本稿は, 戦前の生活合理化運動と戦時体制の親和性に着目し, 自由学園の1940年代すなわち戦時下における裁縫教育の具体的実践の様相を, 当時の生徒が発行していた『学園新聞』や雑誌『婦人之友』の分析を通して明らかにした. 明らかになったことを3点挙げる. 1点目は, 学園の戦時下における裁縫教育実践であった協力裁縫は, 「更生利用」「節制」という方向性を持っており, それは学園の戦前からの教育方針であった生活の「合理化」と親和性が高く, 「生活即教育」という学園のあり方にも即して戦時体制に馴染むことが可能だったことである. 2点目は, 戦前の実践と異なり, 協力裁縫は作業的な能率の良さを求める傾向が強く, 合理化路線よりむしろ工場化・労働化へと移行していったことである. 3点目は, 協力裁縫はただ生活を「合理化」するだけでなく, 「美化」するという戦前からの一貫した視点を有していたことである.