日本金属学会誌
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特集「発展を続ける局所力学測定とマクロ変形機構解析への応用」
Interstitial Free(IF)鋼の粒界における局所力学特性に及ぼす幾何学因子とB添加の影響
遠藤 一輝井 誠一郎木村 勇次佐々木 泰祐後藤 聡太横田 毅大村 孝仁
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2021 年 85 巻 1 号 p. 30-39

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Abstract

Nanoindentation measurements on various grain boundaries were performed to clarify the effects of the geometry of neighboring grains and the addition of boron (B) on plasticity resistance in the vicinity of grain boundaries in interstitial free (IF) steels. We define a parameter, α, which is measured by the slope of a P/h - h curve with load, P, and displacement, h, to estimate the resistance against plastic deformation in the grain interior and at the grain boundaries. The value of α is almost constant with the geometric compatibility factor of the grain boundaries. This result shows that the geometry of the neighboring grains does not affect the plasticity resistance at the grain boundaries. However, the value of α increases by the addition of B due to the segregation of B and Ti to the grain boundaries. It is indicated that the elemental segregation to the grain boundaries enhances the resistance to the plastic deformation in the vicinity of the grain boundaries.

1. 緒言

鉄鋼材料などの多結晶金属では,降伏応力は結晶粒径の逆数の平方根に比例するというホール・ペッチの関係が成り立つことが知られている1,2.材料強度の向上には,結晶粒微細化に加えて,上記の強度の粒径依存性を示す定数,すなわちホール・ペッチ係数の制御が重要である.ホール・ペッチ係数は結晶粒界のすべり変形に対する抵抗を示す指標3-5と考えられているが,引張試験などのマクロな特性を評価する従来の材料試験方法では,試験片に含まれるすべての結晶粒界の平均値として評価される.しかしながら,粒界ごとにその共通回転軸や方位差などの幾何学因子が異なり,同一の材料であっても個々の粒界で変形抵抗の大きさは異なることが予想される.粒界の幾何学や組織因子と変形抵抗の関係を明確化することができれば,ホール・ペッチ係数の機構モデルの理解が深化し,これを制御することが可能になると期待される.

ナノインデンテーション法は,すい型などの圧子を材料表面の局所領域に圧入し,µNの荷重分解能とnmの変位分解能で制御・測定して圧入に対する材料の力学応答を測定する手法である6,7.加えて,圧入に用いる圧子で試料表面を走査するプローブ顕微鏡(Scanning Probe Microscope, SPM)の機能を併設する場合は,結晶粒界直上,もしくは結晶粒界近傍など任意の位置を10 nm程度の高い空間分解能で選定して試験を行うことができるため,個々の結晶粒界の変形抵抗を評価することができる.さらに,電子線後方散乱回折(Electron Back Scattering Diffraction, EBSD)測定を併用して各結晶粒の結晶学的な情報を取得し,各粒界における外力下の力学条件や幾何学因子の影響を議論することもできる.これまで,個々の結晶粒界における変形抵抗をナノインデンテーション法によって評価した例として,粒界近傍の局所力学測定を行うとともに隣接粒間の幾何学的関係から粒界を越えて活動するすべり系を予測し,実験と比較した結果が報告されている8-13.例えば,TokudaらはΣ3対称傾角粒界を有するAl双結晶を用いて,転位の生成・増殖を素過程とする塑性変形の開始挙動であるポップイン(pop-in)現象に着目し,粒界近傍のポップイン応力が粒内と比較して小さいことを報告している11.Tsurekawaらは,Fe-3mass%Siを用いた粒界近傍でのナノインデンテーション試験により,すべり変形が粒界を伝播する臨界応力や粒界ごとのホール・ペッチ係数を見積り,粒界の方位差により異なることを報告している12.これらは,転位と粒界の相互作用において,隣接粒間の幾何学因子との関係を示唆している.

