生活大学研究
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第二次世界大戦下における自由学園初等部の学童集団疎開
菅原 然子
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2021 年 6 巻 1 号 p. 1-23

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抄録

本論では、1944年8月から翌45年10月まで実施された、自由学園初等部(以下初等部)の学童集団疎開について、記録資料を手掛かりにその全体像を概観することを試みる。学童疎開の研究は主に1980年代末より始まり、特に当時の都内区部の国民学校については実施自治体や研究者等の調査研究により内容が明らかにされてきている。しかし、私立小学校の学童集団疎開については、学校数自体が少なかったこと1、また個別性が高かったことなどから、未解明な部分が多い。当時の学童集団疎開がどのようなものであったのか、その全容を明らかにするためにも、各私立学校での疎開の実施状況の調査分析は重要である。初等部は東京都北多摩郡久留米村(当時)に位置し、ここはそもそも疎開受入地であった。しかし区部から通学する児童が多かったために、学童集団疎開を決断。44年8月より学内の女子部(高等女学校相当の各種学校)寮内に「南沢疎開寮」を開設、最遠地区に住む児童から入寮させた。同時に地方への疎開についても検討し、栃木県那須郡狩野村に那須疎開寮を開設、同年9月より5, 6年が疎開した。区部に属さなかったことで、疎開場所の選定や輸送等、学校独自に決定する必要があったこと、そこには保護者の協力があったこと、区部の管轄下ではなかったものの、国や都の学童疎開政策にはおおよそ則った疎開であったこと等が明らかになった。

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