生活大学研究
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戦時下における自由学園の教育(2)戦時下「生活即教育」の諸相
村上 民
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2021 年 6 巻 1 号 p. 91-117

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抄録

1937年7月の盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が全面化していくが、政府は戦争遂行に「挙国一致」してあたるため「国民精神総動員運動」を展開し、学校教育にも積極的な参加をもとめた。こうした戦時下国民生活の「刷新」の動きに対して、自由学園は、1930年代から顕著になっていた「自由学園教育の社会化」の動きとも連続した形で、生活教育、工作教育、農業、音楽、体操、工芸など多方面にわたって取り組んだ。この背景には近衛体制を支える昭和研究会の社会改革・教育改革との関わりもあった。自由学園女子部・男子部(中等教育)における「勤労奉仕」や「学徒動員」は、男子部の「工作」(工業、つづいて農業)と接続して実施され、女子については衣食住研究や農村セツルメント実践とも連続的に行われた。つまり、自由学園で行われてきた戦時の様々な「勤労」は、単に形式的あるいは強制されて実施したものではなく、自前の方法で主体的かつ積極的に行われた側面がある。とはいえ、こうした実践を国や文部省が指示してきた勤労奉仕・勤労動員の措置と併せてみると、明らかに対応関係がみられる。戦争の長期化に伴い学校教育は年ごとに圧迫され、1945年にはついに授業停止の状況に陥った。この間自由学園は存続問題への対応に苦慮していたが、勤労奉仕・動員、男子部修業年限短縮、学校工場化、学童疎開、幼児生活団休止等に直面した。学徒動員や疎開、男子卒業生の出征によって生徒・卒業生の命が失われた。戦時の生活のなかに学びを見出そうとする努力が重ねられたが、敗戦により、戦争遂行のための「学徒勤労動員」と「学童集団疎開」は終了し、その片付けやまとめにも生徒自身が深く関わった。戦時下に自由学園の教育に関わった人々によって、多くの記録が作成された、それらを記録群として丹念に注意深く再構成していく作業によって、戦時下自由学園の教育のなかにある様々な継続と切断の実相に迫る可能性がある。

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