一方,ホール・ペッチ係数は炭素や窒素のような軽元素の粒界偏析に影響されることも報告されている14-17.Takakiらのグループは,フェライト鋼において,CとNの粒界偏析量を3次元アトムプローブにより定量的に測定し,Cの粒界偏析がNに比べてホール・ペッチ係数を上昇させることを粒界偏析能の観点から明らかにした14-17.同様の視点に基づき,本研究では鉄鋼材料において代表的な粒界偏析元素の1つであるBに着目した.Bによるホール・ペッチ係数への影響は,0.1C-0.5Mo鋼についてCoddらが報告した例があり,20 ppmのB添加によってホール・ペッチ係数が上昇するとされている18.しかし,C偏析の影響などの他因子との分離が不完全であることや,Bの粒界偏析が直接的に証明されていないことなどから,B添加とホール・ペッチ係数の関係は明確でなく,粒界の変形抵抗に与えるBの影響は未解明である.そこで本研究では,Interstitial Free(IF)鋼を用いて結晶粒間の方位差などを予め測定した粒界に対してナノインデンテーション試験を行って粒界近傍の力学特性を評価し,幾何学およびB添加の影響を明らかにして個々の粒界の変形抵抗の支配因子を考察した.

2. 実験方法

Table 1に供試鋼の化学成分を示す.本研究では,粒界力学特性に及ぼす粒界幾何学因子の影響を調査するにあたり,同一の粒界で複数回の測定を行う必要があるため,粗大な結晶粒を有するIF鋼(IF-CG鋼)を用いた.一方,B偏析の影響を調査するために,Bを添加したうえでBの粒界偏析を促進させる熱処理を施したIF鋼(IF-B鋼)および比較材として同じプロセスで作製したB未添加IF鋼(IF鋼)の3種類のIF鋼を使用した.Fig. 1(a)にIF-CG鋼の作製工程を示す.真空溶解炉にて30 kgの鋼塊を溶製後,板厚30 mmのシートバーを作製し,熱間圧延により板厚3.5 mmの熱延板とした.その後,熱延板にIF化および結晶粒粗大化のための熱処理を施した.Fig. 1(b)にIF鋼およびIF-B鋼の作製工程を示す.真空溶解炉にて20 kgの鋼塊を溶製後,熱間鍛造して板厚30 mm,幅50 mm,長さ70 mmの角材を採取した.得られた角材を熱間圧延により板厚3 mmまで仕上げ圧延を行い,900℃の焼鈍後,IF化のために700℃-30 minの焼鈍を行い,水冷した.さらに粒界へのB偏析を促進するため,700℃-10 minの熱処理を行い,炉冷した.

Table 1 Chemical compositions of IF steels used in this study (mass%).
Fig. 1

Manufacturing process of (a) IF-CG steel with coarse grain and (b) IF steel and IF-B steel with intergranular segregation of B.

各試料の表面は,機械研磨により鏡面に仕上げた後に最終仕上げとして電解研磨を施した.電解液として8 vol% 過塩素酸,10 vol% 蒸留水,72 vol% エタノール,10 vol% ブチルセロソルブの混液を用いて,0℃で電解研磨を行い試験片とした.結晶粒方位は,走査電子顕微鏡(日本電子(株)製 JSM-7000F)とこれに付属するOIM装置(㈱TSLソリューションズ製)により,加速電圧15 kVで測定した.ナノインデンテーション(Bruker社製 Hysitron Triboindenter TI950)は,27℃の室温下で荷重制御方式により実施した.Berkovich型ダイヤモンド圧子を用い,最大荷重は5000 µNとした.負荷および除荷速度は50 µN/s,最高荷重における保持時間は10 sで,SPMで得られる像上で判断した結晶粒界から約1.5 µmの距離で押し込んだ.また,電解研磨により試料を作製した場合,表面方位に依存して研磨速度が異なるために,粒界を形成する隣接粒間で研磨後の試料表面高さが異なる場合がある.このとき,段差の上側の粒で試験を行うと段差側面の自由表面の影響で粒界の変形抵抗を正しく評価できない可能性があるため,段差の下側の結晶粒で試験を行った.上記の条件で実施されるナノインデンテーション試験から得られる荷重(P)-変位(h)曲線から複合ヤング率Erと硬さHnをOliver-Pharr法により求めた6.元素の粒界偏析は,3次元アトムプローブ(3DAP)(CAMECA社製 LEAP 5000XS)により評価した.3DAP解析試料は,FIB/SEM複合機(FEI社製 Helios Nanolab Dual Beam G4)を用いて,結晶粒界が分析方向と垂直になるよう作製した.3DAPの測定条件は,レーザーパルスエネルギーを30 pJとし,試料温度は−243℃で行った.

