東京大学農学部
1987 年 51 巻 5 号 p. 13-18
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18世紀前半に徳川吉宗によって桜等の植栽整備のなされた東京, 王子の飛鳥山の歴史を, その計画思想という観点から据え直した。飛鳥山を花の名所となすべき, 空間整備, 運営政策の両面にわたる周倒な計画であったことを明らかにした。上から作られた飛鳥山は, 更に下からの市民の利用と相侯って名所として確立していった。
造園學雑誌
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