北村援琴著『築山庭造伝』(1735), あるいはその後に続く秋里籬島著『築山庭造伝後編』(1828) 等の刊行は江戸後期における市井の庭造りの隆盛を裏付けるものであるが, 江戸後期に刊行された家相書にも庭造りの樹木・池泉・築山に言及したものが多く残されている。家相見は江戸期の安定化社会における宮廷陰陽道の市井での復権, 大衆化の現れであった。この家相見により庶民は庭造りの吉凶の占いを請い, 何らかの規範が示されることを求めた。家相書には作庭技法についての記述は少ないが, 池泉・樹木・築山等についての吉凶が詳細に記された。本稿は江戸の庭造りの一端を巷間に流布した家相書から検討するものである。