3. 結晶粒間の幾何学因子解析

本研究における粒界の幾何学因子として,隣接粒の幾何学関係のみで定まる方位差と,外力によって活性化されるすべり系の幾何学の双方を考慮して評価する.これまでに,粒界とすべりの幾何学的な相互作用モデルが検討されているが19-22,本研究では,隣接粒において活動するすべり系を精度良く予測できる方法として,Luster and Morrisにより提唱されているgeometric compatibility factor(m′値)を採用した22m′値とは,界面を越えるすべり変形を想定し,粒界に向かうすべり系と隣接する粒において活動可能なすべり系を幾何学的に評価するパラメータである.Fig. 2に,隣接する結晶粒における粒界面,すべり面とすべり方向の関係の模式図を示す.m′値は下記の式で表すことができる.   

\begin{equation} m' = \cos \phi_{\text{ij}} \times \cos \kappa_{\text{ij}} \end{equation} (1)
ここで,ϕijおよびκijは,それぞれすべり系i, jにおけるすべり面法線ベクトルninjのなす角度,およびすべり方向ベクトルgigjのなす角度である.m′値は,隣接粒間の結晶方位関係,および,各粒のすべり系から計算でき,すべり面間の角度および,すべり方向間の角度が小さいほど,m′値は大きくなる.隣接粒間のm′値は0から1の間で変化し,m′ = 1の場合,すべり方向,すべり面ともに平行関係となり,また,m′ = 0の条件であれば,すべり面もしくはすべり方向が直交関係であることを意味している.すなわち,すべりが伝播する先側の粒においてm′値の高いすべり系が活動しやすいことを示している22.本研究におけるm′値の検討に関しては,bccで代表的な{110}<111>すべり系のみを考慮した.

Fig. 2

Schematic illustration of geometrical description for slip systems in grain 1 and adjacent grain 2.

次に,方位差およびm′値の行列計算手法について示す.圧入側(すべりが伝播する元側)の結晶粒をGrain 1,すべりが伝播する先側の結晶粒をGrain 2とする.計算は下記の順に従って行った.

  • ① Grain 1およびGrain 2の共通回転軸および回転角の計算
  • ② 水平方向を引張軸とした場合のGrain 1のシュミット因子最大のすべり系の決定
  • ③ Grain 2で想定される全すべり系におけるm′値の計算

結晶座標系が異なるGrain1とGrain2において幾何学的諸因子を検討するには,同一の座標系で計算を行う必要がある.本研究ではこれを表現するための共通座標系として,圧延方向を[100],圧延面横方向を[010],そして試料表面法線方向を[001]とする試料座標系で計算を行い,回転軸などのベクトル表記はすべて各粒の結晶座標系で示す.

Grain 1およびGrain 2の結晶座標系から試料座標系への変換行列をそれぞれS, Tとすると,Grain 2の主軸方位をGrain 1の主軸方位に一致させる回転行列Rは下式で表される.   

\begin{equation} R_{n} = S.T_{n}{}^{-1}\ (n = 1{\sim}24) \end{equation} (2)
ここでnは隣接粒における対称性である.本研究では立方晶を取り扱うため,主軸の取り方が24通りある.得られた24通りの回転行列Rnから固有方程式を解くことで,回転軸と回転角が得られ,最小回転角をもつRnが決定できる.このRnから計算される最小回転角を方位差と定義する.次に,Grain 1において,12種類の全すべり系における試料座標系の[100]方向を荷重軸とする外力に対するシュミット因子を計算し,最大値を有するすべり系を決定した.その後,得られたシュミット因子最大のすべり系と,Grain 2における全すべり系を,変換行列SおよびTにより試料座標系にて表現した.試料座標系で表現したそれぞれのすべり面法線方向および,すべり方向を用いて,式(1)により計算し,最大値となるm′値を採用した.

