった。
会社の記録によれば, 各商館は必ずしも, すべてが利益をあげていない。これは, 私見によれば, 会社の利益計上方法によるもので, 輸入の多い地方では利益が大きく, 反対にその地の物産の輸出を主とした商館では利益が小さいか, 欠損を示しているようである。一般に東インド貿易においては利益が莫大であったといわれるが, 事実, 利益は必ずしも多いとはいえず, 一般に東インド資金 (投資額) の10%にも達していないことは, 上述したとおりである。

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