千葉大学園芸学部
1998 年 62 巻 5 号 p. 417-422
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安永期の六義園のありさまとそこでの庭園生活を, 柳沢信鴻の『宴遊日記』をもとに考察した。この時期六義園では, 腰掛茶屋と茅屋の二つの茶屋が建設され, 妹背山と水分石の改修がおこなわれた。信鴻は, 芝刈りを初めとする庭の手入れに自ら従事し, 畑の野菜や園中の春草, 栗, 茸などの収穫や採取を楽しんだ。俳譜の会もたびたび催された。これらの催しは, 個人的で家庭的な雰囲気を有した。この時期六義園は山里とみなされており, 平安時代以来の山居趣味を満たす場であったと考えられる
造園學雑誌
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ランドスケープ研究(オンライン論文集)
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