4. 結果および考察

4.1 結晶粒間の幾何学的相互関係と粒界力学特性の関係

Fig. 1(a)の熱履歴にて作製したIF-CG鋼では,100 µmを超える粗大な結晶粒を有していることを光学顕微鏡にて確認した.Fig. 3(a)にIF-CG鋼の粒界近傍におけるナノインデンテーション試験箇所のSPM像を示す.粒界から圧痕最深部までの水平距離は1.5 µm程度,圧痕を試料表面に投影して得られる圧痕三角形の1辺が約3.0 µmである.圧痕の一部が粒界まで到達していることや,半球状に近似される塑性域の直径が圧痕三角形の1辺の約1.4倍であることから23,粒界の変形抵抗を評価するための塑性変形域サイズが十分に得られていることが確認できる.また,Berkovich型圧子形状において稜線部と圧子面部からは共に圧縮応力が発生する23.したがって,粒界に対する圧子の向きによらず,前述のGrain1内において活動するすべり系は変わらないため,圧子形状は本実験結果に顕著な影響を与えないと判断できる.Fig. 3(b)にナノインデンテーション試験後の試料表面の光学顕微鏡写真を示す.同一の粒界に対して,塑性域間の影響を避けるために圧痕間の距離を5 µm以上確保して測定を行った.またFig. 3(c)-Fig. 3(f)に本研究における基準結晶粒の試料表面法線方向のInverse Pole Figure(IPF)マップを示す.基準結晶粒とは,ナノインデンテーション試験により局所力学特性を測定した粒界に囲まれた結晶粒である.基準結晶粒の粒内と粒界の力学特性を比較することにより,粒界の変形抵抗を評価する.Fig. 3(c)-Fig. 3(f)の各基準結晶粒を,Grain A,Grain B,Grain CおよびGrain Dと称し,それぞれの試料表面法線方向は<025>,<001>,<011>,<111>に近い方位である.

Fig. 3

(a) Scanning probe microscopy image of indentation near grain boundary, (b) optical microscopy image after nanoindentation. Figures (c) to (f) are inverse pole figure maps of normal direction to surface of grains A in (c), B in (d), C in (e), and D in (f), respectively.

Table 2に,Grain Aの周囲の粒のオイラー角および式(1)と式(2)の計算により得られたm′値,方位差および回転軸を示す.Grain Aを囲む粒界は,Fig. 3(c)に示すように粒界番号①-⑪(以下,GB1-GB11と記載)で構成されているが,隣接粒よりも基準結晶粒の高さが低い粒界のみを選択し,表の上からm′値の大きい順に表示している.m′値と方位差の大小関係を比較すると,その序列は必ずしも一致していない.

Table 2 Geometrical relationship between grains adjacent to the grain A shown in Fig. 3(d).

