松平定信は致仕後, 自らを楽翁と号し浴恩園の整備を進め, そこにハスの品種を多数集め, それを観賞し, 蓮譜『清香譜』を完成させている。それまでは, ハスの品種観念も曖昧で, 品種数も数種とり上げられているたすぎなかったが, 『清香譜』では九十余種記載されていたといわれ。蓮譜史上, 画期的な意義を有する。しかし, その『清香譜』は戦後, 散逸し, その実像は明らかでない。また, 翁のハスの観賞についても, その実態についてはほとんど知られていない。そこで, 本稿では, 楽翁のハスの観賞の態度・あり様について, また, その大きな事績である『清香譜』について考察するものである。