2018 年 1 巻 1 号 p. 15-24
初期の株式会社として知られるイギリス東インド会社(1600-1874年)では1664年に本社へと複式簿記が導入され,体系的な帳簿組織が維持されるとともに時期を同じくして17世紀後半にわたり財産有高報告書(財産一覧表)が作成されたものの,今日的な誘導法が必ずしも採用されていなかった。その後,18世紀中葉頃から19世紀前半にわたって“Stock per Computation”と名付けられた財産有高報告書が同社では作成されているが,ここでも今日的な誘導法は採用されていなかったのであろうか。そこで本稿では,東インド会社本社へと導入された複式簿記に基づく帳簿と,帳簿とは別に作成された財産有高報告書の関係について考察することで,18世紀中葉の同社において今日的な誘導法が用いられていたのかを検討する。