Fig. 4(a)はIF-CG鋼におけるGrain Aの粒内とGB3において得られた荷重(P)-変位(h)曲線の例である.Fig. 4(a)において,負荷の初期に見られる矢印で示した不連続な変位の変化が,ポップインと呼ばれる現象である.粒内とGB3のP - h曲線を比較すると,ポップイン荷重はほぼ同程度であり,また負荷開始直後からP = 2000 µN程度までP - h曲線に顕著な差は認められないことから,この荷重範囲では粒界の影響は顕著でないと判断される.一方,P = 3500 µN以上の領域では,GB3のP - h曲線の傾きがやや大きく(同じ荷重値に対する深さがやや浅く),これは粒界の変形抵抗の影響を示唆する.中野らは,ナノインデンテーション試験で得られる粒界の変形抵抗の指標について,最も一般的に用いられる硬さは精度が比較的に低いことを指摘し,それに替わる方法としてP - h曲線から得られるP/h - h曲線の傾きαを変形抵抗の指標とする解析法を提唱した24.彼らは,SUS304を用いた実験により,ある圧入深さに達するとαが上昇する挙動を例示し,圧子下の塑性域が粒界に達する圧入深さとこの深さがほぼ一致することを明らかにした.このことから,αの上昇は粒界の変形抵抗が粒内の抵抗に加算されたことを反映していると結論付けている.IF-CG鋼においても,同様の手法によって,粒界の変形抵抗をP/h - h曲線の傾きαで評価し,硬さの指標とともに用いる.Fig. 4(b)に,Fig. 4(a)より変換したP/h - h曲線を示す.また,Fig. 4(b)内にP/h - h曲線の傾きαsおよびαeを定義した.αsおよびαeは,Fig. 4(a)のP - h曲線上の荷重範囲1250 µN ≦ P ≦ 2000 µN,3500 µN ≦ P ≦ 5000 µNにそれぞれ対応するP/h - h曲線の傾きである.本研究では,ナノインデンテーション試験を荷重制御で行ったためにαsおよびαeの算出区間を荷重条件で設定したが,αの測定精度を同等にするためにP/h - h曲線の深さ範囲を両区間でほぼ同等となるように荷重範囲を決定した.αsの荷重上限に対応する圧入深さは約220 nmであり,これから見積もられる半球状塑性域の半径は変形前の試料表面と圧子の接触点を中心として,圧入深さの5倍の1.1 µmと算出される23.水平方向への塑性域の大きさは試料表面上が最大となり,粒界から圧痕までの距離1.5 µmよりも小さいので,この圧入深さでは粒界の影響を受けない条件と判断される.一方,αeの荷重範囲に対応する最小の圧入深さは300 nmを超えており,したがって半球状塑性域の半径が1.5 µmを超えると見積もられ,αeは粒界の影響を受ける条件と判断される.Fig. 5(a),Fig. 5(b)にそれぞれ方位差およびm′値とナノ硬さの関係を示す.ここで,方位差が0°または,m′ = 1の値は,各基準結晶粒内のナノ硬さであり,白抜きで示した.また,結晶方位の依存性の有無を確かめるために,圧入方向に平行な4種類の基準結晶粒の方位を区別して示している.各基準結晶粒内におけるナノ硬さは,Grain Bが1.1 GPaと最も低く,続いて,Grain Dおよび,Grain Aにおける1.3 GPa,Grain Cにおける1.4 GPaの順であった.Fig. 5内における灰色の帯の幅は,この粒内硬さの最大値から最小値までの範囲に対応している.bcc金属の場合,明確なすべり面を有しないために必ずしも降伏応力の結晶方位依存性は顕著ではないが,これまでに報告されているbcc金属における圧縮試験での降伏応力の結晶方位依存性と同様の傾向が認められることから,各基準結晶粒の粒内におけるナノ硬さの違いは結晶方位依存性を反映している可能性がある25-28.しかしながら,粒界近傍のナノ硬さに及ぼす方位差またはm′値の影響に顕著な傾向は認められない.また,全粒界のナノ硬さの分布範囲は,粒内におけるナノ硬さの分布範囲内にほぼ収まっており,粒界近傍のナノ硬さに及ぼす方位差とm′値の影響は小さいと判断される.次に,Fig. 5(c)に,αeαsの差分Δαm′値の関係を示す.ここでΔαとは,粒内と粒界の双方の変形抵抗が含まれるαeから粒内の変形抵抗であるαsを除外した値,すなわち粒界の変形抵抗の評価指標である.Fig. 5(c)より,白抜きで示す粒内測定のΔαは−0.007-0.006程度であった.粒内のナノインデンテーション試験ではαeに粒界の影響は含まれないためΔαは理想的には0だが,その周りに実験誤差の分散が発生していると判断される.また,粒界近傍の測定においてもΔαm′値に対する傾向は明確でなく,硬さの指標と同様に粒内方位差以上の差異はほぼ認められなかった.この結果は,IF鋼において,粒界の変形抵抗に及ぼす幾何学因子の影響は小さいことを示唆している.ここで注意すべきは,粒界を記述する幾何学因子の1つである粒界面方位を考慮していない点である.試料表面のEBSD測定のみでは粒界面方位の同定は困難だが,曲線状の粒界を測定して算出されたΔαの値は本研究の条件範囲で一定であることから,粒界面方位を考慮したとしても本質的な結論は変わらない.

Fig. 4

(a) Load - displacement (P - h) curves and (b) P/h - h curves obtained from indentations inside Grain A and near GB3 of IF steel. The slopes of αs and αe are defined as the slopes of P/h - h curve between 1250 µN and 2000 µN, and between 3500 µN and 5000 µN in (b), respectively.

Fig. 5

(a) Misorientation angle and (b) geometric compatibility factor dependence of nanohardness, Hn of IF-CG steel. (c) Geometric compatibility factor dependence of Δα of IF-CG steel.

粒界の変形抵抗は,転位のパイルアップモデルを想定した場合,粒界にパイルアップする転位からのバックストレスの大きさと理解される.これまでに,粒界に転位がパイルアップする様子がSUS304やSUS310などのオーステナイト系ステンレス鋼において実験的に観察されている.これらの鋼種はfcc構造を有し,さらに観察される転位線が同一すべり面上に存在するプラナー(planar)転位列であることが特徴的であり,fcc構造のすべり面が明確に限定されていることが主因と考えられている8,29.一方,本研究におけるIF鋼のようなbcc構造を有する合金系では,刃状転位よりも易動度が低いらせん転位が変形に対して支配的であり,頻繁に交差すべりを起こすためにすべり面は必ずしも明確に限定されない.転位―粒界相互作用については,bcc金属では転位が粒界に沈み込む現象が指摘されており30,同様の現象はTEM内その場変形で実際に観察されている31.転位―粒界相互作用の機構の詳細は不明であるが,交差すべりの頻度が高いことが関係している可能性がある.つまり,bcc金属においては,その転位構造に起因して,粒界と転位の相互作用がfcc金属とは異なるために粒界におけるパイルアップが起こり難い結果,粒界の変形抵抗が顕著に現れなかったと考えられる.また,粒界の幾何学条件に依存しないことは,いずれの粒界でも同様の相互作用が起きていることを示唆している.ただし,本研究では,圧入変形を加える粒に外力が集中する条件であり,これに対して実際のバルク材では隣接粒にも平均的な外力が働く条件であることなどの考慮が必要と考える.IF鋼における転位と粒界の相互作用をさらに明らかにするためには,今後,透過型電子顕微鏡を用いて粒界を含む局所的な領域での変形過程の観察や,転位と粒界構造まで考慮した分子動力学シミュレーションなどが必要と考えられる.

4.2 IF鋼の粒界力学特性に及ぼすB添加の影響

IF鋼およびIF-B鋼における基準結晶粒の試料表面法線方向を,Fig. 6(a)およびFig. 6(b)のIPFマップ上でそれぞれ示す.赤矢印で示した基準結晶粒の試料表面方位は,IF鋼,IF-B鋼ともに<111>に近い方位であった.また,Fig. 3と同様に,それぞれの結晶粒を囲む個々の粒界に識別番号を付した.ただし,粒界の段差の上側で測定した粒界など,本論文における評価に不必要な粒界は除外した.Fig. 2(b)のプロセスで作製した両鋼種の結晶粒径は,50 µm程度である.Fig. 7(a)およびFig. 7(b)にナノインデンテーション試験後のIF鋼とIF-B鋼の試料表面のSPM像をそれぞれ示す.破線で囲まれた領域内の圧痕は,粒界から十分に離れた位置,すなわち粒内のナノインデンテーション試験で形成されたものである.また,粒界の識別番号は,Fig. 6と同一である.各粒界における方位差および式(1)から導出されるm′値を,Table 3に識別番号順に示す.これらの幾何学的な特徴をもつ粒界に対して,ナノインデンテーション試験を行った.Fig. 8(a)にIF鋼のGB3近傍およびIF-B鋼のGB1近傍のナノインデンテーション試験から得られたP - h曲線を示す.B添加の有無によらず,負荷過程の初期でポップイン現象が発生し,B添加によりポップイン荷重がわずかに上昇した.このポップイン荷重の上昇は,転位核生成と固溶Bとの相互作用によるものと推察される.これまでに,固溶Cの増加に伴ってポップイン荷重が増加することが報告されており,その機構として固溶Cがポップインの発生素過程である転位ループの生成・成長を阻害するためであることが示唆されている32.また,ポップイン発生後からP = 2000 µNまではP - h曲線に顕著な差は認められない一方で,3500 µN以上の高荷重域では,IF-B鋼はIF鋼と比較して,荷重の傾きが急峻になった.Fig. 8(a)から変換されたP/h - h曲線をFig. 8(b)に示す.ここで,αsおよびαeは,Fig. 4と同様の荷重範囲における傾きである.IF-B鋼はIF鋼と比較して,高荷重域において明らかにαsからαeへ値が増加し,B添加による粒界抵抗の増加を示唆している.Fig. 9に,IF鋼とIF-B鋼の各粒界における複合ヤング率と粒界硬さを示す.粒界番号の並びに表示されたGIは粒内(Grain Interior)を表す.ここで,IF鋼の複合ヤング率およびナノ硬さは,3.2節で用いたIF-CG鋼の値と同程度であったため,製法の違いによる粒界力学特性の差はない.Fig. 9(a)およびFig. 9(b)より,B添加の有無,そして粒界によらずErはほぼ同程度であるので,測定精度が適切な水準以内に保たれていると判断される.そのうえでナノ硬さを比較すると,粒内のナノ硬さはB添加の有無によらず1.5 GPaとほぼ同程度であった.また,各粒界のナノ硬さも粒内での値と同程度であり,B添加の顕著な影響は認められなかった.

Fig. 6

Inverse pole figure maps showing surface normal direction of (a) IF steel and (b) IF-B steel, respectively. Red arrows in (a) and (b) represent the grains, on which nanoindentation is performed.

Fig. 7

Scanning probe microscope images of the sample surface of (a) IF steel and (b) IF-B steel.

Table 3 Misorientation angle and geometric compatibility factor between neighboring grains related to the grain boundary. Note that each grain boundary number is indicated in Fig. 7.
Fig. 8

Load - displacement (P - h) curves of (a) IF steel and IF-B steel. (b) P/h - h curves obtained from P - h curves of IF steel and IF-B steel for the sites near GB4 and GB1 in Fig. 7.

Fig. 9

Reduced Young’s modulus, Er and nanohardness, Hn obtained from P - h curves of (a) IF steel and (b) IF-B steel, respectively.

次に,IF鋼とIF-B鋼の各粒界におけるαsαe,およびΔαFig. 10(a),Fig. 10(b)にそれぞれ示す.Δαは,Fig. 5と同様にαeαsの差分である.IF鋼とIF-B鋼の粒内(GI)のαsはそれぞれ,0.0291 µN/nm2と0.0265 µN/nm2と同程度であり,B添加の顕著な影響は認められなかった.また,IF鋼とIF-B鋼の各粒界のαsも,それぞれ0.0211-0.328 µN/nm2,0.0222-0.0308 µN/nm2と同程度であった.これは,Fig. 9において,IF鋼とIF-B鋼のナノ硬さHnがほぼ同程度であったことと整合する.一方,粒界の変形抵抗が加味されるαeは,IF鋼とIF-B鋼でそれぞれ0.0266-0.0347 µN/nm2,0.0353-0.0425 µN/nm2と算出され,IF-B鋼はIF鋼と比較して明らかに高かった.この傾向は,赤色で表示されたΔαの比較でも明瞭である.IF鋼のΔαは最大でも0.005 µN/nm2程度であるのに対し,IF-B鋼のΔαは,0.005-0.020 µN/nm2程度であり,IF鋼と比較して大きな値を示した.Fig. 5に示すように,Δαに対する幾何学因子の影響は顕著でないことから,Fig. 10の結果はB添加の影響により粒界の変形抵抗が増加することを示している.ここで,ナノ硬さと比較してΔαの指標がB添加の有無による粒界の変形抵抗の差異をより敏感に検出した理由を以下に考察する.圧入変形における荷重Pと変位hの関係は,下記の式(3)で表現される33.   

\begin{equation} P = \alpha h^{2} + \beta h \end{equation} (3)
式(3)に示されるように,Ph2項とh項の加算で示される.このうち,h2項はすい型圧子の圧入に伴って増加する圧子―試料間の接触面積Aに比例し,さらにAPを除した値は硬さの定義そのものであるため,したがってh2項の係数αは硬さと同じ平均面圧の次元を持つ量である.一方,h項は接触面積が変化しない圧入変形の挙動に対応するので,h項の係数βは圧子先端の不完全性や試料表面の凹凸などの影響を反映すると考えられる24.同様の報告がTsurekawaらによっても報告されている12.また,ひずみ誘起変態が発現する材料においては,相変態から塑性変形に遷移することによる抵抗変化をαの上昇として定量的に検出し,その上昇率が粒界からの距離や隣接粒の強度に依存することなどが示されている33,34.したがって,P/h - h曲線による解析では,本質的な変形抵抗に対応するh2項を評価できるために,αによる評価は硬さの評価よりも検出しやすくなると考察される24,33,34

Fig. 10

Slopes of P/h-h curves obtained from P/h-h curves of (a) IF steel and (b) IF-B steel, respectively.

B添加による粒界力学特性の向上は,Bの粒界への偏析が一因と考えられることから,IF鋼とIF-B鋼の粒界付近の元素分布を3DAPを用いて解析した.Fig. 11(a)およびFig. 11(b)に,IF鋼とIF-B鋼におけるC,Ti,B,および全元素を表示した3次元原子マップをそれぞれ示す.ここで,Fig. 11(a)およびFig. 11(b)に示した結晶粒界は,Fig. 10に示されるIF鋼のGB3とIF-B鋼のGB1を解析した結果である.Fig. 11(a)に示すように,IF鋼では,微量のTiが結晶粒界に偏析する程度であるのに対して,粒界の変形抵抗が顕著に上昇したIF-BのGB1粒界には,Fig. 11(b)に示すように,Tiに加えてBとCが偏析しており,特にTiとBの偏析が著しい.これらは,B原子とTi原子の間に働く引力相互作用よってBの粒界偏析がTi偏析を促進するためと考えられている35.BとCの粒界偏析における相互作用については,B添加によりCの偏析量が若干の上昇を示しており,これまで3DAPにより実験的に観察された傾向と一致している36.ただし,Tiと比較して共偏析の傾向が顕著ではなく,BとCの相互作用に関しての詳細は不明である.Fig. 11(c)およびFig. 11(d)に,各試料の各結晶粒界面に対して垂直方向に解析領域を設定し,粒界面に垂直に解析した結果得られた各元素の濃度プロファイルを示す.ラダーダイアグラムを用いて粒界に偏析したBの濃度を評価したところ37,粒界には鋼全体の平均B量(0.006 mol%)よりも高い1.2 mol%程度のBが偏析していた.さらに,IF-B鋼ではIF鋼の粒界と比較すると,B添加により粒界に偏析したTiとCの量が顕著に増加していた.以上の結果は,IF鋼の粒界力学特性に対して,B添加には次の2つの効果があることを示している.1つはBそのものが粒界偏析すること,もう1つは,B添加によりTi,Cの粒界偏析が促進されることである.Fig. 5およびFig. 10より,IF鋼の粒界の変形抵抗に及ぼす幾何学因子の影響は小さいため,IF-B鋼における粒界の変形抵抗の向上は,Bの粒界偏析のみならず,TiおよびCも含めた粒界偏析の寄与によるものである.すなわち,粒界の変形抵抗には,幾何学因子の影響よりも粒界偏析の化学的因子の影響が比較的大きいことが明らかになった.これらの知見は,IF鋼に限らず一般的なbcc鋼にも当てはまると推測され,粒界の変形抵抗向上による強化として粒界偏析が有効な指針となる可能性を示唆している.ただし,粒界の幾何学因子は粒界エネルギーや粒界偏析と密接に関連付けられており,偏析を通じて幾何学因子も間接的に粒界の強化に関与している可能性を含んでいる点に言及しておく38.本研究においては,Δαと元素偏析量の定量的な関係解明までは至っていない.これを明らかにするためには,Δαを含む力学指標と粒界への元素偏析量の測定精度のさらなる向上が必要である.

Fig. 11

3D atom maps of all elements, C, Ti, and B analyzed from the specimens including grain boundaries in (a) IF and (b) IF-B steels. 1D compositional profiles obtained from selected volumes in (c) IF and (d) IF-B steels analyzed along the direction indicated by arrows. Note that each data represents GB3 in Fig. 7(a) and GB1 in Fig. 7(b), respectively.

5. 結言

本研究ではbcc構造を有するIF鋼を用いて,SEM-EBSD測定,3DAP解析とナノインデンテーション試験を併用することで,個々の粒界力学特性に及ぼす粒界の幾何学因子およびB添加の影響を調査した.得られた主な結言は以下である.

(1) IF鋼において,個別の粒界の変形抵抗を圧入変形によって評価した結果,ナノ硬さおよびP/h - hプロットの傾きαのどちらの指標においても,粒内との顕著な差はなく結晶方位やm′値の依存性も検出されなかった.これは,粒界の変形抵抗に及ぼす幾何学因子の影響が本研究手法の検出限界よりも小さいことを示す.

(2) B添加の有無を比較した結果,粒界の影響を含む荷重範囲のαeの値がB添加によって上昇する傾向が認められ,粒界の寄与に相当するΔααsαeの差分)で整理するとB添加IF鋼における粒界の変形抵抗の上昇は顕著であった.

(3) B添加IF鋼における粒界の3DAP観察の結果,顕著なBの粒界偏析が確認された.Bに加えてTiやCの偏析が促進されており,B添加による変形抵抗の上昇は,これらの元素の粒界偏析による影響と考察した.

(4) 粒界の変形抵抗に及ぼす影響は,本研究で対象としたbcc構造のIF鋼の場合,幾何学因子よりも添加元素の粒界偏析などの化学的因子が相対的に大きいことが示唆された.

文献
 
© 2021 (公社)日本金属学会
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